鮮やかなオレンジ色の夕焼けとともに、ホリデーの一日は終わりを告げた。徐々に藍色に染まる空は何だかあの店に置いてあったギターに少し似ている。「買っちゃうの?」と聞くと妙な唸り声を上げる彼女がなんだか面白くて、声に出して笑ってしまった。
また会えるかはわからないけれど、穏やかな気持ちで笑って手を振ることができたのは確かだ。
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ホリデーが開けて数週間、しばらく休みボケもあるだろうからスローペースで授業も寮の行事ごとも進んでいくのだろうと思っていたが、そういうわけにはいかなかった。数ヶ月後に行われる全国魔法士養成学校総合文化祭の実行委員長に選ばれた我が寮ハーツラビュルの寮長は膨大な仕事量に追われてやたらピリピリしている。こういう時は副寮長のトレイがなにかと手伝いをしているけれど、二人で寮の業務がちゃんと回っているとはとても言えない状況だ。やっぱオレも何かしら手助けとかしたほうが良いのかな、正直面倒くさい。
廊下の掲示エリアにはイベントの告知や参加者募集のポスターがぎっしりと並べられている。去年は割と何せ今年はうちの学校が開催校だから何かとやることが多い。多分生徒は全員何かしらのイベントに参加させられるんだろうな、とぼんやり思いながら色とりどりの掲示物をぼんやりと眺めていると、そのうちの一際派手な一枚に目が止まる。
「ボーカルアンドダンスコンテスト……これほんとにうちの学校であるの?」
「ウィ! ムシューマジカメも出演者としてオーディションに参加するかい?」
独り言のように呟くとどこからか現れたポムフィオーレの副寮長ルーク・ハントが楽しそうに頷いた。どうやら彼の寮がこのイベントの寮の管轄となっているらしい。興味があるかないかと聞かれると正直なところ半々だ。ただ、オレは文化部だから総合文化祭では何かしらの発表とかをしないといけないらしいし、コンテストに参加することで部の発表が免除されるのであればオーディションに参加する価値はある。部の出し物考えるのって結構面倒だし、VDCならただただ決まった曲を練習すれば良いし、あと優勝すれば普通にマジカメのフォロワーも増えるだろうし。そうなればやることは決まっている。ニコニコと微笑み書類を差し出してくるルークからそれを受け取り、頷いた。
「するする〜! これ書いてルークくんに渡せばオッケー?」
「トレビアン! 空を彩るように高く伸びる枝葉の先の果実のような君のパフォーマンス、楽しみにしているよ、ムシューマジカメ!」
ルークのポエムめいた口調の真意は相変わらずよくわからなかったけれど、応援しているみたいなことが言いたかったんだと思う、たぶん。「ありがと〜」とふんわりとした返事を返してサクッと書き込みを終えた書類を提出した。
入学したての頃は中庭で踊りの練習をする日が来るとは思わなかった。一緒に練習しないかとトレイを誘ったら実行委員の仕事が忙しいからと断られたけれど、まあそれなりに一人でもやれていると思う。オレはダンスに関しては素人だけど、見様見真似で意外と踊れるものだ。たぶん細かい技術とかは粗が目立つのだろうけれど、大まかな部分は形になっていると思う。マジカメの『踊ってみた』動画をぼんやりと見ながら水分補給する。それなりに有名な曲が課題曲で良かった。なんとなく歌詞は覚えているから多分歌は少し練習すればカンペなしで歌えるし。暇つぶしにしては大仰になってしまったが、ミドルスクールの頃に文化祭のステージの練習をしていた時みたいで少しだけわくわくするのは確かだ。
のマジカメに3つ目の動画がアップされたのはオーディションの三日前の昼休みのことだった。いつも通り『踊ってみた」動画を流しているときにその通知は届いた。別にオーディションを受けることを彼女に話したわけではないが、なんだか応援されているような気分になってなんだか勝手にテンションが上がる。
ホリデーの再会の後、そこまで頻度は多くないが連絡は途絶えず続いていた。連絡というよりもオレの独り言みたいなくだらないメッセに彼女が丁寧に返事を返してくれているだけなんだけど。なんとも律儀な子だ。それオレだから良いけど、他の男にやったら色々勘違いされるやつだよ、と思うけれど、オレたちはそういうこと言えるような仲でもないような気がして口には出せなかった。あの子は多分オレの事嫌いではないけど、今のオレにそういうこと言われたくはないでしょ、たぶん。
この日の動画には少しだけ彼女の声が入っていた。ギターの音に合わせてメロディラインを口ずさむソプラノは耳に良く馴染む。思わず動画に合わせてオレも鼻歌をうたう。そのせいだろうか、授業が始まっても、寮に戻ってもサビの部分がぐるぐると頭の中を回っている。寝る前に紅茶を淹れながらまた小さくその曲を口ずさんでいると、トレイから「お前、機嫌が良いときわかりやすいな」と声をかけられた。なかなかに疲れた顔をしている元ルームメイトは「俺も何か飲もうかな」と戸棚からマグカップと何やら粉が入っている缶を取り出す。
「機嫌悪いよりは良い方がいいでしょ、」
「はは、確かに」
トレイが缶の蓋を開けると、ふわり、とチョコレートの香りがキッチンに広がった。入れ物の中身はココアだったようだ。思わずちょっと怯んでしまうが、自分が飲むものでは無いからまあ問題はない。「珍しいね、こんな時間に虫歯になりそうなもの飲むの」と声をかけると「まあ、たまにはな」とお疲れ気味の副寮長は笑う。いつも神経質とも言えるほど丁寧に歯を磨くこの男はこれを飲み終わった後も寝る前にまた歯ブラシを手に取るのだろう。その様子を想像して思わず小さく笑い声を漏らした。すると目の前の彼は眉を顰めて「なんだ?」と首を傾げる。
「トレイくんはご機嫌斜めって感じ?」
「いや別に、俺は普通だよ」
「そうかな、」
「そういう風に見えるなら、たぶん疲れてるからだな」
「あ〜、忙しそうだもんね、最近。お疲れお疲れ〜」
「誰かさんがオーディションがひと段落した後こっちを手伝ってくれたらちょっとは楽になるんだが……」
「あはは、わかったわかった」
考えとく、とかいう煙に撒くような言葉で軽く受け流しておいても良かったんだけど、今日のオレは妙に機嫌が良いから困り顔の副寮長を助けるような言い回しをしてしまう。「やっぱりお前、機嫌が良いな」と言われて、「まあね、」と紅茶のカップを傾けながら返した。
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あっという間にオーディション当日がやってきた。会場であるポムフィオーレ寮に集まったのは学年も所属寮も様々な生徒たちだった。オレみたいに半分暇つぶしみたいな人もいれば、結構真剣に挑んでるっぽい人も居てなんだかその温度差が面白い。どこか観光客みたいな気分だったから、もしかしたらピリピリとした雰囲気の受験者たちには控室でカメラを構えて知り合いと写真なんか撮っちゃったりしてらオレのことを不快に思ったりしたかもしれない……まあそういうことはオレの知ったことではないけれど。しばらくすると名前を呼ばれ、オレの番が来る。小さく息を吐き、軽く拳を握りしめてから、部屋に足を進めた。
音が止まると一瞬室内が静かになる。値踏みされているような気分になってちょっと萎縮しそうになった。目の前に座るヴィルは深々ため息をつき、反対にその隣に座るルークは嬉しそうに高評価の好評を口にしている。
「……そうやって誤魔化し続けていたんじゃ、何も伝わらないわよ」
ヴィルがなにやらボソリと呟いたが、審査員席まで少し距離があるからきちんと聞こえない。けど、俺に関して何か言っていることは確かだろう。
「なになにヴィルくん、なんのこと?」
「はあ、別に……、なんでもないわ。次!」
追い出されるようにポムフィオーレ寮を後にした。マジカメ投稿用にもっと寮の映える場所を調べておいてオーディション前に写真撮っておけばよかった、とぼんやり思う。なんだか昨日までのご機嫌な気分は既にかなり薄れてしまっていた。
オーディションはそれなりに歌えたし踊れたんじゃないかと思う。練習も、一応したし。まあ、オレは器用な方だし、ちょっと練習すれば割となんでもできてしまうから、所謂『血の滲むような努力』をしてオーディションに挑んでいたかというとそういうわけではないけど。
頑張っているようなつもりでいたけれど、他人からどう見えているかはよくわからない。オレの努力はオレ自身の物差しで測りたいけれど、こういう他者と比較されるような場面になったらどうしたって自分の薄っぺらさが見えてしまう気がするんだ。あの子には今のオレはどう見えるのだろう。聞いてみたい気もするけど、どこか怖い気持ちもあって、一瞬開いたマジカメのメッセージ送信画面はすぐに閉じた。
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なんとなくそんな気はしていたけれど、オーディションの結果学校の代表はうちの寮の一年生たちに決まったらしい。
「ヴィルくんああいう子たち鍛えるの好きそうだしなあ、」
合格した後輩たちに『メンバー全員でオンボロ寮で合宿をすることになった』と聞いて思わず苦笑してしまう。オーディションには落ちたが、オレ的には逆に良かったのかもしれない。みんなで合宿して、汗ながして、青春して、みたいなの、なんかオレっぽくないし。
けどまあ、他にやることもないし、とりあえず文化部の発表とやらには参加しなければならない。同じ軽音部のリリアに『おつおつ〜♪ カリムくんVDCに取られちゃったしさ、オレら二人でサブステライブ出ない?』みたいなメッセを送って小さく息を吐く。うちの寮長兼実行委員長様にお願いすればサクッと出場させてもらえたりしないだろうか。
談話室の一番大きな机に文化祭のさまざまな書類を広げて唸り声を上げている寮長に紅茶を差し入れる。「ああ、ありがとうケイト」と言いながら顔を上げた彼は、トレイと同じく少し疲れたような表情をしていた。
「リドルくん、大変そうだね〜、」
「まあ、ね。でも我がハーツラビュル寮が運営の総指揮を任されたんだ。手を抜くわけにはいかないよ、……VDCに出場しない分ケイトにも手伝ってもらうからね」
疲れていても寮長としての鋭い表情は変わらない。「あはは〜、ですよね〜」と笑うと「本当にわかっているのかい?」と訝しげに目を細めて睨まれた。
「でもほんと、無理しちゃダメだよリドルくん。どんどんトレイくんを頼って良いし、オレもまあ、少しは手伝うし」
「ありがとう、問題ないよ。僕は運動部で、トレイやケイトみたいに部の出し物があるわけではないから余裕があるしね。……そういえば、軽音部の出し物はどうするんだい? カリム以外はVDCに出場しないそうだね」
こちらが話題を出す前にその話をしてくれたのはありがたい。「そう、その話をしに来たんだ」と頷くと、真面目な実行委員長は姿勢を正して「何か問題でも?」と真剣な表情をする。
「いや、問題ってほどのことじゃないんだけど……残りの軽音部……まあオレとリリアちゃん二人だけなんだけど、出場できるなら二人でサブステのライブ出ようと思ってるんだけどどうやって申し込みすれば良いのかなって思ってて……」
「なるほど、そういうことなら多分まだ枠は空いていたから今から申し込みすれば問題なく出場登録できると思うよ。……ちょっと待っていてくれ今申請書を探すから、」
「あ、申請したら全員出れちゃうタイプなんだ、こっちもオーディションとかあるのかと思ってた……それか抽選とか」
「みんなVDCの方に出演したがるからこちらに申し込む生徒はあまり居なくてね、オーディションや抽選を行うどころか出場者が集まらないから参加のハードルを下げてるくらいなんだよ。魔法士養成学校の生徒が含まれているグループであれば文化祭に参加しないハイスクールの生徒も出場できるし、」
賞金が出たりすることはないんだけど、と言いながらリドルは書類の束をペラペラと捲る。と、ひらひらと机に置いてあった紙が舞い、オレの足元に落ちた。
「落としたよリドルくん〜、」
拾い上げてちらりと紙を見て、思わず目を見開いてしまう。どうやらサブステージに出演する他校の生徒の申請書らしきそれには参加バンドのメンバーの名前と顔写真が記載されている。そこに書かれた名前と写真は間違いなく……、
「ああ、すまないケイト……、あっ、それは……」
「……リドルくん、これってもしかして……」
「……ケイト、今の書類は見なかったことにしてくれないか……? 他校の生徒の個人情報を……もっと厳重に管理しておかないと……」
「いや、うん、大丈夫、大丈夫、気をつけてね、リドルくん」
頷きつつも多分きっと内容を忘れることはできないから、心の中で密かにリドルに謝った。心臓がバクバクと音を立てる。書類に貼り付けられた顔写真が脳裏から離れない。
リドルから手渡された申請書をできる限りいつも通りを装いつつ受け取り、足早に談話室を離れる。自分の部屋に戻った途端、オレはズルズルと床に座り込んだ。
「こんなことあるぅ?」
予想外の事態にまだ理解が追いつかない。
見間違えでなければ、数週間後、彼女がナイトレイブンカレッジに来る。
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深いため息を繰り返しながら、リドルから引き継いだ文化祭パンフレット用の写真の選定を進める。データ作成と印刷は最終的にはイグニハイドとオクタヴィネルに任せるらしいけれど、細かい原稿作りなんかは実行委員で行うらしく、改めて作業の膨大さに目眩がしてくる。「写真選びもイグニハイドにやってもらったら?」とリドルに聞いてはみたが、どうやら一度イデアに頼んでみたものの断られてしまったらしい。「構図や画質の良し悪しは分かっても使って良い写真かどうかなんてこっちじゃ判別つきませんし」というクラスメイトの声がどこかから聞こえてくる気がして思わず苦笑した。
総合文化祭は外部からも来客が来るらしいから、あわよくばあの子を誘えたりしないかなと思っていなかったわけでもない。まあ多分、こんな遠い場所に誘うなんて逆に迷惑でしょというもう一人のオレが尻込みして実際に誘うことはないのだろうけれど。だから、彼女の方からここへやってくる手筈を整えているなんて、なんというか予想外だった。オレが誘わなければ彼女はここまでやってくるはずがないと思っていた。正直予想外だ。
嫌なわけではない、会いたくないわけでもない、けどこの前会った時はそういう話は一切出なかったし、二日に一回くらいのペースで送られているメッセにもナイトレイブンカレッジに行く予定だということはおろか、学校のある賢者の島の話題すら出たことがない。まだあんまり出場すること言っちゃダメなのかな、だとしても『出るかもしれない』みたいな相談すらされないなんて、オレはこういう場面で彼女に頼りにされないんだと実感して落ち込む。年上として、少しは頼られていると勝手に思っていたから、余計に。
秘密にされたことを気にして拗ねるなんて子供みたいだ、と思わなくもないけれど、別にそれに関して彼女に文句を言ったりはしていないし、態度には出していないつもりだから許されたい。……と思っていたから、昼休みの食堂でトレイに「お前、機嫌が悪いときわかりやすいな」と声をかけられた時は思わず目を見開いてしまった。
「うそ、顔に出ないようにしてたのに!」
「……本当に機嫌悪いのか?」
「え、カマかけたの? トレイくんそういうとこあるよね〜」
「はは、すまんすまん、顔には出てないよ、」
でもなんか雰囲気でわかるんだよ、と二年間同室だった彼は笑う。「まじか〜」と小さく呟きつつ、ぐるぐるとスープの入った皿をかき回すと隣に座ったトレイはこちらを見ることもなく「それで?」と続ける。
「で、なんでそんなにご機嫌斜めなんだ、『けーくん』は」
「そういう言い方やめてよ〜、別に機嫌が悪いわけじゃないし、」
あはは、と笑うと、側でオレたちの話を聞いていた一年生が「あの、」とこちらへ声をかけてくる。
「ダイヤモンド先輩、やっぱりちょっと怒ってるんすか?」
「えっ、なんで?」
オレ、やっぱりなんか怖い顔してた!? と慌てて頬に手を当てるとデュースは「いや、そういうんじゃなくて、」と首を左右に振る。
「えっと、顔には出てないんですけど、なんとなく、」
よく他の一年生に「鈍感だ」と言われている彼にまで察しがついているとは、なんだか情けない気分になって、それを誤魔化すために「そういえばデュースちゃん合宿はどう?」と話題を逸らした。渋い顔をした後輩はどうやら色々合宿に思うところがあるらしい。なんでも食堂の中でも決まったメニューしか食べてはならないらしく、野菜と豆の乗ったトレーを手にため息をついているから、申し訳ないけどなんだかちょっと面白くて笑ってしまった。
機嫌が悪いわけでは無い。ただちょっと……いやかなり、戸惑っているんだ。一度離れて以来これまで交わることのなかった線が、また重なる日が来るなんて、初めてだから、どうすれば良いかわからない。ぐるぐるとかき回されたスープはすっかり冷めてしまっている。
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彼女の動画がまた投稿された。いつもは文章は一切添えられていないのに、今日の投稿には『#全国魔法士養成学校総合文化祭のライブに出ます』と一言だけ書かれている。なんだか無性にイライラして、スマホを放り投げたくなるのを必死で堪えた。……機嫌が悪いわけではない、なんて大嘘だ。