時間遡行軍に意思があるのか、はたまた目の前にいるものに対して本能的に斬りかかっているのか、実のところまだよくわかってはいない。だが、一部の時間遡行軍は、刀剣男士のみならずその時代の人間を襲うことがある、というのは確かだ。
少女は山の中を脇目も振らず走っていた。
蠢く異形はここを決して通るなとでも言うように山道を塞いでいる。『行きはよいよい帰りは怖い』とはよく言ったものだ。少女が村を出たときはこのような有象無象は影も形もなかった。……いや、姿を隠していただけだろうか。兎も角、村に入ろうとするものを拒んでいるかのような、その刀を持つ黒き者たちは少女にとって恐怖対象でしかなかった。道を外れて、獣道を、走る、走る。
と、その時ぶわり、と落ち葉が舞い上がった。
少女は大きな木の影に隠れる、が、その程度では相手の目をくらますことはとてもできそうにない。このまま有象無象に八つ裂きにされて死んでしまうのだろうか。少女は己の命の終わりを悟り目を閉じる。
が、周りの木々をなぎ倒される大きな音も聞こえないし、肉を裂かれる痛みも一向に襲ってこない。それどころか、少し離れたところから大きな獣の咆哮のような音が聞こえる。……これは一体どういうことだろう?とでも言いたげに彼女は辺りを見渡した。
遠くの方で大きな木がズゥン、と音を立てて倒れる。と、同時に地面に伏せたのは少女ではなく大太刀を握りしめた異形であった。向かい合うのは青い衣を身に纏ったすらりと背の高い男。……少女にとっては救世主だ。携えた刀は刀剣の知識のない少女でも高価なものであることがすぐに想像がついたであろう。気がつくと、男の周りには少女を襲っていた化け物の亡骸が積み上がり、地獄かと見間違うかのような状態になってしまっていた。……それでも、男は美しく、森の中で佇み続ける。襲ってくる異形がもう居ないことを確認し、男は刀を収め、辺りを見渡す。少女の気配を感じ取っているのだろうか。少女は礼を言おうと立ち上がろうとするが、体に力が入らない。きっと、腰が抜けてしまっているのだろう。
青い衣の男は三日月宗近。刀剣男士だ。と、三日月宗近の仲間である刀剣男士達と審神者である若い女が近寄ってくる。男士たちは皆、三日月宗近と同じように腰に刀を携えているから、彼らも、先ほどの異形を薙ぎ倒すことができるほどの実力の持ち主だ。明らかに普通の人間とは違う彼らのことが恐ろしくなったのであろうか、少女は息を潜め、様子を伺っている。……本来であれば、青い衣の武人に助けてくれた礼を言わねばならぬはずなのに、とでも思っているのだろうか。そんな少女の存在に気がついていないのか、はたまた、気がついているけれど見えないふりをしているだけか、男士の一人の白い衣を纏った男……鶴丸国永は愉快そうにヒュゥと口笛を吹いた。
「こりゃ驚いた。本当に君一人で遡行軍を全滅させてしまったな、三日月宗近」
「なに、造作もないこと。恐ろしい化をしているが、そう練度の高くない者が集められて居たようだしなあ」
三日月宗近は微笑んで刀を収める。その横で、小柄な審神者を守るように立つ山吹色の男士……小狐丸が警戒心を緩めることなく口を開く。
「それにしても、このような何もない山で敵に出くわしたのは初めてです。ぬしさま、彼奴達は、」
「そう、ですね。やっぱり、こんのすけさんが言っていたようにあの村は……」
その先のことは誰もなにも言わなかった。彼らの中では『村』のことは共通認識である。草陰の少女の背筋がぞくりと粟立つ。そう、この道の先にある村は、彼女の暮らす村だけだ。
「……村を、守ろうとしているように見えたね」
「ああ、兄者の言う通り、こちらを敵とみなして襲うというよりは、ここから先に進もうとするものを拒んでいるように見えたな」
獅子と蛇のように鋭い眼光をした男士、髭切・膝丸が遠く道の先の村の方を見ながらそう言うと、審神者もそれに同調するように「ええ、」と頷いた。
「……敵側も、あの村が歴史上の拠点になり得ると考えているようですね。いざという時が訪れるまで、村には誰も侵入させないつもりでしょうか……?」
「そもそも、あの村を作ったのは敵であるかもしれないからね、村人一人一人の顔と名前を把握して、村人以外を出入りさせないようにしているという可能性もある」
若葉色の着物の男士……石切丸は倒れた異形の亡骸をまじまじと観察する。先程の時間遡行軍が狙っていたのは草陰の少女ではなくこの刀剣男士たちだったのだろうか。全て殲滅してしまった今となってはその真偽は誰もわからない。
「だが見張り番は今しがた殲滅した。俺たちの任務が終わるまで、援軍が来ないことを祈ろうじゃないか」
「そう、ですね」
「ぬしさま、顔色が、」
「大丈夫です、大丈夫ですよ、これも任務の一つ、ですから」
「無理をしなくても良いんだよ、主。こんな任務、私も気がすすまないからね」
鶴丸国永の言葉に表情を曇らせる巫女に、小狐丸と石切丸の二人が慰めるように声をかける。反面、他人に頓着のない男士……髭切は「そうかな?」とあっけらかんとした様子だ。
「僕は結構愉快な気分だけど」
「兄者、」
「ふふ、冗談だよ、……炎の恐ろしさは、心得てるつもりさ」
「……村を一つ燃やせ、か」
続きを聞かずに、草陰に隠れていた少女は再び走り出す。もう身を潜めている余裕などなかったのであろうか、それとも自分一人見つかったところで、どうせみんな同じ、みんな灰になり消える運命なのだと気がついたのか。彼らは異形を倒した救世主などではない。彼女と、彼女の村にとっては敵となりうる存在なのだ。
少し前の話をしよう。とはいっても、俺や刀剣男士達にとっては少し前の出来事であるが、あの時代の村人達にとってはずっとずっと先の時代の出来事だ。
時の政府壱壱零五社屋より件の本丸に緊急任務の勅命を届けに来たのが監査官である俺だ。
「緊急任務、ですか」
審神者の呟きに、俺と共に本丸に来た政府の使いの管狐は「はい」と表情の読めない顔で頷く。このように、通信を介してでなくこんのすけが直接持ってくる任務は時間のかかる面倒なものか、時間はかからないがあまり気が乗らない内容のもののどちらかである、監査官も共に赴いている場合は尚更のこと……ということは、本丸の主も近侍の小狐丸もよく心得ているようだ。そのようなもの、断ってしまえば良いのに、と小狐丸は思っているようだが、審神者というものは立場上そうもいかない。
「それで、今回はどのような任務なんですか?」
「ええ、審神者さまには、とある村を焼いていただきたい」
「……村、を」
予想通りだ、という顔だ。勿論、廃村を焼け、などと言う意味ではない。彼らが焼かねばならぬのは、人の暮らす村。人間を殺せと言っているいるも同然。
「お前たちの思っている通り、ただの村ではない。歴史改変によって生まれた山の中の小さな村。本来であれば、放置していても自然と歴史の流れに取り込まれていく、脆い氷のようなものなのだが……、」
「……なにか、放置できない事情が……?」
「……今後、大きな歴史改変の要となり得る村、と言ったら納得できるか?」
「大きな歴史改変の、要……」
「あぁ、」
俺の言葉に伴い、管狐も頷く。政府の記録によると、件の村は所謂『歴史の重要人物』の隠れ蓑となる可能性もあるらしい。例えば織田信長、例えば坂本龍馬、例えば……。
「そのように、歴史の上では『殺された』とされる人物達が、この村を訪れ、生き延びる可能性がある」
「なるほど、だから」
「ああ、早いうちに燃やしてしまおうというわけだ」
だからただ無意味に村を焼けというわけではないのですよ、と、こんのすけは補足の説明をする。とはいえ、この本丸の主が納得して村を焼くことができるかはわからない。近侍の小狐丸を顕現したての頃、時間遡行軍により本丸に火を放たれ、審神者の父親は崩れゆく屋敷の柱に足を潰された。幸い本丸内の刀剣も彼女も彼女の父親も、命を落とすことは無かったが、あの時目の前に広がった全てを焼き尽くす炎を、まだ幼かった彼女がどれほど恐ろしく思っていたかはとても計り知れない。普段の生活ではおくびにも出していないようだが、焚き火ほどの小さな炎にもあまり近づきたがらない 。燐寸を擦り火をつけること自体を恐ろしく思っている可能性も十分にあるだろう。
加えて、刀剣男士が傷つくことでさえためらう様子を見せる彼女のことだ。歴史改変によって生まれた村だとしても、罪のない村人達を殺すことができるのだろうか。
「本当は、間引かなければならない命なんて、一つも無いはずなのに、」
俺とこんのすけの持参した書類に目を通し、任務の内容を確認して、彼女はポツリと呟く。
彼女のその言葉を最初に聞いたのは、いつのことだっただろうか。兼ねてより、本丸内での審神者と刀剣男士とのやりとりの映像と音声は政府に記録されている。昔からことあるごとに彼女が口にするその台詞は、記録映像で何度も耳にした。……命を大切にするのは悪いことではないが、戦場でそのようなそぶりを見せる将というのも考えものだ。眉間に皺を寄せていると、近侍の狐にギロリと睨まれた。獣のような表情を見せながらも、小狐丸は彼女に優しげに話しかける。
「ご安心くだされぬしさま。我々のみで村を燃やして参りますゆえ、ぬしさまは本丸で……」
「……申し訳ありません小狐丸さま、それがそうもいかないのです」
小狐丸の言葉を遮るように、こんのすけはパタパタとしっぽを振る。「どういうことじゃ、」と問い詰められた管狐は「実は……、」と書類の束の最後の方を開くよう示した。
「審神者さまには、村焼きに立ち会っていただき、村に呪いをかけていただかなくてはなりません。未来永劫、その土地に人の子が村を作ることのないよう、呪いを」
こんのすけの言葉に、審神者はいつになく不安げな表情を見せる。管狐の言う通り、任務の手順が書かれた書類には丁寧に呪いのかけかたまで記載されていた。審神者の力が不可欠であるがあまりにも残酷なこの行為を、この審神者は実行できるのであろうか……。
こんのすけが本丸を立ち去ってから、有無を言わさぬように出陣の命が下った。監査官である俺は、目付役として常時部隊を観察するよう政府に言い渡された。
普段通りであれば難なく倒すことができるであろう相手でも、迷いや不安があればそうはいかない。そのように抱いていた不安は、得てして的中するもので、任務先である時代のとある山奥にたどり着き一息もつかないうちに部隊は時間遡行軍に襲われた。
「ぬしさま!お気をつけくだされ!私の後ろに隠れて……!」
「小狐丸、主を頼むぞ。俺は先に行き、彼奴らを片付けてくる」
有無を言わさず敵へ向かっていった三日月宗近を小狐丸をはじめとした部隊の面々は見送る。いつも通りであれば、同じ流派の同じ太刀にのみ手柄を取られるのは気に食わないと共に飛び出していく小狐丸だが、この状況ではそうもいかないのだろう。歯を食いしばり、手をかけた腰の太刀を握りしめた。
遭遇した時間遡行軍は、練度が高いとはとても言い難い有象無象の類であったらしい。あっという間に三日月一人で全て倒してしまった。が、そのような者たちであったとはいえ、何もない山奥で出くわしたというのは気にかかる。
「時間遡行軍は歴史の特異点となり得る場所に出現するのが常だからね、村を守ろうとしていたと考えると自然だろう」
「そう、ですね。やっぱり、こんのすけさんたちが言っていたようにあの村は……」
沈黙が訪れる。刀剣男士というものは元々人殺しの刀だ。神社の刀として人々の病気や怪我を治して来た石切丸は兎も角、ここに居るものたちのほとんどは小さな村一つ分の人間を焼き殺すことにためらいはないだろう。皆が気にかかっているのは、恐らく主のこと。
「……村を、守ろうとしているように見えたね」
「ああ、兄者の言う通り、こちらを敵とみなして襲うというよりは、ここから先に進もうとするものを拒んでいるように見えたな」
本丸に最近顕現した、髭切膝丸の二振が、遠く道の先の村を見据える。『練度は皆さんほど高くはないけれど、何があっても躊躇わず火を放ってくれそうだと思って……』という審神者の見解通り、兄の方・髭切はわくわくとした様子で今回の『火遊び』をとても楽しみにしているようだ。弟の方・膝丸も兄が火を放てばそれに倣うだろうし心配は要らなさそうだ。
「……敵側も、あの村が歴史上の拠点になり得ると考えているようですね。いざという時が訪れるまで、村には誰も侵入させないつもりでしょうか……?」
「そもそも、あの村を作ったのは敵であるかもしれないからね、村人一人一人の顔と名前を把握して、村人以外を出入りさせないようにしているという可能性もある」
「だが見張り番は今しがた殲滅した。俺たちの任務が終わるまで、援軍が来ないことを祈ろうじゃないか」
審神者の言葉に石切丸と鶴丸が応える。「そう、ですね」と彼女は頷くがどうにも歯切れが悪い。非情になりきれない彼女が思うのは、否が応でも焼かねばならぬ村とその村人のことだろうか、それとも……。
「ぬしさま、ご無理はなさらぬよう」
「大丈夫です、大丈夫ですよ、これも任務の一つ、ですから」
そんな主を見て「無理をしなくても良いんだよ、主。こんな任務、私も気がすすまないからね」と彼女の方を優しく叩く者、「そうかな?僕は結構愉快な気分だけど」と首をかしげるもの様々だ。……流石に不謹慎な物言いをする髭切は、弟に「兄者、」とたしなめられ「ふふ、冗談だよ、……炎の恐ろしさは、心得てるつもりさ」と目を細める。
「……村を一つ燃やせ、か」
改めて、小狐丸がぽつり言葉を漏らすと、部隊に緊張が走る。審神者の顔色も少し悪くなってしまったように見える。
「嗚呼ぬしさま、そのようなお顔をさせてしまい申し訳ございませぬ……、何があってもぬしさまはこの小狐がお守りいたします故……」
「なに、主が心配することはなにもないさ。この道を下ればすぐに例の村だ」
「とは言っても心配事ばかりだとは思うけどね、……私達が付いている」
そう、三日月宗近と石切丸に声をかけられて、彼女は「……はい、」と返事をする。が、いつもは穏やかな彼女の表情も曇り空のような陰った雰囲気のままだ。