君は瞬くあかつきの星 #2

顕現されて数日後、小狐丸は小規模な任務をこなし、本丸に戻って縁側でぼんやりと毛繕いをしていた。乱れた髪が次第に輝きを取り戻していくのが心地よい。この身体と環境に少しは慣れたものの、未だに己の身体の様々な変化に驚くことも多いし、本丸内では度々道に迷うし、ここに居る全ての刀剣の名を覚えられたわけでもない。まだまだわからないことだらけ。
 そんな慣れぬ環境の中、何度か内番や演練をこなしたが、どれも霊狐よりうまくはできなかった。……己の経験不足故だろうか、それとも元々あちらの方が力を持っているのだろうか……。嗚呼、彼の狐がうらやましい。
 そのようなことを思い、深々とため息をついた小狐丸に「小狐丸くん」と声をかけてくるものが一人。

「調子はどうかな、小狐丸くん」
「……ぬしさまの、お父上様」
「おや、あの子のことを『ぬしさま』、と呼んでくれているんだね」
「……ほかに呼び方がありませんから」
「うんうん、その方が良い。後できっと後悔する」

 そう言って彼女の父は「少し失礼するよ」と小狐丸の隣に腰かけ、手に持っていた茶菓子の包み紙を開き、「ひとつどうかな、」と小狐丸にも勧めてくる。

「お父上様、この小狐に何かご用が……?」
「いやなに、先ほど言った通りだよ。君の調子を聞きに来た。……いや、戦績やどの程度実力がついたかは記録を見ればすぐにわかる、私が聞きたいのは他の刀剣男士や、あの子とうまく関わることができているか、だよ」
「……関わり、ですか」
「そう、人の身を得て生きていく上で、結構大事なことだ。……本来ならあの子がもっと気を配るべきなのだろうが……、」

 あの子、とはやはり小狐丸の主であるのことであろう。彼女は彼女で初めての刀を顕現して舞い上がっているようだから、まだ冷静な目で物事を判断することができないだろう、特に、人の心に関わることは。ということで、彼が小狐丸の元へ来たらしい。

「……それで、どうなんだい?他の刀にいじめられたり、逆に親切にしてもらったりした話があれば是非聞きたいな」
「……いえ、特にそのようなことは……、」
「本当に?……まあこちらに来て日も浅いから君もまだ自分のことで精一杯なのかな……。あ、ちなみに、君は私の小狐丸のことはなんと呼んでいるんだい?」
「……霊狐、と」

 霊狐とは日本の信仰に見られる狐の呼称。 あるいはそれらを題材とした空想上の存在。この名を呼ばれるということはもう一振りの小狐丸にとってどのような意味があるのだろうか、小狐丸にはわからない。が、目の前の彼が「そうか、彼らしいなあ。」と笑うからこれはきっと霊狐に深い関わりや因縁のある呼び名なのだろう。

「……ところで、あなた様のことはなんとお呼びすれば」
「私かい!?……そうだなぁ、親方様なんてどうかな、一度呼ばれてみたかったんだ」

 問いかけると、彼はそう聞かれるのは予想外だった、と言いつつ笑った。その声にどこか安心感を覚える。やはり、あの幼子と目の前の男は根本的に何かが違う。経験の差だろうか、そもそもこの男が刀剣男士を懐に入るのが上手いのであろうか、いつか小狐丸の主にもあのように余裕を持って刀剣男士と接することができる日が来るのであろうか。

霊狐が現れたのはは主の父親……親方様が縁側から立ち去ってしばらくした後のことだった。

「おや、若い私ではありませんか」

おもわず化け物を見るような目でその長身を見上げてしまう。が、彼は気にすることなく「隣、失礼しますよ」と縁側に腰掛け持ってきた茶菓子を勧めて来るから、いらぬ、と突き返す前に、先程餡団子を差し出してきた親方様の顔が浮かんで、動きが止まる。そのまま口に豆菓子を放り込まれ、追い払うことができなくなった。口の中で餡団子と砂糖豆の味が混ざり合う。先程整えたはずの毛並みが徐々に乱れていくような心地だ。

「……若い私は、私のことがお嫌いですか?」
「だとしたら、どうだというんじゃ」
「いえ、若くて羨ましいと思っただけですよ」

そう言って霊狐は笑う……やはりこの狐の尻尾は掴めない。ふわふわとした物言いに、小狐丸も戸惑うばかりだ。

「……本当に、貴方が羨ましい」
「……何を言うておる」

羨ましいと思っているのはこちらの方だというのに、この同じ審神者とはいえ、経験の年数でその能力は全く違ってくる。今のの力では到底小狐丸も本来の力は発揮できないだろう。それに対し、この霊狐は、そのような制約がない。練度の差はもちろんあるが、この実力差は主の力の差も大きいのではないだろうか。

「私は……貴様が……」
「貴方は私が、羨ましい、そう言いたいのでしょう。お互いに無い物ねだりなのでしょうね、」

そう言って霊狐は穏やかに微笑む。

「この数日で貴方もわかったでしょう。この本丸には多くの刀剣男士がいます。私が顕現されたのはその中でも三十四番目、貴方のようにぬしさまの最初の刀ではないのです」
「だが、しかし……」
「以前も申し上げたとおり、様は類い希なる才の持ち主。必ずこれから、彼女のお父上であるぬしさまと同等……いえ、それ以上の力をつけて刀剣男士を指揮されることでしょう」

小狐丸の憂いはきっとこれから晴れゆくはず。だが、霊狐の憂いは、親方様の刀であり続ける限り、晴れることはないでしょう、とそう言うのだ。

「……ふふ、申し訳ありません、これまでは今の立場で十分だと思っておりましたが、貴方を見ているとつい、心が揺らいでしまいます」
「……ならば何故、親方様の刀であり続けるのじゃ。貴様ほどの力があれば、そのように思うなら、何故まだここにいる。……他の本丸では弟子に己の刀を一振り譲る審神者もいるのであろう、おぬしも進言すれば……」

そう、親方様に信頼され実力も確かな彼ならば、なろうと思えば、の最初の刀になれたはず。なのに、なぜ、
「そんな気は毛頭ありませんでしたよ、私のぬしさまはぬしさまだけ。ぬしさまに代わる人はいないのです。……貴方も、わかっているのでしょう?」

経験の浅い小狐丸でも、此度は霊狐の言いたいことがなんとなく理解できた。……私たちは、元の主のない刀。

「この本丸に顕現してくださったぬしさまが唯一の主。これまでも、これからも」

けれど、わからない。彼が親方様を慕うように、己も本当に心の底から彼女を慕い、想い、敬える日が来るのだろうか。

「そうだ、若い私。一つ言い忘れていました。」
「……なんじゃ、」
「貴方を顕現するとき、さまは”私だけの刀に会いたい”と仰っていたのですよ」

使ってくれる主がほしかった、私たち……いえ、若い私、貴方の気持ちと、つながっているとは想いませんか?と、そう言って霊狐は笑う。つながっている、あの小さな彼女と……?
彼女との仲が深まるのが嫌というわけではない、だがまだ、戸惑いの気持ちの方が大きいのだ。それはまだ細くて脆いつながり、徐々に編み込んで、深く、強く、することができれば……。

弦を弾くと思ったよりも簡単に音が出た。それを聞いた彼女はニコニコと嬉しそうに手を叩く。幾度か部屋で一人試みたが、こんなに響く音が鳴らせたのは初めてだ。

霊狐に渡された三味線を片手に、どこか音を出しても問題ない場所はないかと本丸内をうろついていると、幼い主に見つかった。嬉しそうに「わあ!」と声をあげ「ねえ小狐丸ちゃん!これから三味線のお稽古されるんですか?私にも聞かせてください!」と辺りをくるくる回る。その忙しない姿は、まさに子供。鍛刀の時や幾度か出陣した時はきりりと凛々しげな表情をしており、本来の年齢よりも少し大人に見えたが、小狐丸が戦装束を纏っていない場面では時が経つにつれて精神年齢が下がっているような気さえする。
最初はすきあらば小狐丸の側に居たがって毛並みを整えたがったりほんの少しの傷でも手入れをしたがったりした彼女であるが、小狐丸が何度か「今は一人にしてくだされ」と断ったせいか、近頃は小狐丸が彼女の側にいたいという申し出を断らないであろう頃合いを上手く見計らってこちらに声をかけてくるようになってきた。彼女がこちらに慣れたせいか、……はたまたこちらが彼女に慣れたせいか。

「……それにしても、よろしいのですか?私ばかりに構っていては審神者としての任が完うできないのでは?」
「ふふ、平気です。書類は片付けてきましたし……、今は小狐丸ちゃんの側にいた方が良いって、父様と小狐丸さんが」

なんと余計なことを……。彼女のことが嫌いなわけでは勿論ない。いずれは主と刀剣男士として深く心を通わせたいと思っている。だが、嫌いなわけではないが、複雑なのだ。
小狐丸はこの小さな体躯の持ち主が主であると言うことをいまだにきちんと心の底から理解できずにいるし、彼女自身もどこかふわふわとしていて、新人の審神者として考えれば実力は申し分ないと言えるかもしれないが、自身が小狐丸の主であるという自覚が少し欠けているように思える。小狐丸の後ろをついて歩く姿は、まるで親ガモについて歩く子ガモだ。

「ねえ、小狐丸ちゃん、もっといろいろ教えてください、小狐丸ちゃんのことも、三味線のことも」

いまもそう、使役し、従者として扱うべき刀剣男士に教えを請おうとする。おかしな主だ。……とはいうものの、こうして頼られるのは悪い気はしないから、少しモヤモヤとした気持ちを抱えつつも小狐丸は再び三味線を構え直すのだ。

「小狐もこの三味線に触れるのは初めてのこと故、ぬしさまにお教えできることは少のうございます……、……ですが、代わりに、私が刀として生まれた時の物語をお聞かせしましょうか」
「刀として、生まれた時の……?」
「そう、舞いと踊りで彩られた、狐と刀鍛冶の物語です」

ペン、と軽やかに弦が鳴り、肩にかけた髪の毛がはらりと落ちる。未だ顕現されて間もない己だが、少しは上達できているだろうか、この楽器の扱いも、彼女との関わり方も。