Somebody To Love

I Want to Break Free

 ナイトレイブンカレッジの三年生に進級してしばらく経った頃、ミドルスクール最後の一年を過ごしたあの街を離れることになった、と家族から連絡があった。二、三年で引っ越しするなんて珍しいことではないが、これからは帰ったことも無い家が『実家』になるんだなと思うとなんだか複雑な気分だ。『ケイトの部屋の荷物、私たちで段ボール入れて良い?』という母親からのメッセージに『勝手に物捨てたりしないならいいよ』と返事をして寮のベッドに身を投げ出す。触られたら困るものは全てここに持ってきているから、勝手に荷造りされるのは問題ないけれど、前に姉がいつの間にか捨てていたオレのヴィンテージのキャップを巡って大喧嘩したことがあるからこういう念押しは重要だ。姉にとっては色褪せた古いキャップでしかなかったようだがオレにとっては何件も古着屋を巡ってようやく見つけた一点モノだ。他人とこういう価値観をすり合わせるのは面倒くさくて難しい。今は姉たちもオレもお互い大人になって自分の価値観を相手に押し付けるようなことはしなくなったけれど。
 そう思うと、ミドルスクールの最後の一年を一緒に過ごしたあの子と居る時は、価値観のズレとかそういうものを気にする必要無くて楽だったなと思う。ただ単に彼女がそういうセンシティブな部分に踏み込んでこなかったからそう感じただけなのかもしれないけれど。家族が引っ越すということは、もうホリデーなんかであの子のいる街に戻ることはないんだなあ、だなんて感傷に浸ってしまう。本当は年に数回実家に戻るときに会おうと思えば会えたけれど、あえてそうはしなかった。会いたくなかったわけでも、嫌いになったわけでもなかったけれど、ただ単にメッセージを送るきっかけが見つけられなかっただけ。そうやってきっかけ探しをしているうちにこれまでの『友達』との縁は薄く儚いものになっていくのが常だった。彼女も同じ。付き合おうと言い合って恋人同士になったわけではないから他愛のない内容のメッセージを送り合うほど距離が近いわけでもないし、かといって別に特別メッセージを送りたくなるような用事があるわけでもない。彼女が何をしているのか知らないから『ただなんとなく』という理由では連絡を取ってはいけない気がするし、躊躇ってしまう。じゃああの時、お互いがお互いのことを好いていると思ったあの時に、あともう一歩踏み出して関係を進めておけばよかったのかな、とも思うけれど、それもなんか違う気がして。なんとも言えないもやもやとした気持ちになって、過去にマジカメに届いたメッセージを遡る。俺から送った親指を立てたウサギのスタンプを最後に止まっている彼女とのやりとりをしばらくぼんやりと眺めて、何も送らずアプリを閉じた。

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 そんなオレの感傷を他所に、ナイトレイブンカレッジでの日常はいつも通りに進んでいく。ゴーストや魔物や失敗した魔法の残骸なんかが飛び交っている状態が普通かどうかと聞かれると首を傾げてしまうが、それもまあ、この学校では『いつも通り』だ。
今日も俺の所属する軽音部の部室にお菓子が常備されていることを学習してしまったオンボロ寮の魔物・グリム(と保護者の監督生)はスカラビア寮の寮長・カリムの持ってきた熱砂の国のお菓子に目を輝かせている。……当然ディアソムニア寮の副寮長・リリアのリコリス飴は少し遠ざけられているけれど。
カラフルでねっとりとした質感のバターとゼリーの中間のような食べ物で前足と頬の辺りをベトベトにしながらグリムはこちらを見上げて口を開く。
「そういえばケイト、オレに『コイバナ』を分けて欲しい欲しいんだゾ」
「恋バナ!?」
猫のような魔物とはおおよそ結びつかない単語に思わず目を瞬かせてしまった。様々な色の菓子の食べ比べに集中していたカリムとリリアと監督生もこちらに視線を向けている。「えっと、グリちゃん、恋バナって意味わかってる?」と恐る恐る聞くと、魔物は「フフン、オレ様を舐めないで欲しいんだゾ」と自慢げに胸を張った。
「エースが言ってたんだゾ、『ケイト先輩なら恋バナの一つや二つくらい隠し持ってるはずだ』って。……コイバナってなんなんだ? 美味いのか?」
どうやらこの生き物は恋バナのことを何か美味しい食べ物だと勘違いしているらしい。四人で思わず顔を見合わせた。どういう流れでうちの寮の一年生とそんな話になったんだろう、思わず苦笑してしまう。
「あ〜、グリちゃん、恋バナっていうのは食べ物じゃなくてね、」
「ふなっ、違うのか? くそう、エースのやつ、また騙されたんだぞ……。やっぱりコイバナって怖いものなのか?」
グリムは不服そうだが、ぽこぽこと怒っている小動物はなんだか可愛らしい。グリムのそばに移動したカリムはその柔らかい毛をふわふわと撫でた。
「エースちゃんが嘘をついてたのかグリちゃんが話聞いてなかったのかはわからないけど、恋バナっていうのは怖いものでもなくて、」
「好きなやつの話、だな!」
「む、エースは『オレはあんましたくない』って言ってたぞ、好きなやつの話なのに話したくないってどういうことだ?」
「悪いことじゃないんだけどね〜、恥ずかしかったのかなエースちゃんは」
「ふむ、好きになる事は悪いことでも恥ずかしいことでもないぞ、人間の持つ当然の感情じゃ」
リリアは指を振る。空になりかけていたマグカップに再び飲み物が注がれた。どこか古めかしい口調の彼は目を細めて足を組み直す。
「そう恐れずとも良い、楽しいものじゃ、コイバナは」
「うん、オレも恋バナ聞くの大好き〜♪」
「ほう、ケイトは聞き役なのか。何か話したいことはないのか? 例えば本来は好き同士であったのにのっぴきならない事情で離れ離れになってしまった二人の話とか」
「離れ離れに? 好き同士なら一緒に居れば良いのになあ」
「あはは〜、」
身に覚えがありすぎてカリムの言葉を肯定することも否定することもできない。そんなオレの様子に気がついたのか、どこか目敏い異世界からのストレンジャー・オンボロ寮の監督生はぱちぱちと目を瞬いた。
「居るんですか? 好きだったけど別れちゃった人」
「さあ、どう思う?」
できればこの話は掘り下げたくなくて、曖昧な言い方をして誤魔化した。そうして「そういえばカッコいい曲マジカメで見つけたんだけど、カリムくんこういうの好きだよね〜」と動画を流し始める。話題と場の空気を変えるのが得意な性質でよかった。マグカップを傾けるリリアはすうと意味深に目を細めたままだけれど、気づかないフリをする。

 昔読んだ絵本によると『さよならを言うのがつらい相手がいるのは幸せなこと』らしい。そんなわけないだろ、と思う。『さよなら』は何度だって寂しいし、苦しいし、幸せだって思ったことなんか一度もないよ。︎

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 久しぶりに奇妙な夢を見る。

 そこではオレは二人居て、まるで双子みたいにどちらがどちらか区別がつかないのだけど、一人のオレはもう一人のオレとは全く意見が合わないのだ。
昔よくみていたこの夢は、オレ自身のユニーク魔法を示唆していたものなのだろう、とは思うが、だからといって奇妙なことに変わりはない。『手札のオレ』は大抵『オレ』の言うことを聞いてくれるからいがみ合うことなんかないし。

 今夜のオレは誰か会いに行きたい人が居て、もう一人のオレはその人には会いに行かない方が良いと思っているらしい。……いや、会いに行かない方が良いというよりも、会うことを恐れているのだろうか。何も怖いことはないだろうというオレに、もう一人の臆病者なオレは「でも、」と目を伏せる。「会いたい」と簡単に口にできるようなタイプの人間であったなら、もっと違った未来もあったのかな。マジカメの投稿にいいねすら送らなくなってしまった遠い昔のクラスメイトとだってもっと長いくて深い関わりが持てていたのかもしれない。けれどそんな長くて深い関わりをたくさん持ち続けることができるほどオレのキャパは広くはないし。一つずつ捨て置いていくくらいの方がちょうど良かったんだよ。……彼女のことだってそう。そのまま抱え続けていたらきっと潰れてしまう。思い出だけ大事にしまって持っておくくらいが丁度いい。

 少し大人になったオレともう一人のオレは今回は掴み合いの喧嘩にはならなかった。が、目が覚めた後どこかもやもやと釈然としない気分になって深いため息をついてしまったことは確かだ。