Lycoris常闇のリコリス

小狐丸の村焼き 甲

 

 静かな夜更けにパチパチと囲炉裏の火が爆ぜる音が響く。丑の刻に火を放つため他の男士たちは仮眠のため床へついたが、主は村人と話し込んでいた三日月宗近の戻りを待っているのだと未だ目を閉じようとしない。「小狐丸ちゃんも眠っていてください」と言われたものの、主をひとり残して近侍である己が休むわけにはいかないだろう。それに、恐らく今の彼女は良いこと悪いことを正しく判断できる状態ではない。できれば避けて通りたい任務の最中だ。そのようになるのも当然といえば当然なのだが。誰かが側にいなければ、この娘は思いつめて自らも炎に身を投じてしまいそうだ。

 小狐丸にとって彼女はただ主であるというだけでなく、愛おしく大事にしたい相手だ。そのような人が悲しげな顔をしていると、やりきれない。今すぐにもその小さな体を抱きしめて何もかもわからなくなるほど溶かしてやりたいと思う。だが、小狐丸がそう思っていても、将である彼女はそれを望まないだろう。責任感の強く、真面目な主だ。本丸に帰るまで、小狐丸がいくら甘やかそうとしても首を縦には振らないはずだ。……そこも彼女の良いところの一つなのだが。それでも、せめて少しだけでも、心が休まれば、といつも彼女が小狐丸にそうするように、その艶やかな黒髪をさらさらと指で梳る。

「ぬしさま、ご安心くだされ……火をつけるのは我々に任せておけば良いのですよ」

「そういうわけにはいきません。私は大丈夫ですよ、小狐丸ちゃん。心配するようなことは何も……」

 彼女は弱々しく微笑む「しかし……」と小狐丸が口を開こうとすると同時に、室内にふわりと風が入り込む。刀剣男士以外は出入りできぬようこの建物にも結界を施していたはずなのに……小狐丸は思わず己の刃を手に取った。

「そう無茶なことを言うな主よ。いつ何時であろうとも、俺たちは主を心配しているのだからなあ」

「三日月さん、」

「三日月宗近、」

 現れたのは姿を消していた三日月宗近だった。

「ふむ、穏やかな良い夜だなあ、主」

「どこへ行っていた?」

 小狐丸が問いかけると、三日月宗近はすぅと目を細める。

「村娘に呼び出されてなあ、村に残って伴侶となってほしいと。ふふ、じじいにもついに『モテ期』とやらが来たな」

「三日月さん、」

 彼女の不安げな呼びかけに、三日月宗近は応えない。主とも小狐丸とも一切目を合わせようとはしない彼は口元を隠して「ははは、」と笑う。

「どうだ、羨ましいか、小狐丸。いや、おぬしには主が居るからそうでもない、か」

「三日月さん、」

「人の身というのも良いものだなあ、若い女子が愛でてくれる……」

「三日月宗近!」

 主が声を荒げる。彼女がこのように取り乱すのを小狐丸は初めて見た。優しく聡明な彼女だ。三日月宗近の言葉の節々から、彼の悲しい隠し事を感じ取ったのだろうか、怒れば良いのか悲しめば良いのかわからないといったような複雑な表情をしている。対する月の名を持つ太刀は未だ穏やかな表情のままだ。

「……なんだ?」

 三日月宗近の声色は、うまく問いかけなければ彼女の抱えるわだかまりを溶かすような解を口にするつもりはないといった雰囲気をまとっていた。ゴクリと生唾を飲んだのは、彼女であったかそれとも、小狐丸であったか。

「……本当は、村の方に何て言われたんですか?」

「……はて、何のことやら」

 きっとこれは『不正解』。はぐらかすように目をそらすその太刀の姿は、辺りが薄暗くなったらすぐに沈んでいってしまう『三日月』によく似ている。

「三日月さん、一人で背負わないで」

「ふふ、主にだけは言われたくないなあ……もう夜も遅い時間だ。丑の刻には出陣するのだろう?老体には酷な話だからなあ、じじいは一旦寝るとしようか」

 儚い月は闇夜に消える。伸ばされた将の手は空を掻く。出陣先でなければこのまま三日月を追いかけて肩を掴んで斬りつけているところだ。口惜しい。己ならば絶対に、彼女にこのような顔はさせやしないのに。とはいえ、練度の高い三日月宗近に重傷を負わせて部隊から外すという選択は今はできないだろう。この状況では、小狐丸一人で彼女を守りきれない。唇を噛んで同派の刀を睨みつける。

「……ねえ、小狐丸ちゃん、私に三日月さんを……みんなを守ることができるでしょうか」

「ぬしさま……」

 守らなければならないのは我等刀剣男士達の方なのに、この主はそれまで背負おうとしているのか。だが、背負わずとも良いと言ったとしても彼女は抱えた荷物を手放す気はないだろう。その重荷を引き取ることすらも許してはくれないだろう。せめてそんな彼女の支えになることができれば……そう願うことしかできない己の力不足がなんと憎らしいことか。

 パチパチと囲炉裏の火の爆ぜる音が聞こえる。そっと触れた彼女の指先が冷たい。

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