転校してきたばかりのオレを軽音部に誘ってきた一つ年下の大人しそうな女の子は・と名乗った。どうやら現在軽音部の部員は彼女たった一人だけらしい。「軽音部ってもっと人数居るもんだと思ってた」と呟くと「私もそう思ってたんです」と小さなため息が返ってきた。面倒な昔話を聞かされそうな気がするからそれ以上深掘りするのはやめる。そうして口を噤んだオレの表情をどう解釈したのかたった一人の軽音部員は「とりあえずちょっとだけギター弾いてみませんか?楽しくなかったら、入部しなくてもいいので」と懇願するように上目遣いでこちらを見てくる。どうせ暇だし、少し楽器が弾けたらマジカメのネタにでもなりそうだ。「ちょっとだけならいいよ」と頷くと、少女はぱあっと嬉しそうな顔をする。「面倒だから放っておこうよ」という『もう一人の自分』の声はとりあえず無視をした。
ずらりと並んだ古い教室のうちのひとつは一人で使うにはあまりにも広かったが、設備はまあまあ充実していた。黒板の側には少し古そうではあるがドラムセットとキーボードが置かれ、ロッカーには楽譜や音楽雑誌らしき本が何冊も並び、壁には少しだけギターも並んでいる。机の上に積み上げられているのはレコードとカセットテープだろうか、テレビなんかで見たことはあるけど実物は初めて見た気がする。
「結構色々揃ってるんだね。君の私物?」
「まさか! 私のはこのギター一本だけですよ。あ、あと後ろのロッカーにCDが何枚か。他は顧問の先生が趣味で色々集めていらっしゃるんです」
「へ〜、楽器も全部?」
「ドラムとキーボードとベースやギターの何本かは。アコースティックは音楽の授業で使っていたものが古くなったから音楽室からもらってきたんです」
先生が奥さんに黙って購入した楽器をこっそり置いておく倉庫がわりになっているらしい。
「だから、部が存続できなくなったら先生困っちゃうらしくて…」
「それ完全に先生の都合じゃん!」
苦笑すると彼女も「確かに…」とハッとしたような表情をする。それがなんだか面白くて、少し吹き出してしまった。
「でも、おかげで良い楽器が使わせてもらえるんですよ、ほら、このギターとか、とても学生が買える値段ではないんです」
そう言いながら指し示すギターは琥珀のようなボディの色がとても美しい。知識のないオレでも高価なものだということが一目で分かった。思わずまじまじと観察して「写真撮っていい?」とスマホを取り出してしまう。頷く彼女に軽くお礼を言ってカメラを構える。
「へえ〜、レトロでカッコ良いね」
「でしょう? 触ってみます?」
「えっ、いいの?」
「勿論」
大事なものだから触っちゃダメなのかと思ってた、というと、弾くために置いてるんだから大丈夫ですよ、と彼女は笑った。
徐々に陽が傾いて、窓からオレンジ色が差し込んでくる。光を反射してキラキラ光るギターがどこか神聖なもののように思えた。「『#今日の夕日』『#ギター初体験』」と呟きながら、そのオレンジをカメラに収める。画面に映し出された正方形は肉眼で見るよりもずっと安っぽくて笑えた。
木椅子を引きずってきた彼女はオレにそこに座るように促して、楽器にストラップをつけた。
「座って、落とさないように気をつけてくださいね、赤ちゃんとを抱っこする時と同じです」
「オレ、赤ちゃんとか抱っこしたことないんだけど」
「私も、物心ついてからはないです」
「じゃあなんで赤ちゃんって言ったの?」
「わかりやすいかなと思って……」
丁寧に教えてくれていただけだから彼女は何も悪いことはしていないのに揶揄うようなことを言ってしまった。少ししょんぼりしたような声に少し戸惑う。そういう顔をさせたかったわけじゃないんだけどな。慌てて話題を逸らすように「これ、弾いてもいいの?」と聞くと、彼女は表情をパッと明るくして「はい!」と頷いた。
「中指はこっちの弦で、それでそのまま全部の弦を、弾く」
「こう?」
「そう!そうです! 完璧じゃないですか! 才能ありますよ!」
「え〜本当に〜?」
彼女に教えられた通りに弦を弾くと、穏やかな音が鳴った。初心者だからちゃんとできているわけはないのだけれど、彼女がやたらと褒めるから少し調子に乗ってしまう。「プロになれちゃうかも〜」と冗談ぽく言うと、彼女も「なれますなれます」と手を叩いて笑った。
「アンプに繋げたらもっとそれっぽくなりますよ」
「アンプ?」
「えっと、ギターとかで使うスピーカー内蔵の機械……ですかね? 練習用の小さいやつはあるけど大きいのはブラスバンド部に貸しちゃってるから……代わりを取りに行きましょうか」
「えっ、大丈夫だよ! オレ、これだけ弾けて結構満足だし!」
こんな初心者のために手間をかけてもらうのは申し訳ない、が、そんなオレの話を聞いていないのか、聞いていないふりをしているのか、彼女はさっさと準備をして立ち上がる。
「さ、先輩、行きますよ、」
「……どこに!?」
♦︎
言われるがままに彼女について行き、辿り着いたのは理科準備室とプレートが下がっている部屋だった。
「顧問の先生、科学を担当していらっしゃるんです」
がそう言いながら扉をノックすると「どうぞ」と声が聞こえてくる。彼女が「先生、お借りしたいものがあるんですけど……、」と声をかけながらがらりと扉を開くと、白衣の後ろ姿がこちらを見ることなく返事をした。
「ああ、ビーカーは右の網棚に重ねてあるよ、まだ濡れているものがあったらそれは使わないで3段目に入っている乾いたものを……」
「あの、ビーカーじゃなくてアンプです!」
「アンプ?」
そこは異様な空間だった。様々な実験器具の間を縫うように楽器や古いレコードや音楽雑誌が置かれている。いくつか積み上げられているつまみのついたスピーカーが彼女の言っていたアンプだろうか。
「ああ、くん、そうか、あの部屋にあった大きいものはブラスバンドに貸出中だったね、良いよ好きなものを持って行って」
「ありがとうございます、」
「使い終わったらこの部屋に戻しておいてね。僕は好きなんだけどねえ、軽音部。でも、流石に一人だけの部員のために文化部練の部屋を一部屋丸々使うわけには、って教頭がうるさいんだよ。そのうち部室は他の部や同好会と相部屋に、と言われている。だから少しずつ僕の私物もこの部屋に移動させないといけないんだけど数が多くてねえ……ところで君は?」
ようやくオレの存在に気がついた先生はパチパチと瞬きをする。オレが何か言う前に、彼女が「あっ、紹介しますね!」と頷いた。
「部員が増えたら部屋はそのままでも大丈夫なんですよね? 安心してください、先生! 新入部員を連れてきましたから!」
「えっ、本当? 彼がその新入部員?」
「はい! 転校生の……、そういえば私、先輩の名前聞いてませんでしたよね……?」
彼女のハッとした表情を見て、そういえば名前を聞かれてもいなかったし教えてもいなかったな、と苦笑する。「えーっと、ケイト・ダイヤモンドです」と軽く頭を下げると、先生はまた数度瞬きをした。
「えっ、転校生? 一年生じゃないの?」
「はい、」
「楽器は?」
「初心者です、でもこれから教えます、し、ケイトさんは才能あるんですよ!はいダイヤモンドさん、ギター持って。先生、ミニアンプお借りしますね、」
「えっ、何? 何が始まるの?」
戸惑うオレを他所に彼女はてきぱきと楽器を準備する。「ケイトさんの演奏を聴いたら、先生もきっと入部してほしいと思うはずです」と言いながら。
「まってまって、オレまだ入部するって決めてないんだけど……、」
「いいからいいから、さっき教えたコードを弾いていてくださいね、、」
有無を言わさぬ彼女に根負けして、先程教えられたコードを押さえて、弾く。アンプが繋がっているから耳に届くのはさっきよりもずっと華やかかな音色だ。もう一度鳴らす。「そのまま続けて、」と言いながら彼女も持ってきていたギターを構える。視線がぶつかる。音が重なる。そうして俺がただひたすら同じ音を鳴らしてる間、彼女は器用にオレの弾く音に合わせて一曲演奏してみせた。先生は数秒黙った後、「ブラボー」と小さく呟く。
「なるほど……良い人を連れてきたな。じゃ、ダイヤモンドくんはうちの新入部員ということで……、」
「はい! よろしくお願いします!」
「えっ、オレの意思は!?」
オレはただただ音を鳴らしていただけの今の演奏に何か意味があったんだろうか。首を傾げるが、先生はただニコニコと嬉しそうだし、「軽音部、ダメですか……?」としょんぼりしている女の子に冷たくすることができるほどオレは無慈悲ではない。
「も、持ち帰って検討してもいいかな……?」
ここで頷いたらきっと面倒なことになるよ、と『もう一人のオレ』がまた囁く。分かってる、分かってるけど、こんなに手放しに褒められたり喜ばれたりするのは久しぶりだったから、なんだかちょっと心惹かれてしまったことも確かなんだ。