軽音部が文化祭のステージに出ることになったことを知ったのはホリデー休暇の二週間前のことだった。
今年は生徒会主催の大規模イベントを野外で行うから屋内ステージの競争率が下がっていたらしい。とはいえ、超弱小なオレ達軽音部に充てがわれたのは朝一番の人がいるのかいないのかよくわからない時間帯だったけど。……というかそもそも、ステージ利用の申請をしていたことすら知らなかったから少し驚いた。
「文化祭で演奏すると言ってもロビーでミニコンサートくらいの規模だと思ってたよオレは……」
「ケイトくんの入部前に申請を出していたんですけど、私もまさかこんな人数の部で利用申請が通るとは思わなかったからステージのこと自体忘れてて……すみません……! 難しそうなら私一人でなんとかしますので……」
「いや、大丈夫だよ、まだ本番まで練習期間はあるみたいだし、オレも出る」
部長がやると言っているのだし、軽音部に入っている以上一度くらいステージで演奏してみたいという気持ちが無かったわけではないから、ステージに出るのが嫌だというわけでは無い。むしろ、オレが断ったら一人でステージに上がろうとしていたことの方が気になった。……そもそも、オレが入部する前から申請をしていたということは、誰も入部しなかったとしても彼女だけでステージに立つつもりだったのだろうか。
そんなオレの気持ちがなんとなくわかったのか、彼女は「演奏できますよ、一人でも」とクスクス笑った。
「一人でステージに上がるのってさあ、緊張しない?」
「えっと、それは、確かに緊張しますけど……、」
「けど?」
「失敗しても自分一人の責任だからちょっと気楽かなって、」
「……確かに」
「……でも、やっぱり二人の方が演奏するのって楽しいんじゃないかなと思います、」
「それはそうかも、」
お互い顔を見合わせて、ふふふ、と笑う。何かをする時は一人の方がずっと気楽だ。だけど、どうして人間というものは、誰かと一緒に何かをしたがるのだろう。オレにはよくわからない。ただ、彼女のいる軽音部に入らなければ、こうしてステージに立ってギターを演奏しようだなんて一生思わなかったであろうことは確かだ。
そうして、ステージで演奏する曲を先生が集めた楽譜の束から探す。最近流行りの曲よりもクラッシックロックが好みらしく、古いバンドの楽譜ばかり積み上げられている。映えるか映えないかでいうと返答に困るけど、誰でも知ってる昔のバンドの曲は初心者のオレでも演奏しやすくコードがわかりやすいものが多い。「古いバンドの曲なら上手に編曲されて初心者向けに書き直されてる楽譜もたくさんあるんですよ」と分厚いファイルを本棚から引き抜く彼女もそういう昔の曲が好きだと言っていた。だからだろうか、「ここを省略したら、もうちょっと難易度下がるかな、」とか言いながらコード譜を再修正していく彼女は少し楽しそうだ。
「演奏上手くいったら部員増えちゃうかもしれませんね」
「……あ〜、そうだね」
なんともないようにそう口にする彼女に、今度は曖昧に答える。二人だけの部活なんて色々面倒だから部員が増えて欲しかったはずなのに、この空間がなくなるのは嫌だなあと思ってしまっている。大切なものの手放し方を知らないわけでは無いのに。「終わったら俺も受験勉強しなきゃなあ」なんてつぶやいて、色々誤魔化した。
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軽音部の活動は比較的ゆるい感じで行われていたが、ステージに出るならそういうわけにもいかない。
彼女がキーボードを弾いて、オレがギター、そして二人で歌う。ドラムもベースも居ないけどまあまあなんとかなりそうな雰囲気だ。
「こういうツーピースバンド居ましたよね、なんでしたっけ」
「そーなの? マイナーなバンドとかだったらちゃんの方が詳しいんじゃない?」
「有名なやつだったらケイトくんの専門分野なんじゃないですか?」
「……なんかその言い方、オレが流行りもの追っかけてるミーハーみたいじゃん」
「悪いことじゃないと思いますよ、ミーハー。ロックスタンダードなんて言いますけど、最初はどれもこれも『流行りの音楽』だったんですし、」
「まあそうかもしれないけど……」
「そうですよ、古いものを知っているから偉いってわけじゃないですし、」
そう言っては小さくため息をつく。いつもニコニコと穏やかに笑っている彼女がこういう表情をするのは珍しい。「ちゃん、」と声をかけたがそれ以上何も言えなかった。
「ふふ、一曲今っぽい曲もやりますか? ほら、この前ケイトくんが言ってた映画の曲とか、」
少し重くなった空気を変えるように、彼女は「ネットで楽譜ダウンロードできたりしませんかね、」と鞄からスマホを取り出す。「ケイトくん、楽譜の検索ってどうやるか知ってますか?」と問いかけてくる彼女は、必要以上にオレの内面に踏み込んでこないし、オレも彼女が黙っていることには無闇に踏み込まない。永遠にこの時間が続けば良いのに、とは思わないけれど、この時間が心地よく感じることは確かだ。
彼女は口には出さないけど、オレが入部するより前には他にも部員が居たんじゃないか、とステージ発表の話が出たくらいの頃から少し思っていた。昨年度末で卒業した先輩が複数人居たという可能性も考えられなくはないけど、だとしたら部員たった一人でステージ利用の申請を提出するだろうか誰かが何かしらの理由で辞めたか幽霊部員になっているのでは、と最近は思っている。ずっと彼女一人の軽音部だったわけではない。
現にこの部室にあるドラム等の打楽器は「扱いがよくわかっていないものを無闇に触って壊したら怖いから」と彼女が演奏することは無いが、それにしては手入れが行き届いていている。誰かが……ドラムを叩くことができる誰かが、この部活に居たのではないだろうか。部活を辞める理由はいくらでも想像できる。他にやりたい部に転部したとか、勉強が忙しくなったとか、顧問や部員との仲違いだとか、……もしくは、怪我や病気で演奏ができなくなって音楽を諦めなければならなくなったとか。
音楽を手放したその人は今どこに居るのだろう。
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何となくその存在に気がついてからも、彼女や顧問の先生に『もう一人の部員に』ついて直接聞くことはできなかった。だって、もしそのもう一人の部員が先生やと喧嘩して辞めたとかだったら嫌でしょ。オレ自身そういう話して重たい空気になるのは勘弁してほしいし、先生やも入部して半年経ってない新入部員にそういうこと根掘り葉掘り聞かれるのはあまり良い気持ちではないだろうなという気がする。
そんなわけで、詳しい話は何も聞けなかったけれど、オレがその『見えない部員』を意識し始めるまではそう時間はかからなかった。日に日に自分の中でそのドラムの存在が大きくなっていって目に入るたびになんとも複雑な気持ちになってしまう。他にも過去にこの部室で過ごした誰かの形跡が些細なことだけど、それだけでじわじわとモチベーションが落ちていく。
それまで気にも留めなかった楽譜やCDにもその人物の選んだものも含まれているのではと思えてくる。『見えない部員』の痕跡はこの部屋の至る所にあるのに、オレは手に握るギターでさえ借り物で、ここにはオレのものは何もない。目の前に置かれた楽譜でさえ自分じゃない誰かのもののような気がしてくる。彼女の音楽への姿勢も、好きな曲も、その一挙一動でさえそいつの影響なんじゃないかと思って、どこか冷めた気持ちになる。
「あー、もうやめよっかな、」
随分身勝手だと自分でも思う。ギターの弦を押さえるごとに少しずつ固くなってくる己の指先がなんだか憎らしくて眉間に皺を寄せた。
水曜日は練習の予定だったけれど、オレは部室に行かなかった。とはいえ、家に帰る気分にもなれずに無駄に校内をうろうろしてしまう。今更ながら、帰宅部を選んでいたら家に帰りたくない日は毎日こういうふうに過ごしていたのだろうかと思うとなんだか無意識のうちにあの部室での時間に助けられていたみたいで苦笑が漏れてしまう。
「『居場所』みたいなのは作りたくないんだけどな」
小さく呟く。さっきから何度かスマホがブルブルと震えている。たぶんマジカメにからメッセージが届いている。どうしても練習に来て欲しいなら電話にすればいいのに、そういう大胆なくせに少し自信なさげなところがなんだか彼女らしくて笑えた。
次に彼女と顔を合わせたのは二日後だった。彼女が前みたいに教室まで迎えにきたとか、オレの方が申し訳なくなって部室に行ったとか、そういうわけじゃない。本当にたまたま、偶然、朝の始業前に昼食をに来ていたコンビニで顔を合わせてしまった。それだけだ。「こ、こんにちは」とぎこちなく挨拶をする彼女に、こちらもぎこちなく「うん、こんにちは」と頷いて、それ以上は何も言えなくなる。
「あの……、ケイトくん、体調、悪かったんですか? 今日は部室来れそうですか?」
「あー、うん、どうかな……、」
「……辛かったら、荷物だけ取りに来てもらってもいいですか? 先生から預かってるものがあって……、」
「……ん、わかった、行けたら行く」
ゆるゆると頷くと彼女はホッとしたように少し笑う。それだけで良心が痛んだりはしないけど、少しもやもやとした気分になったことは確かだ。
そんなやりとりの数時間後、そのまま帰ってしまおうかとも思ったが、彼女の言う『先生から預かってるもの』も少し気になったから、一瞬だけ部室を覗いてみることにした。一日休んだだけなのに、どうしてこんなにも足取りが重たくなってしまうんだろう。
いつも通り、部室に辿り着くと既に鍵は空いていて、彼女は楽器のチューニングを始めていた。オレが来たことに気づいた彼女は一言挨拶してぺこりと頭を下げたが、それ以上は何も言わない。それもいつも通りだ。だけどなんだか、今日はそのことが妙に癪に触って、ついイライラとした声を上げてしまう。
「……あのさあ、何も言わないわけ?」
「……何を……?」
「オレ、この前の練習、行かなかったよね、」
「……はい、」
「メッセの返事も返さなかった」
「……そう、ですね、」
会ったこともない誰かに勝手に引け目を感じて、勝手に嫉妬して、勝手に放り投げたのはオレの方なのに、彼女はオレのことを咎めることはない。朝は『体調悪かったんですか?』と聞いてきていたけど、多分きっと、その時の様子で体調が悪くて部活に来なかったわけじゃないってバレている。サボりとかあんまり好きじゃなさそうな子なのに、咎めるようなことを何も言わないのはなんだか意外だ。……いや、そうじゃなくてオレは呆れられているのかな。今は何も言われないけど、後で『練習をしないなら部を辞めろ』とか言われるんだろうか。
そんなオレの予想に反して、彼女は深々と頭を下げて「ごめんなさい」と謝った。オレに向かって。
「えっ!? なんで!? どうしてちゃんの方が謝ってるの!? 練習サボったのはオレの方でしょ!?」
「えっと、それは、そうなんですけど……私のやりたいことを、ケイトくんに押し付けてた気がして……、」
彼女は目を伏せる。何故か口の中が乾いていく。掠れる声で「どういうこと?」と聞くと彼女は小さく息を吸って言葉を続けた。
「……ケイトくんが転校してくる前までもう一人居たんです、軽音部。私と同学年で、ドラム担当でした」
「……そんな気、してた」
オレの返答に、「やっぱり?」と彼女は困ったように笑う。
「すっごく上手かった。この年齢であれだけ叩ける人はなかなかいないって卒業した先輩達も褒めてた」
「でも、やめちゃったんでしょ? その人」
「う〜ん、軽音部は辞めたんです、……辞めたというか、うちの学校は部活動強制だから、軽音部は席だけ残して活動休止、今は本格的に音楽の勉強してる」
「それって……、」
「なんというか、置いていかれたんです、私」
ギターを握りしめたはふう、と小さくため息をつく。オレにとっては彼女は十分『上手い』部類の人間だったのだが、やはり世間ではそういうわけではないらしい。才能も、運も、選ばれた人にしか与えられない。
「レコード会社の人が、夏休みに他校と合同でやったライブを聴きに来てたんです。あの子は、その人に誘われて、スクールに通って、再来年にはデビューだって、すごいですよね」
そう話す彼女は嬉しそうだけど寂しそうだ。まあそれなりによく聞く話だ。ずっと一緒にやってきたアマチュアバンドのメンバー、才能がある一人だけがレコード会社にスカウトされてメジャーデビュー、残ったメンバーはそれ以上売れることはなく、活動の回数も減っていきバンドは自然消滅していく。彼女たちの活動は『部活』だけど、どこかそれと似たような雰囲気を感じた。何も言えずにいるオレに、彼女は「急にこんな話してごめんなさい」と眉を下げて笑う。
「本当は……、私も、誘われたんです。レコード会社の人に。デビューはさせてあげられないけど、スクールに入らないかって、ピアノやギターなら講師の人も沢山いるからやらないかって、」
「……入ればよかったじゃん、スクール。どうして……」
「もう一人の子は学費免除してもらえるって言われてたけど、私はそういうわけじゃなかったからお金をかけた分結果が出るかわからなかったんです。……それに、怖かったから、かな、それなりに自分はできてると思ってたから、自分が井の中の蛙だって気づいてしまうのが怖かった」
たぶん、そのレコード会社の人に言われたんだろう、その年齢にしては上手いが今はデビューできる実力ではないとか、他にも才能がある人はたくさんいるとか、ピアノやギターよりももっとマイナーな楽器をやったらどうかとか。多分きっとそうやって言われたことを今反芻しているのだろう。ギターのネックを握りしめる細い指に力が籠る。
「ダメなんです、私、前に出ようとすると足が竦んでしまう」
ああ、分かるなあ。確かに道はこの先にあるとわかっているのに、手を伸ばせば届くものかもしれないのに、どうしてかオレたちは『あとほんの少し』で求めることをやめてしまう。
「留まることしかできないんです、臆病だから、」
下を向いて喋る彼女にオレもボソボソと小さな声で話しかけることしかできない。
「……オレさ、なんとなく、部を辞めた人は怪我とか病気とかで音楽を諦めたんだろうなと思ってた、……だから、本当は、つまり、その、」
「……私が、音楽を諦めたの」
眉を下げて、彼女は笑う。目の前に居る女の子の本当にあった話のはずなのに、どこか別世界の、漫画の中の登場人物の話みたいで、頭がクラクラした。
「やっぱり、音楽で……ポップミュージックや大衆ロックで食べていくには、『流行り』が理解できていないと難しいんです」
「……うん、」
「私は、そういうの全然詳しくないし、」
「うーん、否定できないかも、」
「ドラムの……スクールに行った子はそういうのも詳しかったんです、……ケイトくんみたいに、」
以前この場所で彼女とした会話を思い出す。古いものを知っているから偉いってわけじゃない。あの時は何気なくその言葉を聞いていたけれど、今思い返せば彼女の自戒であり、懇願だったのだろう。
「私、無意識にケイトくんにその子の代わりになって欲しいって思ってしまっていた……あなたはあなたなのに、」
彼女の声が震える。慰めるべきだろうか。フォローするべきだろうか。考えているうちに彼女は次の言葉を続ける。
「だから、……ごめんなさい。許してくれとは言わないけど、音楽を嫌いにならないで、」
そうやって謝って欲しかったわけでは無いし、彼女に対して怒っているわけでは無い、オレが謝らなければいけないはずの場面で先に謝られてしまった、それだけだ。けれど何も言葉が出てこない不甲斐ないオレは、その場でただ黙って俯いていることしかできなかった。
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また奇妙な夢を見る。
そこではオレは二人居て、まるで双子みたいにどちらがどちらか区別がつかないのだけど、一人のオレはもう一人のオレとは全く意見が合わないのだ。
今夜のオレは面倒ごとには関わりたくなたくて、もう一人のオレは『でも、』『だって、』と煮え切らない態度だ。
曖昧なもう一人のオレの態度にオレが腹を立て、掴み合いの喧嘩になりそうになったところで朝が来て、二人はいがみ合っていたことを忘れてしまう。
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あれから、彼女から連絡が一切来なくなった。多分、あの子はオレを『諦めた』。
こちらに手を伸ばしてくるときは必死で一生懸命で大胆なくせに、手放すときは一瞬だ。「狡いなあ、」呟いた声は白い息となって消える。そういうオレも随分と身勝手だけれど。ぐちゃぐちゃしたオレの気持ちと相反するように、ホリデー明けの冬の空気は澄んでいる。
あっという間に文化祭の前日はやってきた。乾いた空気のせいだろうか、来客用に飾り付けられた放課後の教室でぼんやりスマホを眺めていてもブラスバンド部や合唱部が練習している音がよく聞こえるから、少しだけ焦る。自分自身は練習する気なんかさらさら無いくせに。練習しないならば、クラスの出し物の手伝いにでも行けば良い、それか受験勉強用のテキストくらい開いたらどうなんだ、と自分でも思うけれど、なんだかそんな気にもなれなくて、ただただ賑やかな文化部棟を少し離れた場所から眺めていた。
そうしていると、トランペットやサクソフォンの音に混じって微かに聞き覚えのあるアルペジオが聞こえてくる。つい最近までそばで聞いていたはずなのに妙に懐かしく感じるその音は、オレ自身もよく知っている曲を奏でていた。文化祭のステージで演奏することが決まった数日後、ベースやドラムを揃えて演奏するための楽譜を無理矢理二人で演奏する用に修正した楽譜を思い出す。
風に乗って流れてくる旋律はところどころぽっかり空いている。……あの子は、オレのパートを練習していない。
「え〜……、嘘でしょ、」
自分から手放したくせに、戻ってくるかもわからないようなヤツの居場所を残しておくなんて、馬鹿みたいだ。必要不可欠な存在なんていない。誰が開けた穴は自然に他の誰かが埋めていくものだ。だけど彼女はそれを良しとはしなかったみたいだ。自戒のように、一度開けたピアスホールを塞がないようにするように、確かにもう一人そこに居たのだと、アルペジオは続く。
足は自然とそちらへ向いていた。前日準備でいつもより浮き足立った雰囲気の廊下を通り抜けて、人の疎らなグラウンドを横目で見て、古い校舎の階段を登る。明日のステージの最終リハーサルに余念がないブラスバンド部や合唱部は少しピリピリとした雰囲気で、いつもとは違う校舎の雰囲気にオレもどこか緊張してしまう。いや、緊張しているのは雰囲気のせいではなく、今向かっている場所に彼女がいるからだろうか。
軽音部と札が下がる引き戸をがらりと開けると、そこに居た女の子はハッと顔を上げて目を見開き、喜びと不安の混じったような表情でオレの名前を呼ぶ。
「……ケイトくん、」
「ちゃん、久しぶり、……といっても、一週間くらいしか経ってないんだけど」
それ以上何も言うことができなくて、いつも通り、何事もなかったかのように、壁に並べられたギターの中から一本を選んで手に取りながら、彼女が机に広げた資料を横目で見る。明日のステージ出演者用のタイムテーブルの場位置の記された資料は、全て二人分準備されていた。思わず「覚えることめっちゃ多いね」と苦笑してしまう。
「……オレが来なかったらどうするつもりだったの?」
「その時は……、なんとかなるかなって、即興で」
「やっぱ変なところで大胆だよね、君って」
小さく縮こまって「すみません……、」と俯く彼女の頭を撫でてやろうとして、やめる。そうしても許されるような気がするけど、そういうスキンシップに頼ってしまうのはなんか違うきがして、伸ばしかけた手を握りしめて、息を吸って、言葉を続けた。
「……ちゃんはさ、臆病なんかじゃないよ、臆病な人は、こんな風に大勢の前で演奏しようとは思わないし、予定通りに相手が来なくても一人でステージに立ったりしないし、初対面のオレみたいなやつを軽音部に誘ったりしない」
「ケイトくん……」
「……待っててくれてありがとう、戻ってきたよ」
目をぱちぱちとさせて「ステージ、出るんですか?」と聞いてくる。「なんのために戻ってきたと思ってんの!?」と声を上げると、彼女は今度こそ嬉しそうに笑った。
差し込んできた夕日がキラキラと眩しい。
♦︎
二人だけの軽音部の初めてのステージの時間が迫ってきている。顧問の先生から遅くまで練習する許可を貰ったオレ達は、生徒会から受け取った資料と睨めっこしながら当日の最終確認を進めていた。窓の外はすっかり暗くなってしまっている。普段であれば学校を追い出されてしまうような時間まで部室にいるのがなんだか新鮮で、柄にもなく少しワクワクしてしまう。そんな最中、楽譜を再度見直していた彼女がふと何かを思い出したかのように「あっ、」と声を上げる。
「そうだ、ケイトくん、すっかり忘れてたんですけど、この前渡せなかった荷物、今渡してもいいですか?」
「あっ、オレも忘れてた。いいよ〜、持って帰れそうだったら今日持って帰っちゃう」
「どうかな……大きいから今日は置いて帰ったほうが良いような、でも、私だったら持って帰りたくなっちゃうかもしれないです」
そう言いながら彼女が指し示した黒い袋は確かに想像していたよりずっと大きい。……そして、見覚えのある形状をしている。
「……いや待って、これギターじゃん」
「ふふ、そうですよ、先生が『ダイヤモンドくんに使って欲しい』って、」
うわー、とか、まじかー、とか呟きながら袋を開く。隙間から覗く深い色をしたボディに思わず息を呑んだ。
「……しかも多分結構良いやつ!」
「わ、ホントだ……」
「え、ちゃんは何が入ってるか知らなかったの?」
「ギターってことは知ってたんですけど、先生は『僕は弾かない骨董品だから』って言ってたんです……こんなに良いものだなんて……私も何かおねだりすればよかった……」
羨ましそうに口を尖らせる彼女を見ていると、なんだか笑いが漏れてくる。
「どうする? 君のと交換する?」
「! それは嫌! です!」
顔を見合わせてまた笑う。なんだか今なら、ステージで失敗したとしても同じように笑える気がしてきた。