Somebody To Love

Keep Yourself Alive

 頭の隅で渦巻くモヤモヤについて一人でゆっくり考える間もなく時は過ぎ、あっという間に文化祭の前日となった。校内はいつもの数倍バタバタで、オレ以上にうちの寮長はピリピリしている。実行委員のやることは無限にあるし、当然か。明日のステージのために美容院に行きたかったけれど、少しくらいこの暴君の機嫌をとって出かけた方がよさそうだ。足りない備品リストを書き出して顔を青くしたり赤くしたりしているリドルを宥めるように甘い飲み物を差し入れてやる。
「誰か街に行く者は……流石に今日は居なさそうだね」
「なになに? 買い出し行くの?」
「買い出しというか……大体のものは購買で揃うけれど、専門店にメンテナンスに出してたマイクやスピーカーは街まで取りに行かないとどうしようもなくて……なんで早めに状態を確認しておかなかったんだ担当者は……」
深くため息をつくリドルの手に握られたリストを覗き込む。『メンテナンス中』と書かれた物品の備考欄に書かれた住所は、街の中でもオレが行こうと思っている方向に程近い。
「いいよ〜、オレおつかい行ってくるよ、今から街に髪切りに行くし」
「……今から?」
やっぱりサボりの口実と思われたのだろうか、寮長の眉がピクリと上がる。
「ダメかな? 外出届は出したし、明日ステージだから見栄えちゃんとしておいた方が良いかなと思ったんだけど」
「……そういえば書類をもらっていたね、」
「そうそう、もしかして忙しすぎてちゃんとチェックしてなかった?」
この完璧主義の寮長が確認事項を忘れることことなどありえないだろうから、最近は寮関係の書類のチェックはトレイに任せていたのだろう。案の定、紙の束が挟まれたバインダーを引っ張り出してパラパラと捲り、「ふむ、サインをしたのはトレイか、」と呟いている。
「……じゃあ、用事が終わったらすぐに戻るように、手伝ってもらいたいことは山ほどあるからね」
「あはは、りょーかい」
なんとか穏便に寮を出ることができてホッと息を吐く。一人になれば少しくらいこの胸のモヤモヤについて思考する時間もできるだろうか。

 街はいつも以上に賑やかだ。総合文化祭の前日だから、参加する外部の学校の学生が何人も街の宿に泊まっているらしい。そのあまりの騒がしさに、髪切るの別の日にすればよかったかな、とふと頭をよぎるが、今更予定を変えることはできない。人と人との間を通り抜けて、目的の店を目指す。と、その途中、小さなゲストハウスの前で何やら地図を広げていた数人の学生の集団から目が離せなくなる。ただ学生が数人居るだけならおそらくなんとも思わなかっただろうけど、そのうちの一人、長い髪の小柄なシルエットは、あまりにも見覚えがありすぎて、思わず足を止めてしまった。
参加することは知っていた、けれど、当日はバタバタするだろうから挨拶なんてする暇はないだろうし、会話すらないまま一日が終わる可能性もありえると思っていた。……だから、まさか前日に会うことになるなんて、夢にも思わなかったんだ。パチン、と目が合う。オレの存在を認識した彼女は驚いたように瞬きをする。周りに居た数人の男女に何やら声をかけて、そっとこちらへ近づいてきた。
「ケイト、くん?」
「……ちゃん、なんでここにいるの?」
なんでここに、なんて聞かなくても分かりきってる。それでも聞いてしまったのは、彼女自身の口から理由が聞きたかったからだ。
「えっと、明日の総合文化祭、うちのバンドで出ることになってて、」
知ってる、という言葉は飲み込んだ。初めて知ったかのような表情を、今は作れているだろうか。いやきっと、そんな風に上手く取り繕うことはできていない。そもそも、文化祭のパンフレットに名前も載っていたし、オレが知っていてもおかしくないよね。彼女もきっと、そのことに気づいているだろう。誤魔化すようにへらりと笑ってみせる。
「そっか、……ていうか、前日から来るなら言ってくれたら案内したのに」
「そ、それは、ごめんなさい、ケイトくんも忙しいかなって思って、」
「……へえ、」
思っていた以上に冷たい声が出た。彼女の表情が強張る。
「……あの、ケイトくん、怒ってますか?」
「別に怒ってるわけじゃないよ」
「でも、」
「何? もういいでしょ、」
突き放すようにそう言うと、彼女は泣き出しそうな顔をした。それでもオレは低い声で続ける。
「だってそうでしょ? 君はオレがいるの知ってて、でもオレにそのことを教える気はなかったわけだよ」
「そう、だけど、」
「……つまりさ、君にとってオレはその程度だったってことだよ」
ああ、こういうこと言うつもりはなかったのに。知らされていなかったことに勝手に拗ねて、不機嫌になって、これじゃまるで子供みたいだ。あの日、熱に浮かされた頭で棘のある言葉を吐き出したあの時と同じ。いや、熱もなく思考もはっきりしている分今の方がもっとタチが悪い。どこからやり直せば良いんだろう。この子を呼び止める前? マジカメのメッセを送る前? それとも、数年前に彼女と出会うよりも前? 一人でどんなに考えても答えてくれる人は誰もいないし、やり直せる術があるわけでもない。

 知らないことは罪では無いけれど、知っていても知らぬふりをする者や、自分の無知を言い訳にする者は大勢居る。今のオレはどちらなんだろう。どちらにしても、今のオレはめちゃくちゃ嫌な奴であることだけは確かだ。

♦︎

 その夜、再び奇妙な夢を見る。

 そこではオレは二人居て、まるで双子みたいにどちらがどちらか区別がつかないのだけど、一人のオレはもう一人のオレとは全く意見が合わないのだ。
そこに居るオレはオレそのものだし、『手札のオレ』にもそっくりだけれど、やっぱりどこか違う。どこか呆れたような顔をしたもう一人のオレは「オレくんってばサイテー」と深くため息をついた。
「女の子泣かせるなんてありえないよ」
「いや、泣かせたわけじゃないし」
「オレが見てた時は分かんないけどあの後泣いてたかもしれないじゃん」
「……そりゃまあ、そうだけど、」
明確に誰のこととは言われていないが、言われなくてもすぐに分かった。「やれやれ」とつぶやいた目の前のオレは困ったように眉を下げる。
「本当はさ、あの子に嫌われたくないんでしょ」
「……、そりゃまあ、そうだけど、」
「じゃあ、謝りなよ、あの子に」
「……もうオレはあの子に合わせる顔なんかないよ、」
「そう思ってるのはオレだけかもよ」
そうかな。そうかもしれない。確かにあの子は優しいし、一度オレの方から突き放した時もまた歩み寄れば自然に受け入れてくれたし、自惚れでなければオレはあの子にかなり好かれている。だからといって、昼間のオレの態度が許されるわけじゃないだろう。
「だとしたら尚更、酷いこと言ったんだし、ちゃんと謝るべきだろ」
「でも、」
「それに、まだオレは言いたいこと全部言ってないでしょ、」
「じゃあ君が謝って言いたいこと言いに行けば良いじゃん、あの子に」
「オレは君だけど、君は君だよ」
「……知ってる」
「オレは、君がこれまでやってきたことを繰り返すことはできるけど、君が初めてやることをオレはできない、何が言いたいかわかる?」
「……わかるけどさぁ、」
「きっと待ってるよ、彼女も」
それだけ言って、もう一人のオレは消えた。
わかっているんだ、やらなきゃいけないことも、必要なことも。だけどオレは相変わらずどこか臆病だから、やらなきゃいけないことや、やった方が良いことから逃げてしまう。
「あの子もそうなのかな」
小さくつぶやいたその一言に応える『オレ』はもういない。なんだか虚しく情けなくなって、その場にずるずるとしゃがみ込んで深々と息を吐いた。

♦︎

 文化祭が始まる。
結局、昨夜は眠れたのか眠れなかったのかよくわからなかった。微睡の中、よくわからない夢ばかり見ていた気がする。寝不足のぼんやりとした頭でケースからギターを取り出す。
緊張で眠れなかったんだよね、と言いたいところだけど、生憎オレの心臓はそこまで繊細じゃない。何度か軽音部としてステージに立っているけど、前日に眠れなかったことなんて初めてだ。つまりやっぱり原因は彼女で、昨日のことを反芻するたびに後悔することばかりで頭を抱えてしまう。突き放したのはオレの方なのに。あまりにも自分勝手で笑えてくる。
ミドルスクールの文化祭の時も同じだった。結局オレはあの頃と何も変わってはいない。諦めて、手放して、それでどうにかなるわけじゃないのに、向き合い続けるのがしんどくなって、背を向けてしまう。逃げてしまえばずっとそのことが頭の隅に残ってしまうことは分かりきっているのに。

 どんなに悩みを抱えていても、どんなに眠れなくても、ステージの幕は上がる。オレたちの出番は午前中に出演するグループの中で一番最後だ。あくびをかみ殺しながら控室の隅で段取りの最終確認をしていると、「ケイト、」と袖をひかれながら声をかけられた。慌てて振り返ると小柄な同級生リリアが顔を覗き込んでくる。彼がこのように声をかけてくることは珍しいから、もしかして何度か声をかけられていたのだろうか。
「えっ、ごめんリリアちゃん、なになに? どうしたの?」
「ぼんやりしておるな、ケイト」
「あはは〜、ちょっと寝不足……かな、」
眉を下げて笑うとリリアは「ふむ、」と呟いてオレの顔を覗き込み頷く。
「……そう恐れずとも良い、楽しいものじゃ、ここから先は」
「……急にどうしたの、リリアちゃん」
「ククク、儂も楽しみにしておるぞ」
「……今日のステージの話?」
問いかけるとリリアは何も言わずにすう、と目を細めた。この同級生はいつも不思議な雰囲気を身にまとっているけれど!今日はいつも以上に何が言いたいのかさっぱりだ。また何か聞こうとオレがまた口を開きかけたその時、俄にステージ袖がガヤガヤと騒がしくなりはじめる。リリアと顔を見合わせて控室の入り口から顔を出して外を見ると裏方担当の運動部の生徒バタバタと慌ただしく走り回っていた。
「メインステージの機材がイカれてるから交換させて欲しい!?」
「管理はどうなってんだよ」
「というか、あっちにウチの機材を貸し出す必要なくね? あそこの担当どこの部だよ、陸上とマジフトだっけ? くそ、レオナさんに文句言ったら殺されるんだろうな……」
「あっちはテレビカメラも入ってるから優先的に環境を整えさせて欲しいんだと。まったく、こっちの機材もそんなに予備があるわけじゃねえんだよ」
聞こえてくる彼らの会話によると、どうやら音響トラブルでVDCで使う予定だった機材が使えなくなったらしい。すでにリハーサルは終わっているから、貸し出す機材は一つや二つでも一気に調整が狂ってしまうのだろう。オレは機械のことはよくわからないけれど、毎回ライブの前は念入りにマイクチェックとかしてるし。そんなバタバタの中、難しそうな顔をしたオクタヴィネル寮生が出演者の楽屋をひとつひとつ回ってイベントの時間変更を知らせているようだ。
「あ〜、申し訳ないんですけど、機材の復旧にしばらく時間がかかりそうだから出演者の皆さんはしばらくここで待ってもらって……え? なに? そこの、」
隣の広めの控え室ですっと手を上げていたのは見覚えのある少女だった。「ちゃん、」と自分にしか聞こえないような声でつぶやく。確か彼女たちの出番は一番最初だったはずだ。訝しむオクタヴィネル寮生に臆することなく、彼女は「あの、」と声を上げる。
「お客さんは、もう入ってるんですよね」
「ああ、そっちもこの後開演時間が遅れるってアナウンスして……」
「じゃあ私たち、皆さんが機材の調整している間演奏します」
「は?」
驚いた声を上げたのはオレだけではなかったらしい。「何考えてんだ?」とどこかから声が聞こえ、隣に居るリリアは「ほう、」と興味深げに目を細めている。そんな周りの雰囲気を気にせず彼女は言葉を続ける。
「マイクチェックとかは曲が終わってからになるけど……配線をし直す時間くらいは稼げますよね?」
「いやでも、君ら地声で歌うんですか? スピーカーだって使えないよ」
「大丈夫です、自分たちの機材で歌うんで」
そう言いながら彼女が示すのは小ぶりなスピーカー。「やっぱりあれ使うんか……」と呟いたのは彼女のバンドのメンバーだろうか。
「自前のマイクにミニアンプ……?」
「どうやって持ち込んだんだよ……」
そりゃまあ、カバンに入れて持ってきたんだろうな、とぼんやり思う。前日から賢者の島に泊まるなら早めに来て練習しようとか思って重い荷物を持ってきたのだろう。あの子はそういう子だ。
「大丈夫です、」
もう一度そう言って彼女は笑った。ステージの幕を上げるしか無くなってしまった。