また部員が増えた。部員といっても一匹の猫なのだけれど。
文化部棟に迷い込んだ野良猫は、部員たちが頻繁におやつをあげるせいか軽音部の部室に居着いてしまった。まあ、小動物というものは可愛い。ドラムとベースの規則的なリズムを聴きながらうたた寝している姿を動画に撮ったらマジカメでちょっとバズった。……うん、かなり可愛い。日頃のストレスが溜まっているのだろうか顧問の先生も「猫撫でたい……」とふらふら部室にやってくるようになったから、オレ達二人だけで活動してた頃に比べて部室は随分と賑やかになった。にゃあ、と鳴きながら部室を歩き回る猫は、癒しを求めている先生よりも生徒たちに懐いているようでなんだか笑える。
そうしてゆるい雰囲気ではありながらも意欲的に活動できているからか、イベント開催の許可が降りやすくなったらしい。「先生が職員会議で屋外ミニライブで正門前広場を使用するための申請をしてくれたんです」と話すはとても嬉しそうだ。
「ミニライブ? そんなのやるんだ」
「はい! 入学説明会の時に! 新入生以外の人も結構観にくるイベントだからケイトくんにも見に来て欲しくて! あっもちろん試験前だから無理はしないで欲しいのですが!!」
なるほど、そういえば、そろそろエレメンタリースクールから次の年の新入生を招いて説明会を行う時期だ。によると毎年ブラスバンド部や合唱部は会の前後に広場でコンサートをしているらしい。すごく早い時間や遅い時間でも良いからと頼み込んでスケジュールを組み込んでもらえたのだとか。……変な時間だと聴きにくる新入生も少ないんじゃないだろうか、と不安になるが、「こういうのは『何人が聞いているか』より『誰が聞いているか』のほうが重要なんだよ、軽音部が刺さる人に聞いてもらえればそれでいい」と隣で猫を撫でながら話を聞いていたドラマーが笑うから、なるほど、と納得してしまう。
「勉強の息抜きとかに……よかったら見にきて欲しくて……、」
「……うん、わかった。行くよ、ライブ」
「ほんとですか!?」
自分から言い出したことなのにオレが頷いたら驚く姿が、自分が入部した時の彼女の姿と重なって、それに妙にどきりと心臓が跳ねてしまって、「なんでそんな驚いてんの、」と笑って誤魔化した。
なんだかチャンスをもらったような気がする。言いたくてもずっと言えなかった。『君のこと特別な女の子として見てるよ』って。たぶん告白みたいなもんなんだと思う。よくある『好きだから付き合って』って台詞じゃないけど。でもこれがオレにとっての正解だ。そういうこと言うの柄じゃないけど、ライブの後の熱くてたまらないけれど少しセンチメンタルな空気なら言っても許されるような気がした。
♦︎
一方、そうこうしているうちにオレ自身を取り残していくかのようにクラスメイトたちや家族の間では『オレたちは受験生だ』『ケイトは受験生だ』という暗黙の了解のようなものだけ膨れ上がってきている。空気を読んで周りに合わせるのは苦手ではないけれど、こういう固い方に合わせるのは結構疲れる。息抜きを挟みつつひとつひとつ丁寧にとはとても言っていられないピリピリとした雰囲気。顧問の先生の「猫撫でたい……」の声が脳内で蘇る。オレも猫撫でたらちょっとくらい穏やかな気持ちになれるかな。
そんな雰囲気に呼応するように、受験生向けの特別講習の案内が増えていく。二人の姉の受験で手慣れている母親は「これは必要」「これは必要無い」の判断が早い。オレが何か言う前にいくつか学校内で行われる講習の申し込みの書類を提出してしまったらしい。ありがたい話だ。頼りになる。だけど、それに対して素直に感謝することはできなかった。だって、申し込んだ講習のその日は……、
「なんでライブの日と被ってるんだよ……」
そりゃもちろん、受けた方が良い講習だろう。「希望者のみの受講だけど、こういうの受けてるのと受けていないので気持ちの余裕が違うのよ」と姉二人も頷いている。そりゃそうだろうけど、言ってることは正しいんだけど……。
「みんなにとっての正しい選択が『オレ』にとっての正しい選択とは限らないでしょ」
深々とため息をつくと、頭の中でもう一人のオレが囁く。いつもはぼんやりとした声なのに、今日はやけにはっきりとした声だ。
「そうだけど、そうかもしれないけど……、そうはいっても、講習ほったらかして遊びに行くなんてできない……、」
「できるよ」
またはっきりと聞こえた。そうして、トン、と後ろから肩を叩かれる。振り返ると、めちゃくちゃ見覚えのあるオレンジ色の髪をした男がそこに立っていた。……夢が具現化したみたいだ、と思っても仕方がないだろう。だって、オレの目の前にオレがいて、楽しそうに手を振っているのだから。
「え、オレ?」
「そうだよ、オレは、君がなりたかったオレ」
こんなに軽薄そうな雰囲気だったっけ? こういうやつになりたかったのかな、オレは。鏡のようで、歪んでいて、頭がくらくらした。
「……分かるよね、これから何をしなきゃいけないか」
「いやいやいや、そんな急に言われても困るんだけど!?」
「難しく考えないで、今『オレ』がやりたいこととやらなきゃいけないこと、それぞれ一つずつしかないでしょ?オレとオレ、二人いれば充分じゃん」
「……じゃあ、オレはライブ行っていいってこと?」
「モチ、講習はオレがしっかり受けてくるよ☆」
「……あーー、やっぱ逆の方が良いのかな、オレと君。分身使ってるのバレたら即失格だろうし、それにちゃんもオレみたいな切羽詰まった顔してるやつより君みたいな明るいやつが行った方が安心しそうじゃない?」
「オレくん、」
「えっ、何!?」
「オレは君だけど、君は君だよ」
「……どういうこと?」
「オレは、君がこれまでやってきたことを繰り返すことはできるけど、君が初めてやることをオレはできない、何が言いたいかわかる?」
「……たぶん」
「じゃあ行こうか、きっと待ってるよ、彼女も」
もう一人の『オレ』はトンと再びオレの肩を押す。「当日、また呼んでよ」と言い残して、『オレ』は消えた。
♦︎
その日は酷い雨で、気圧の変化で頭がズキズキと痛んだ。講習の会場は正門からは少し離れた校舎の教室だ。どちらにしても、開始まではまだかなり時間がある。早く学校に着きすぎたオレは、正門前広場に向かうべきタイミングも分からず、『もう一人のオレ』を呼ぶべきタイミングが分からず……そもそもどうやって呼べば良いのかすら分からず、ふわふわとした気持ちで一先ず部室を訪れた。
室内はやけに静かだ。まだ誰も来ていないのだろうか。雨音だけが聞こえる室内で荷物を下ろしてぼんやりしていると、近くでガタン、と音がする。
「えっ!? 何?! 誰か居るの!?」
「……ケイトくん?」
声を上げると聞き覚えのある声に名前を呼ばれる。の声だ。室内ではない、少し遠くの方から聞こえる。慌てて窓に駆け寄ると、ベランダに出たは何やら下を向いて必死に手を伸ばしていた。慌ててオレも外に飛び出し彼女の手を引く。
「ちょっとちゃん! こんな雨の中なにやってるの!?」
「私は大丈夫です! それよりも、下に猫が……、」
彼女が指し示す方を見ると、確かに子猫がベランダの柵の下で震えている。好奇心旺盛な子猫だから、狭い場所を歩いているうちに転がり落ちて、そのまま雨が降り始めてしまったのだろう。ちょうど屋根の窪みになっている部分にうまくはまってしまったようで身動きが取れそうにない。このまま雨が降り続ければ溺れてしまうかもしれないな、とどこか他人事のように思った。
「……道具とか持ってくれば……?」
「今お願いしてます! でも道具なくてもなんとかならないかなと思って」
「……ちゃんってこういう時の行動力すごいよね、」
溺れかけてる猫を助けるとか? オレ一人だったら絶対できないし、やらないし。そもそも落ちていることに気がつくかすらわからない。そんなやる気のないオレに反して彼女は諦める素振りすら見せない。
「ケイトくんはこの後大事な試験なんですから、暖かいところに居てください! 私が……!」
オレにまで気遣う彼女には講習を代打で受けようと思ってたことは黙っておこう、とぼんやり思う。ふう、と小さく息を吐く。そうして自分の手を見る。『もしかしたら魔法でなんとかできるんじゃないか』だなんて、脳裏をよぎった考えがあまりにも突拍子もなくて自分で笑ってしまう。けれど、うだうだ考える前に口から言葉が出てきていた。
「……ちゃん、オレさ、黙ってたけど、魔法、使えるんだよね」
「ま、魔法!?」
「そ、だから大丈夫、心配しないで」
パチンとウインクをすると、少し安心したようなそれでもこれから何が行われるか不安なような、複雑な表情になる彼女の額にはびしょ濡れになった前髪が張り付いている。ベランダには屋根があるとはいえ風が吹けば雨は容赦なく吹き込んでくるし、傘をさしてないから当然だ。そういうオレも今は目も当てられないぐちゃぐちゃな姿をしているだろう。まあ勢いで外に出ちゃったオレの自業自得なんだけど。放っておけばよかった、知らないふりをしておけばよかった、それでも目を向けてしまった、手を差し伸べてしまった、この子に。何が大丈夫かもわからないのに「大丈夫だよ、」と呟いた声は、彼女に向けてだっただろうか、子猫に向けてだっただろうか、それとも……。
「ロペスとアルは?」
「ロペスは先生を呼びに……、アルは用務員室に何か道具がないか聞きに行ってくれてます、網とか……」
「そっかあ、じゃあ、これから見るもののことは内緒にしててね、……手、広げてて。器みたいに。そう。」
なんだか、今なら物を浮かせるくらい難なくできる気がした。
ふう、と息を吐く。魔法なんて習ったことないしつかおうと思って使ったことなんか一度もないから、どうすれば良いのかなんてさっぱりわからない。だけどさっきまで彼女がやっていたように柵からぐっと手を伸ばし、びしょ濡れの子猫をじっと見て、その毛玉がふわりと浮かび上がって彼女の手のひらの上にそっと落ちる様子をイメージする。浮かべ、浮かべよ、頼むから、祈るように、何度も念じた。そうしているうちに、ふわり、と自分の体重が一瞬無くなったかのような心地になる。オレ自身の重さはすぐに、ズン、と元に戻ったが、目の前の子猫の重さはそのままだ。頭で想い描いた通りに、小さな生き物は浮かび上がって、柵を超えて、花弁か落ち葉かのようにそっと彼女の手の上に落ちる。重力が戻る。少しよろめきながらも目の前の女の子はしっかりと子猫を受け止めた。
「ケイトくん……!」
「ん、もう落ちちゃダメだよ」
子猫はか細い声で鳴いている。温めてやれば元気になりそうだ。びしょ濡れの二人はほっとして目を合わせ笑った。
♦︎
結局ライブは中止になった。この雨だ、屋外で演奏するのは避けておいた方が良いだろう。雨でもやりますみたいなスポ根系の部活じゃないし、何より顧問の先生が楽器を雨風に晒すなんて冗談じゃない! と顔を青くしていたから、やりたいと言っても許可は出してくれなかっただろう。すっかり予定が空いてしまったオレは『もう一人のオレ』に頼ることなく講習を受けた。時間ギリギリにびしょ濡れで教室のドアを開いた途端講師に冷ややかな目で見られたけど、なんとか「すごい雨ですね〜」と笑って誤魔化した。他にも濡れてる生徒は大勢居たから見逃してほしいものだ。
そうしてバタバタしているうちに夕方になって、講習が終わった後一応子猫の様子を見に行くと、すっかり毛を乾かしてもらいのんびりミルクを飲んでいた子猫はオレの顔を見て「にゃあ」と鳴いた。そんな猫に反して学校指定のジャージに着替えたの髪はまだ少し湿っている。思わず目を逸らしてしまったのを誤魔化すように「なんで猫の毛乾かしてるのに君は髪の毛乾かしてないんだよ」と笑った。
「ケイトくんこそびしょ濡れの制服のままじゃないですか」
「オレはあの後すぐ講習だったから仕方ないでしょ」
「あっ、……その、……それは……、講習だったのにライブ誘っちゃってごめんなさい、」
「あー、大丈夫大丈夫、もともとライブに誘われた方が先だったし……」
「でも、断りづらかったですよね、」
「んーー、まあそうなんだけどさ、」
断りづらかったんじゃなくて、断りたくなかったんだよ、だから魔法まで使ってなんとかしようとしたんだよ、結果として講習を受けるために魔法を使う必要はなかったんだけど。そんなことを言ったら目の前の女の子はなんて言うだろう、もしかしたら咎められてしまうかもしれないと思ったら、そうやって言い訳みたいな説明をすることはできなかった。
そうしてオレが何も言えずにいるとふわふわのタオルやら毛布やらを抱えたアルとロペスが賑やかに部室に戻ってきた。
「うわ、ダイヤモンド先輩びしょ濡れじゃないですか」
「え〜〜、ケイトさん服とか着替えてなかったの? タオル足りるかな……猫の寝床用なんだけど……」
「拭いた拭いた! もう帰るから大丈夫! ってか、ここに寝床作るの? オレも手伝おうか?」
「じゃあ早く帰って乾かしたほうが良いんじゃないですか? 受験前に体調崩したら最悪ですよ」
「あはは〜、気をつけるよ」
「そういえば先輩たち、手の届かないところまで落ちてたのにどうやってこの子を助けたんですか?」
「あっ、それは……」
「オレが手を伸ばしたら猫ちゃんが自力で登ってきてくれたんだよねえ、えらいえらい」
「本当に?」
「ほんとほんと! オレってば小動物に好かれやすいからさ〜」
アルは「ふうん、」と流してくれたがロペスはまだ本当のことかどうか疑っているようだ。この前魔法の話をしたから、もしかしたら、と思われているのかもしれない。別に知られても問題はないんだけど、なんだかあまり言いたくなかった。
結局、に言いたいとこは一切伝えることができなかった。『頭の中のオレ』は「オレくん、そーいうとこだよ、」とため息をついた。許してよ、今は色々、頭がパンクしそうで、まともにあの子の顔見れないんだよ、