Somebody To Love

Keep Yourself Alive

 その日は気温は低いがよく晴れていた。時間があったら外をゆっくり歩くのに最適な日だな、なんて思ったりしたりして。
 待ち合わせ場所の駅前の広場はミドルスクールに通っていた頃の記憶よりも周りに少し建物が増えてごちゃごちゃしている。『映える』とはとても言い難い駅だが、十分ほど歩いて住宅街の方へ行くと個人経営のこじんまりとしたカフェが数軒ぽつりぽつりと看板を出しているのだ。スマホを取り出して今日行く予定の店を再度確認する。数分前に店主がマジカメを更新していたから、多分今日はそこまで忙しくないのだろう。おそらくまだ席は空いている。
 しばらくぼんやりスマホの画面を見ていると「ケイトくん、」と声をかけられた。久しぶりに電波越しじゃない声を聞いた。けれど、どれだけ長い間聞いていなかったとしても、この声を聞き間違えることは無いんじゃないかと思う。少し高めで落ち着いた声色というわけではないが、耳によく馴染み心地良い。
「お待たせしてすみません……!」
「大丈夫大丈夫、まだ約束の五分前だよ〜」
 ひらひらと手を振りながら彼女の頭の先から爪先を怪しまれない程度にまじまじと見る。淡いベージュ色のコートも、分厚くて暖かそうな生地のロングスカートも、彼女によく似合っていた。背丈は記憶とそう変わらない。が、なんだか綺麗になった、気がする。少しだけ化粧をしているからだろうか、長い髪を緩く巻いているからだろうか。普段のオレならこういう場面でオシャレしてきた女の子を目の前にしたらすぐに「今日の服いいね、」とか「髪巻いてるの似合う〜、かわいいよ」とか言うんだけど、いまは一瞬言葉が出なかった。今こそそういうことを言うべき時だろうと思うんだけど、こういう時に限っていつもよく回るオレの舌は使い物にならなくなってしまう。
「ケイトくん、寒くないですか?」
「あー、ちょっとだけ? そういえば風強くなってきたね」
 急いでお店行こっか、と声をかけると彼女は笑って頷いた。ここは手を差し伸べて指を絡めた方が良いのかな、なんて考えて手を伸ばす。が、隣の女の子はそれに気がつくことなく一人で歩き始めた。何でもないようなフリをして宙を彷徨った自分の手をポケットに仕舞い込む。まあそうだよね、たぶんまだそういうことするのは気が早すぎる。

♦︎

 住宅街の片隅にある小さなカフェは予想通りお洒落でレトロな雰囲気でほっとする。歩く度にギシギシと鳴る床板も古い建物っぽくて良い感じだ。思わず内装を写真に撮ってしまう。店内の隅にはラッパ型のスピーカーがついた蓄音機が置かれていて、上でレコードがくるくると回っている。レコード自体はミドルスクールの軽音部の部室にいくつも置いてあったけれど、実際に音を鳴らしている様子を見るのは初めてだ。
「……、これ、」
聞いたことがある曲だ。確かがたまに部室で流していた。あの時はレコードではなくスマホから流れる音源だったけれど。思わず曲名を呟くと、隣の彼女は心底嬉しそうに笑った。
「覚えてたんですね」
「そりゃ、まあ、ね」
何だか少し照れ臭くなって思わず目を逸らした。ちょっとレトロなギターの音が店に馴染んでいる。
そうしているうちに「お待たせしました」と店員のお姉さんに2階の席に案内された。音のなる階段の床板が抜けないか少しヒヤヒヤしたがどうやら問題なさそうだ。座った席は窓のすぐそばで、外の景色がよく見える。空は晴れているはずなのにはらはらと雪が降り始めて、古い建物はひんやりと温度が下がっていく。パスタがピザにしようかと思っていたけれど、温かいものを頼もうか、と席に置かれたメニューを開いた。
「好きなもの頼んでいいよ〜、今日はけーくんの奢りです☆」
「ほ、ほんとにいいんですか?」
「うんうん、勿論。というか逆にごめんね、CD借りっぱなしになってた上にこんなところまで呼び出して……、」
「いや! それは全然……! むしろ誘ってもらえて嬉しかったので……、ありがとうございます、」
「あはは、オレがお礼言うべきところなのに、なんか変な感じ」
そう言って笑うと、彼女も嬉しそうに目を細める。側から見たら今のオレたちはどう見えているのかな。仲の良い恋人同士みたいに見えているのだろうか。それが良いことか悪いことかはオレ自身では判断つかないけれど、少なくとも今、そう思われていたとしても悪い気がしないことだけは確かだ。
「何頼もっか、マジカメに載ってたここのパスタとピザ、良い感じだったんだよね〜」
「どっちも美味しそうですね……、あ、かぼちゃプリンもある、」
「食べる? いいよ」
「どうしようかな、食べきれないかも、」
そう言ってはクスクス笑う。こんな飾り気のないプリン、流石に頼むのを止めることは無いけれど、一緒に食事する相手に勧めることは絶対に無い。けれど今は「頼んだら? 食べきれなかったらオレが食べてあげるし」と自然と口から出てきた。甘いものなんてできれば食べたくないのに。他の女の子とのデートだったら絶対そんなこと言わないのに。そんな風にしてまでこの子の喜ぶ顔が見たいのかな、オレは。

 食事も飲み物も美味しかった。焼きビーフシチューとかいうグラタン皿に入れたシチューにチーズをかけて焼いた食べ物は冷えた身体を徐々に温め、ホットコーヒーを口にする頃はすこし背中に汗をかいていた。結局注文したかぼちゃプリンはなんだかんだ言いつつほとんどが彼女の胃の中に綺麗に消えそうだ。「食べますか?」と最後の一口を差し出される。
「た、食べ……?」
「あっ、ごめんなさい、食べ物のシェア苦手な人もいるからあんまりするなってアルとかにもよく言われるんですけど……」
「いや、苦手っていうか、ちょっとびっくりしたよ、うん」
久しぶりに名前を聞いたミドルスクールのクラブメイトの名前に苦笑が漏れる。たしかに、彼女ならそういうこと言いそうだ。確かにオレも他人と同じ皿から物を食べるのは得意な方ではない。最近は寮のお茶会だとか学校のセルフ形式の食事だとかでそういう機会が多いからかなり慣れてきた方だと思うけど、本来ならこういう場面では一切悩んだりすることなく自然に断っていると思う、多分。唐揚げとか複数皿に載ってるものを分けるならまだしもプリンひとつだし。だけど今日は、目の前の子の女の子に「でも、よかったら一口食べて欲しいです、美味しいので」と言われて素直にカラメルのかかったそれを口にしてしまっていた。自分でもなんだか不思議な気分になる。口に入れたオレンジ色は思っていたほど甘くない。

♦︎

 久しぶりだとは思えないくらい穏やかな時間だった。もっと緊張したり、喋れなくなったりするのかと思っていたが、そのようなこともない。彼女がミドルスクールを卒業した後の進学先の話を聞いていたら話題が尽きることもなかったし。どうやら今は電車で数十分ほどの距離の女子校に通っているらしい。一瞬ほっとしたけれどこの子が女子にモテないとは限らないから手放しに喜ぶことはできないし、「たまに他所の学校の軽音部の子と合同でライブやったりするんですよ」「近くの魔法士養成学校の子もいるんです、ナイトレイブンカレッジほど名門というわけではないけど……」と言っていたから全く油断はできない……油断って何だ? オレはこの子に何を求めているんだろう。自然にそう考えていた自分に密かに動揺していると、逆に「ケイトくんの学校ってどんな感じなんですか?」と聞かれ、空を飛ぶ授業と思ったら延々とグラウンドを走らされた話や、教室に猫を連れてくる先生の話をしたりした。
ティーポットになみなみと入っていた紅茶が空になる頃、「お席、二時間制なのでそろそろ……」と店員に声をかけられた。気がつけば2階の席にも数組の客が入り、満席だ。外を見ると振っていた雪はすっかり止んでいる。
「わ、結構長居しちゃったね。ちゃんこの後どこか行きたいところある?」
そう問いかけると彼女は少し考えるような素振りをしてからゆっくりと躊躇いがちに口を開いた。
「……あの、ケイトくんについてきて欲しいところがあって」
「ついてきて欲しいところ?」
「あっ、時間がなかったり気が向かなかったら全然大丈夫です! ちょっと歩くし! 外寒いし!」
「いや、暇だから全然大丈夫だよ〜、どこ行くの?」
「えっと、駅の反対側なんですけど……、」
この辺です、と彼女がスマホの地図を指差して示すのは駅のそばの商店街を通り過ぎて少し歩いた先だ。この近くで一年暮したがそこまではあまり行ったことがない。
「いいよ、雪止んだしちょっと散歩しようよ」
「あ、ほんとだ、」
二人窓の外を見て笑い合う。日差しがあるから雪は積もらず溶けている。

♦︎

 地図で見た時も変な場所にあるなと思っていたが、実際に訪れたその場所は想像以上に変な場所だった。木製の看板は最初の文字が掠れて読めない。店頭のショーウィンドウのガラスは汚れて曇っている。ガラスの中にはボロボロのケースに入れられたトランペット、ギターを持った陶器の人形が飾られていた。人形は目の部分の塗装が剥げていてよくよく見るとすごく不気味だ。
「……ちゃん、本当に目的地ここであってる?」
「はい、大丈夫……です……たぶん」
問いかけると、返事をする彼女の声が徐々に小さくなっていく。怪しすぎる店だが、ずっとここで立っていても身体が冷えるばかりだ。恐る恐る手を伸ばしてボロボロの木戸を押すと、ギイイと音を立てて扉は開く。中は埃っぽく店員の姿はない。壁一面を覆う棚にはごちゃごちゃと様々な本が置かれていた。よく見るとそれらは全て楽譜や楽器の教本だということに気づく。そうして周りにはいくつものギターやベース、そしてアンプ。それに少しだがオーケストラやブラスバンドで使われるような管楽器や弦楽器も置かれている。
「ここ……楽器屋?」
「はい、ここは新品もいくつか置いてるけど、中古の取り扱いが多い店みたいなんです」
「へえ〜、」
確かに、置かれたギターをよく見ると前の使用者がよく手で触っていたであろう部分の塗装がうっすら剥げている。オレ自身の楽器も譲ってもらったものだからとやかく言う権利はないけど、こんな使用感のあるものを買う人もいるんだなあ、とどこか他人事のように思う。まあ古着屋とかと似たようなものなのかな。オレはあんまり買わないけど。埃っぽい店内をじっくり見ながら歩いていると、彼女がふと足を止めて「あ、」と声をあげた。目的のものを見つけたのだろうか。思わずオレもその視線の先を覗き見る。他のギターとは少し離れた位置に飾られているそれはどこか見覚えがある形をしていた。
「ケイトくん、これ覚えてますか?」
「あ、これ、……オレと同じやつ……の色違い?」
「そう! ケイトくんが先生に譲ってもらったの見た時からずっと欲しくて……、でもなかなか見つからなくて……、」
ネットで検索してついにここに置いてるって情報を見つけたんです! と彼女は少し誇らしげだ。サブスクの使い方すらままならなかった昔の彼女のことを考えると、結構な進化だ。そこに置いてあったオレのものと色違いのギターは確かに古いものだが丁寧に扱われていたようで状態はとても良い。「よかったね、」と笑いかけたが、それは『そのギター自体が気に入ったから』欲しかったのか、『オレとお揃いだから』欲しかったのかは、聞くことができなかった。
他のギターは自由に触れるようになっているが、このギターだけは防犯のための鎖がつけられているから手に取ることができない。しばらく前後左右からただただそれをまじまじと見ていると、ようやく店主がオレたちの存在に気が付いたらしい。女性なのか男性なのかよくわからない老店主は「いらっしゃい」と声をかけた後、オレたちの見ているギターに視線を向けて「おや、」と呟く。
「珍しいね、若い子がそれに興味を持つなんて。なかなか古いギターだよ、それは」
「そ、そうなんだ」
今自分が使っているギターもこれだとは言い出し辛くなってしまって苦笑する。そんなオレに反して、店員に「これ、弾いてみても良いですか?」と問いかける彼女はいつも以上に生き生きしている。
「そうね、良いよ。でもお嬢さんの手ではこれじゃネックが太くて演奏しづらいかもしれない、」
「……たしかに、」
ギターを弾く人間にしては小さめな彼女の手はしっかりとした太さのこのネックを上手く握れそうにない。「まあ弾いてみるだけなら構わないけど」と鍵を外され展示用のケースから取り出されたそれはなんだかオレのものより重厚感がある気がする。
「結構重たいんですね、これ」
「そうなの?」
「ああ、売る前に色々カスタマイズされたものだからね、正規のものより重たいかもしれない」
なるほど、と呟き彼女は弦を鳴らす。どこかどっしりとしたクラシカルな音色だ。ほう、と小さく息を吐くと、彼女は嬉しそうに笑う。
小柄な彼女が大きなギターを抱えているアンバランスなところが逆にバランスが取れているようにも見えた。古いギターでは珍しい色合いも何だかこの子にしっくりくる。……だけど、彼女の手ではやはりFのコードに手が届かない。深く息を吐いた彼女は、唸り声を上げながらも、丁寧に肩からベルトを外す。
「……考えます、もう少し」
しょんぼりと眉を下げて、は店主にギターを返す。諦めます、じゃないんだと密かに思う。なんだか意外だ。彼女は割と諦めるのが早いタイプだと思っていた。名残惜しそうにガラスケースの中身を見つめる彼女は、昔と根本的な部分は変わらないけれど、あの時オレの手を放した彼女とは何だか少し違う気がする。きっとオレの方もそうなんだろう。自分では変わっていないような気がするけれど、いろんな部分が変わっている。その変わった部分が他とうまく噛み合っていくのか、それともズレてしまうのかはよくわからないけれど。