別にミドルスクールを卒業後に、ガールフレンドを作らなかったわけでは無い。ナイトレイブンカレッジは男子校だけど、休日に街に出れば若い女の子もそれなりに居るし。自分で言うのもなんだけど、俺は明るくて好かれやすい雰囲気だから、マジカメ映えするスイーツを扱うカフェとかを訪れたら、近くの席に居た女の子やそこでバイトしてる女の子と仲良くなって告白とかされるわけだ。来るもの拒まず去るもの追わずのスタンスで生きてるから「付き合って」と言われると大抵の場合「いいよ」と返してしまう。そうしてそのうち、向こうから告白してきたはずなのに「私のことそんなに好きじゃ無いよね」と別れを告げられる。まあ、昔からそのパターンを何度も繰り返してきたから慣れてるといえば慣れている。
昔と違うところといえば、かつては誰かに「付き合って」と言われる度に特別な人物を思い浮かべたりはしなかったけれど、今はそう言われたら「付き合って欲しいとかじゃなくて、好きって知って欲しかっただけ」と目を細めた彼女を思い出す、ということくらいだろうか。「私のことそんなに好きじゃ無いよね」という指摘は、まあ昔もたぶんそうだったんだけど、今は確実にそうなのだ。
♦︎
つまりまあ、オレは別に良い人ではないし、『他人のために』なんて言葉はオレみたいなやつじゃなくてそれこそロイヤルソードアカデミーなんかに通ってるようなやつの言葉だろと思っている。自分のことで精一杯で相手の気持ちを汲めていなかった時とか両手両足数えても足りないくらいあるし。
だから、廊下を歩いてる最中に「助けて」とかいう声が聞こえてもあんまり振り返ったりしない。錬金術の授業で失敗して大鍋が爆発したとかでしょ、たぶん。それくらいならきっとその場にいる先生がなんとかしてくれるはずだ。適材適所ってやつ。向いてないんだよ、そういうの。
なんで急にこんなことを思い始めたかというと、校内の廊下を一人で歩いている最中に、窓の外の塀から降りられなくなっている一匹の猫を見つけたからに他ならない。いつも魔法史の教室で独特な鳴き声を上げているずんぐりむっくりな目つきの悪い猫・ルチウスはそこそこ大きな身体を揺らして前足を伸ばしたり身体を小さく縮こまらせたりしているが、上手くそこから移動することはできないようだ。ぼんやりとその様子を見ているうちに、金色の猫目とパチリと目が合う。
「……降りたいの?」
声をかけるとルチウスはぉああだかゔぁあだかよくわからない鳴き声を上げる。首を捻って考えてもこの猫の言いたいことはよく分からないが飼い主の言うところによるとルチウスは『この世で一番強くて賢い猫』らしいから、まあ大体オレの言いたいことは理解しているんじゃないかなと思う。天気が良いからそのままにしておいても風邪を引いたりはしないだろうけど、と思いながらもマジカルペンを胸ポケットから取り出すと、ふわふわの生き物は目を閉じて大人しく丸くなった。
前にもこんなことあったっけ。ふう、と息を吐く。物を浮かべる魔法は何度も使った、基礎中の基礎だ。どうすれば良いのかは分かっている。いつだったか雨の中で子猫を助けた時とは状況は違う。うまくいくはずだ。その毛玉がふわりと浮かび上がってツルツルに磨かれた廊下の床の上にそっと落ちる様子をイメージする。浮かべ、浮かべよ、頼むから、祈るように、念じた。そうしているうちに、ふわり、と自分の体重が一瞬無くなったかのような心地になる。オレ自身の重さはすぐに、ズン、と元に戻ったが、代わりに目の前の猫はその巨体に見合わない軽さになっている。頭で想い描いた通りに、小さくも大きな生き物は浮かび上がって、柵を超えて、窓枠を超えて、そっと床の上に落ちる。重力が戻る。少しよろめきながらも目の前の猫はのそりと立ち上がった。
もう一度息を吐いて、「もうあんな変なとこ行っちゃダメだよ」と言いながらそのふわふわを撫でてやっていると、廊下の向こう側から「おや、」と声が聞こえる。ルチウスの飼い主であるモーゼズ・トレイン先生だ。
「あ、トレイン先生……、」
「ルチウスが素直に撫でられているのは珍しいな、この子はのんびりしているように見えて存外警戒心が強い」
独特の鳴き声を上げのんびりと欠伸をする猫に警戒心なんてあるのかと少し疑問に思うが。飼い主のところに戻りたいのだろうか、もぞもぞと前足を動かす猫を撫でるのをやめてやると、スリスリと先生の足元に擦り寄っていく。身を屈めて大事な猫を抱き上げたトレイン先生は猫の鳴き声に耳を傾けた。
「ふむふむ、なるほどなるほど、」
自然と猫とか会話するトレイン先生を見ていると思わず「分かるんだ……、」と声が漏れてしまう。動物言語学の成績は悪いわけではないがこの猫の鳴き声は独特すぎていまいちきちんと聞き取れたことがない。
「……ダイヤモンド、ルチウスが『困っているところを助けてもらった』と礼を言っている。私からも礼を言おう、ありがとう」
「いや、オレもたまたま見つけたからだし……、」
猫の言葉ではなくこうやって面と向かってお礼を言われるとなんだか照れ臭くて思わず目を逸らしてしまう。生徒のそのような態度には慣れているのか、先生はオレを咎めることなく穏やかな声で「ふむ、」と続けた。
「たまたま、ではあるが、見つけてくれたのは君だろう」
「でも……、知らずに通り過ぎた人が悪いわけじゃないと思うんですけど……、」
「その通り、知らぬことは罪では無い。が、知っていても知らぬふりをする者は大勢居る」
「そりゃあ、まあ……」
「知らぬまま、知ろうとしない者も同じくらい居る」
「確かに……」
「己の無知を言い訳にする者もな。……無知を言い訳にするべきではないぞ、ダイヤモンド。よく心得ておくように」
「は、はい……」
褒められたのか説教をされたのか結局よくわからなかったが、先生は先生なりにためになる話をしたつもりらしい満足気に猫の顎の毛を撫でている。ゴロゴロと喉を鳴らす猫と目を細める魔法師の教師に一礼をして、寮へ戻る。
♦︎
「無知を言い訳にするべきではない、か」
寮に戻り、ベッドに身を投げて、先程先生に言われた言葉を反芻する。知らないことを言い訳にして目を逸らしていたつもりはないけれど、なんだか妙に頭に引っかかる言葉だった。ふと、未だうさぎのスタンプで止まっている彼女とのメッセージを再び開く。
だって、オレは今ちゃんが何してるか知らないし。
これも『無知を言い訳にして逃げている』ということなんだろうか。
ベッドの上で微睡みながらも、ふと思う。そういえばすっかり確認するのを忘れていたけれど、ミドルスクールの軽音部の顧問の先生が猫好きで強面の先生ってトレイン先生のことだったのかな。最早今更確かめる術は無い。……いや、本人に聞けば良い話なんだけど。思いの外、『知らないから別にいいや』で済ませていることが多くて思わず笑ってしまう。
まあでも、トレイン先生はああ言ってたけど、別にいいんじゃないかな。世の中『知らない方がマシだった』って思うようなこと、多分結構あるでしょ。