Somebody To Love

Crazy Little Thing Called Love

 案の定、というか、自業自得なんだけど、ひどい風邪を引いた。それも試験本番の前日に。ベッドに横たわり体温計をぼんやりと眺める。見たことのない数字が表示されている細長い機械を放り投げて、深々とため息をつく。よく考えなくても、子猫を助けたあの日、びしょ濡れのまま一日過ごしたことが原因だろう。その後も咳や鼻水には悩まされながらもそれなりに動けていたから騙し騙し生活し続けてきたけれど、ここへきて疲れも相まって限界に達してしまったらしい。不安そうな顔で薬を差し出してくる母親を部屋から追い出して目を閉じる。やっぱ試験は無理かな、無理そうな気がする。会場まで行けたとしても結果はボロボロだろう。だって今全然頭回ってないし。ここで受験失敗したらオレどうなっちゃうんだろう、中卒になっちゃうのかな、気苦労なく生きていけるのであればどこだって構わないから進学先にはそこまでこだわるつもりはなかったけれど、それは流石にまずい気がする。
 鬱々とした気分のまま眠りに落ちそうになっていたが、スマホの通知音で引き戻された。チラリと横目で画面を確認する。……からのメッセージだ。『明日の試験、頑張ってください』みたいなことが書かれているのだろうか。なんだか開いて確認するような気分にもなれない。が、指は勝手にいつも通りマジカメを開いてしまう。案の定、届いていたメッセージはやっぱり明日の試験に対する応援と、あとオレの体調を心配する一言が添えられていた。『最近体調良くなさそうだったけど大丈夫ですか? 終わったらゆっくり休んでくださいね!』って。
「絶賛今休んでるんだけど」
 自嘲が漏れる。なんだか情けない気分だ。だってオレはやたら軽音部に顔を出していたし、それどころか部室の猫を助けたことが原因で風邪ひいてるし。そのせいでオレの進路が狭まったと彼女に思われたら、責任を感じられてしまったら、なんか嫌だし。
 心配そうなメッセに何も返す言葉が思いつかなくて、親指を立てたウサギのイラストのスタンプだけ返した。

♦︎

 熱は下がったものの治ったのか治っていないのか、寝ているのか起きているのかもよくわからないような状態で受けた試験は、案の定、散々な結果だった。自己採点をしなくてもわかる、多分これは落ちている。正直試験が終わった後も体調は最悪だったが、家に帰る気になれなくて、かといって病院とかに行く気にもなれなくて、無意識のうちに学校へ足を向けていた。
誰かに会いたいというわけでも、何かがしたいというわけでもなかった。ただマトモに動いていない脳みそがここを目的地としたことだけは確かだ。ずるずると廊下に座り込む。夕方の学校は遠くから運動部が練習する声が聞こえるだけでとても静かだ。そのまま眠ってしまいそうになったその時、聞き覚えのある声が耳に飛び込んでくる。
「ケイトくん!?」
「……ちゃん、」
天使かと思った、なんて言ったら、普段のオレならなんと馬鹿なことをと笑うだろうけれど、ぐらぐら揺れる視界は一瞬彼女をそのように捉えてしまった。すう、と額に当てられた手の冷たさが心地良い。
「だ、大丈夫ですか!? すごい熱……」
「ん〜〜、また熱上がってきたのか……、大丈夫、じゃないかも。体調不良? ぽい?」
「試験……は……?」
「終わらせてきたよ、……まあボロボロだったけど」
自嘲気味に笑うと彼女は「そんな、」とオレ以上に落ち込んだ彼女を安心させるようにまた笑う。
「……いいんだよ、これで。他の人と比べてそんなに受験頑張ってなかった方だし、オレ」
それだけ言ってため息をつくと強く手を握られる。彼女にそんな風に触れられるのははじめてで、思わず目を見開いてしまった。いつになく厳しい表情をしている目の前の女の子は静かな……それでもはっきりとした声で、オレの目を真っ直ぐ見て口を開く。
「……貴方の努力を他人の物差しで測ろうとしないで。貴方が『自分は頑張っていた』と思ったら、貴方は頑張っていた、それでいいんです」
「……なんだよそれ、」
やめてくれよ、そういうこと言われたら、諦めきれなくなるだろ。手放すことは得意だったはずなのに、いつの間にこんなにも下手くそになってしまったんだろう。
「なんでそういう言い方するんだよ、関係ないでしょちゃんには、」
「か、んけいない、けど……」
「じゃあ放っておいてよ、迷惑なんだよね、そういうの」
「ッ、放っておきません!」
「……あのさあ、」
頭を抱える。こういう時、どうすれば良いんだろ。別に無視しても良いんだけど、泣かれると困るんだよね。またズキズキと頭が痛む。オレが何も言えずにいると、再び耳に届いた彼女の声は小さく震えていた。
「心配させて欲しいし、寄り添わせて欲しいんです……、ケイトくんが、好きだから、」
時が一瞬止まる。この子は、今、なんと言った? 確かに『好き』だと聞こえた。オレが呆けた顔をしていると、彼女自身も「……、ごめんなさい、こんなこと言うつもり無かったんだけど……、」と慌てたように顔を赤くしたり青くしたりしている。
「……嘘なの?」
「嘘じゃない! です! ケイトくんのこと好きなのは本当で、でも、だから、こんな場所でこんな風に言いたくなくて……、」
口の中がカラカラに乾いていく。これが高熱が見せた夢や幻覚だったらどんなによかっただろう。それでも未だにオレの手を握っている彼女には確かに質量があって、嫌でも現実なのだと思い知らされる。
「やめた方が良いよ」
ようやく口から出てきたのは彼女を突き放す言葉だった。今にも泣き出しそうな顔をした女の子は「どうして?」と首を傾げる。
「……オレ、優しくないしさ、そういうの無理だと思う」
「ケイトくんは、優しい人ですよ」
「……それはちゃんの思い違いだよ」
「でも、私あのとき見ていたんです、あのとき、雨の日に、助けてくれたのは、ケイトくんでした」
「それはさ、関係ないでしょ、オレ自身がどうこうしてそうなったわけじゃない」
「違う、違うの、」
彼女は首を横に振る。こんな顔させたかったわけじゃないのに。
「……ごめん、オレ、帰るね、頭痛いし」
握られた手を振り解く。彼女の体温が遠ざかる。これ以上話していてもこの子を傷つけるばかりな気がして、立ち上がって彼女の横を通り過ぎた。当然、引き止められる事はない。無理に踏み込んだり、追いかけたりしてこない、彼女のそういうところが『好き』だと思ったけれど、オレも振り返らない。

 彼女のことを嫌いになれたらどんなに楽だろう。オレがいつの間にか『好き』になってしまっていたあの子は、特に意識してなさそうなのにいつも甘くて優しくてふわふわしてて、そのくせ時々苦くて辛い。……見てるとこれまでオレが積み上げてきた虚勢みたいなものが無意味で馬鹿らしいものに思えてくる。自分がちっぽけで情けない存在に思えてくる。
「ああ、くそ、なんでだよ、」
漏れ出た悪態は誰に聞かれることもなく空に消えていく。

♦︎

 あの後家に帰ったオレは翌日の夕方まで目を覚ます事なく爆睡していたらしい。幾分かすっきりした頭でマジカメの他人の投稿をぼんやりと眺めて、そうしてまた寝た。そんなわけだから、受験の翌々日の朝になってようやくとんでもない失態をやらかしたとじわじわ実感してきた。絶対には嫌われただろうし、どう考えても試験の点数は合格ラインに達していないはずだ。ハイスクールの受験で失敗したらどうなっちゃうんだろう。高校浪人? 流石にそれはどうなんだろう、とぼんやり思っていたオレの元に思いもよらない相手から手紙が届いたのはそれから数日後のことだった。
真っ黒な封筒に印字された学校名はきっと誰もが耳にしたことがあるだろう。

「ナイトレイブンカレッジ、」
「そう、そんなに驚かないね、ロペスちゃん」
担任の教師に進学先が棚ぼた的に決まったことについて伝えた直後、職員室の前でたまたま出会ったロペスに進路について話した。なんとなく、だけど、他の軽音部の二人より彼の方が話しやすかった。
「ちゃん付けやめてください。そうですね、ダイヤモンド先輩はかなり魔力強い人だとと思っていましたし」
魔法の勉強なんてしたことがない僕でもわかるくらい、とロペスは頷く。そんな自覚全くなかったから「そうだったんだ……」と返すことしかできない。
「……これ、部長達には黙っておいた方が良いんですか?」
「あ〜、いいよ、君から伝えて。なんかオレから言うのも変な感じするし」
「……何かありました? 部長と」
「……別に、何もないよ」
何もなくはない、何もなくはないけれど、あれは他の誰かに言ってはダメだろう。歯切れ悪く目を逸らすと、賢い後輩はそれ以上何も聞いてこない。
「全寮制ですよね、あそこ。準備で忙しくなりますね」
「うん、でもまあ引っ越しは慣れてるから、夏はしばらく暇してるよ」
「……また部室来るんですか、」
「あーー、どうかな? ロペスちゃんは嫌?」
「……別に」
これまでのオレであれば「またまた〜、嬉しいくせに」とか冗談っぽく笑うこともできていただろうけれど、なんだか今はそんな気分にもなれなかった。