文化祭のステージはあっという間に終わってしまった。散々練習した割には本番の時間は一瞬で、なんだか儚い。いや、オレよりもの方がたくさん練習していたのだから、もっとこういう虚無感のようなものは大きいのかもしれない。……それでも、あの一瞬がオレにとって充実した時間であったことは確かだ。魔法みたい、だなんて言葉使いたくないけど、本当にそんな感じだった。また一緒に演奏しよう、だなんて約束はできなかったけれど、それを心のどこかで望んでしまうくらいには。
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大抵の文化部の生徒はこの文化祭で引退して受験勉強に専念するらしい。オレも例に漏れず……と言いたいところだけど、家族が居る場所で勉強なんて全く集中できなくて、かといって塾に通って勉強しようという気にもなれなくて、学校の教室や図書館で勉強をしてその日のノルマが終わったら息抜きに軽音部の部室にギターを弾きに行くという生活が続いていた。せっかくギター貰ったのに家だとまともに弾くことができないし、なんで言い訳をしながら。部活なんて入るつもりがなかったやつの行動とはとても思えなくて、自嘲してしまう。
その日もいつも通り、顧問の先生から譲り受けたギターとそれなりにキリの良いところまで終わらせたテキストを抱えて文化部棟に向かう。いつもの校舎、いつもの廊下だ。少し離れた教室からブラスバンド部と合唱部の練習している音が聞こえる。が、今日はいつもと違う音がすぐ側から聞こえてきている。何かを叩くような、金属を引っ掻くような、奇妙な音。
「……怪奇現象?」
いやいやまさか、と自分の独り言に呆れる。そりゃ確かに、魔法士や妖精が多く居る田舎なんかではゴーストや魔物が人と交流することもあるなんて話も聞くこともあるけど、魔法の『ま』の字もないようなこの都会の学校にはそんなヤツいる訳がないし。
その音を聞いているうちにオレは昔のことをふと思い出す。今はなるべく周りと馴染むように過ごしているおかげで全くそんなことはないけれど、それこそエレメンタリースクールに入学する前は家族や近所の人に『奇妙な子供』だという扱いを受けてきた、らしい。物心もつくかつかないかくらいの話だから自分自身がはっきりそのことを覚えている訳ではないけれど、事あるごとに姉たちから何度も話して聞かされてきていたからどういうことがあったか知らないわけではない。オレが近くにいると食器や家具がカタカタと震え始めていたのだと。母親は「呪いや土地の精霊のせいかしら」とか「引っ越しが多いからストレスで私自身が幻覚を見ているのかしら」とか大いに心配したり気に病んだりしたらしいが、最終的にオレ自身が微かに持っていた『魔力』をその幼さ故に制御することができずに無意識に放出してしまっていたせいだろうと結論がくだされた。魔法医が言うには、不安や焦りが生まれた時は再発するかもしれないが、成長に伴い無意識にコントロールできるようになるから心配いらないとのことだ。
もちろん、そのことは学校の友人たちには隠していた……というよりも、その『不思議な力』を使ってしまうことは近頃は全く無くなっていたから、オレ自身自分の魔力のことを忘れていたしていた。
「……まさかね」
そう、まさか、なのである。無意識のうちに軽音部の部室内のものを動かしてしまうようなことはないはずだ。それでもどこか不安なことに変わりはないから、わざといつもより大きな声で「ちゃん、居る?」と部長に声をかけながら扉を開ける。中にいた人物とパチリと目が合う。ドラムセットの前でハイハットシンバルを磨いていたのは見覚えのある少女ではなく……、
「……え、誰?」
オレの言葉にその人は「ケイト・ダイヤモンドさんだ!」と笑って立ち上がる。ショートカットに中性的な顔立ちだから性別が分かりづらかったが、立ち上がるとスカートを履いているから女子生徒なのだということがわかる。
「なになに!? オレ、有名人!?」
「あれっ、から話聞いてると思ってた! 驚かせてごめんね、はじめまして!」
「……まさか君がもう一人の部員?」
「そうだよ、アル・リングストン」
よろしく、と手を差し出すアルと反射的に握手してしまった。ドラムを叩く人間だからか、手の皮がこの年頃の女性にしては少し硬い。オレが何から聞こうか迷って何も言えずに居ると再び部室の扉がガラリと開いて部長が何やら書類を片手にやって来た。
「ケイトくん! 今日も来てくれたんですね!」
「うん、さっきね」
「ねえ、ケイトさんに私が来るって話してなかったでしょ?」
「あっ、ごめんごめん、だって最近はアルもケイトくんもいつ部室に来るか分からなくて、伝えるの忘れてたかも……、ごめんなさいケイトくん、」
「大丈夫大丈夫、ちょっとびっくりしたけど、」
「そうだよ、ゴーストを見るような目で見られちゃった」
「流石に人間とゴーストは見間違えたりしないでしょ」
そう言ってはくすくすと笑う。扉を開ける前はほんのちょっとだけゴーストかもと思ったりもしたけど、それは黙っておこう。そういえば、同級生とこのように話すを初めて見た。オレに対してはいつも敬語だったからなんか変な気分だ。
「ちゃん、今日は忙しそうだね、オレ帰った方が良い?」
「えっ、全然大丈夫ですよ! ちょっとバタバタしてますけど、書類とか色々準備してるだけなのでゆっくりして行ってください!」
「そうだよ、私も楽器の調整してるだけだからお気になさらず」
「……そう、」
別に用事があるわけではないから帰ってもよかったんだけど、というか帰ってしまうつもりだったんだけど、そう言われて帰るのもなんか逆に悪い気がして、とりあえずケースからギターを取り出す。が、いつもそこには居ない人物がそこに居るからなんだか落ち着かない。音を鳴らす気分にもなれなくて、普段チューニングなんてマトモにやらないくせに、無意味にチューナーを探してペグをクルクルと回してみる。その間もとアルは何やら仲良さげにコソコソと話してくすくすと笑っているから、奇妙な心地になる。アルが一人レコード会社のスクールに通うことを選択し幽霊部員になっていたわけだから、部に残ったとは多少は気まずい雰囲気になるのかなと思っていたがそういうわけでもないようで少し拍子抜けしてしまう。そんな微妙な空気を破るように、再び部室のドアががらりと空いた。現れた女子生徒は確か合唱部の新部長だ。オレは一度も話したことはないけれど。そんな合唱部の部長はよく通る声で「、」とうちの部長に声をかける。
「、ブラバンのミーティング早く終わりそうだから、予算会議16時からだって、行けそう?」
「あ、はーい! 今行きます!」
バタバタと立ち上がったは、オレとアルに「じゃあ二人とも、ごゆっくり!」と声をかけて資料を抱えて部屋を出て行ってしまう。再び初対面の後輩と部室に取り残されてしまったオレは不満そうな「ええ〜、」をなんとか飲み込んだ。
「……予算会議って?」
「ほら、来年度の部活毎の予算決めるやつ、……ああ、ケイトさんは転校生だなら去年のこと知らないんだっけ、毎年部長が集まってそういうのやるんだよ、うちの学校」
「来年度かあ、アルちゃんは卒業まで軽音部に居るの? 今年は席だけ残してスクール通ってたって聞いたけど」
「アルでいいよ、私も敬語苦手だから使えないし。そうだな、夏休み明け頃まで講師の先生がバンドのサポートに入るからスクールのレッスン回数減っちゃうんだよね。その分こっちに顔出そうと思ってる。その後もほかの部活探して入部するより楽だからそのままかな、ほら、うちは部長がアレだし、優しいんだよね、幽霊部員にも」
「……ふうん、そっか」
急にギターケースに貼ってあったステッカーが気になり始めた。不敵な笑みを浮かべる色褪せた猫は昔のアニメのキャラクターだろうか、ケースも先生から譲り受けたものだから分からない。カリカリと爪で削っても剥がれる気配が一切ない。そうして無駄にステッカーに集中しているオレに、アルはドラムのタムを丁寧に拭きながらまた「ねえ、ケイトさん、」と声をかけてくる。
「……ケイトさんは……、のことが好きでしょう?」
「……なんでそう思うの?」
ぴたり、とステッカーを剥がす手が止まる。色恋沙汰の話になったら面倒だから否定も肯定もせず相手の思うままにしておこうと思っていたけれど、面と向かってそんなことを聞かれたのは初めてだから、少し驚いてしまった。が、なるべくいつも通りに返す。いや、普通に返せていただろうか。声が裏返ってなかったか少し不安になる。対するアルはふふふ、と楽しそうな声を出して、何度も頷く。
「わかるよ、あの子可愛いもんね、一生懸命だし」
「ちょっと、オレはそうだとも違うとも言ってないんだけど!」
「違うの?」
「……検討中」
なにそれ、とドラマーの少女は笑うが、オレは笑うどころではない。部長には悪いけれど、平和な軽音部にこれ以上アルのような人が増えたらちょっと困るな、と少し思ってしまった。
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そんなオレの気持ちを他所に、軽音部にはもう一人部員が増えることになる。自分の課題がひと段落して三日ぶりくらいに文化部棟を訪れると、彼は既に部に馴染んでいたから結構驚いた。文化祭の演奏がきっかけで軽音部にやってきたのだというベース希望の一年生・ロペスはオレとのことをジョン・レノンとポール・マッカートニーのようだったと称した。アルが「ジョンとヨーコじゃないのかよ」笑うと「ジョンとヨーコは最期まで一緒にいたでしょう」「学生の部活ではあの二人のようにはなれないですよ」と神妙な面持ちで呟く。後からオブラートという言葉を時々忘れるらしいドラマーに「結婚はできないってことだよ、」と笑われて何も返すことができなかった。
「じゃあ私は? リンゴ・スター?」
「アル先輩はジョン・ポーナム」
オレはアルとロペスの口から出てくる名前の半分も分からなくて目を瞬かせることしかできないが、は大体理解しているらしく、「アルはロジャー・テイラーも似合うなあ」とニコニコしている。
「軽音部はもっとチャラチャラした人間が集まる部だと思っていました、サブスクで流行ってる曲とか弾いて喜んでるような」
どうやら、文化祭のステージのの選曲がとても気に入ったらしいロペスは棚に並ぶレコードを見ながら饒舌に喋る。流行り物を少し馬鹿にするような口調に少し苛ついてしまうが、女子たちは普通に楽しそうだ。オレの心が狭いのだろうか。思わず小さくため息をついて独り言を呟いてしまう。
「……オレはサブスク好きだけど」
「そう! サブスク、ケイトくんに教えてもらおうと思ってたんです!この前好きなバンドの曲が配信されたみたいなんですけど全然やり方わからなくて」
がスマホを片手にオレに近寄ってきたことで部室内の空気が少し変わる。そのままコンビニでのプリペイドカードの買い方やらアプリへの電子マネーのチャージの仕方やらを教えていると徐々に『いつもの』軽音部の雰囲気になってきたような気がする。
しばらくして各々が練習を始めて少し経った頃、小声で「ダイヤモンド先輩、」と名前を呼ばれる。先程話を遮られたのが気に入らなかったのだろうか。しないよう「何?」と極力相手を苛立たせないであろう穏やかな声を出すと、無表情な一年生はじっとオレの顔を見る。
「……ダイヤモンド先輩、魔法が使えますよね」
「ん? え? 何のこと?」
「隠さなくてもいいですよ、僕もそうですから」
オレが予想外のことを聞かれて戸惑っているうちに、それだけ言ったロペスは自分の楽器に向き直る。多分とアルには聞こえてなかったと思う。そういうタイミングを見計らっていたのだろう、この一年生は。ロペスの言葉でまた昔のことを思い出す。幼い頃の諸々の出来事は、オレ自身の魔力由来のものだったと周りの大人たちに言われてはいるが、家族やオレにとってアレは怪奇現象のようなものだったし、今のところ意識してその魔力を使おうと思ったことはないし無意識に何かが起こるということも無いから、『魔法』と改めて言われても正直そんなに実感がない。大魔法士の御伽噺を繰り返し読み聞かせられた時期が無かったわけではないけれど、オレには無関係だと心のどこかで思っていたし。そんなオレのあるのかないのかよくわからないような魔力でも、ロペスは何かを感じたらしい。きちんと魔法が使える人は、そういう些細な魔力でもはっきりわかったりするものなのかな。自分の手をまじまじと見る。いつもと変わらない、なんの変哲もない自分の手だ。この手で魔法を使うことができるのだろうか。
それにしても、また否定や肯定をする前に一方的に話を進められてしまった。最近の若い子ってみんなそうなんだろうか。いやまあ、オレもそんなに年齢変わらないけれど。