君の両手はひとひらの #5

三日月宗近にとって、今の主は二人目の主だった。
正確には、刀剣男士として顕現してから、二人目の主だ。刀であるころは、数多くの主の手を渡り歩いたが、やはり人として接した初めての主には多かれ少なかれ思い入れであるとか信頼であるとか、特別な感情を抱いていた。それが、今の主の父親に当たる先代の審神者である。
己の主としては勿論、恋愛の情で審神者を想う刀も他所の本丸には居るようだが、三日月が彼女の父や彼女に向ける想いは家族や友人など極めて近しく大切な相手に向ける情に近かった。特別彼女に向ける感情は、娘や孫などへ向ける思いが近いだろうか。
だから、臣下としての感情以上に、彼女には辛い思いをしてほしくないとも思っている。例えそれが戦での勝利に繋がらなくとも…といえば己の私利私欲でしかないが、そのくらい、彼女のことを慈しむべき存在だと思っている。

そのような彼女に、思慕を寄せる刀がいることに気がついたのはいつからだろうか。それが、己の兄弟刀であると気づき少し驚いたのは。三日月がふと気付いた時にはすでに小狐丸は彼女のことを熱のこもった視線で見つめていたし、彼女の側に在ろうとしていた。そのことを小狐丸本人が自覚していたかは分からないが。
悪い気持ちではなかったものの、心配でなかったといえば嘘になる。だが、同じ鉄から生まれ、同じ本丸に顕現された兄弟刀。彼女の害にはならないだろうから、しばらくは様子を見ようと決めたのは彼女が審神者の任を命じられ一年と少し過ぎた後。彼女が辛い想いをするのならば、主人の側から小狐丸を遠ざけようと思っていたが、そのような様子もなく、心配するというよりも二人を見守るといったほうが的確なような気もし始めていた。

三日月が二人の…いや、小狐丸の、異変に気付いたのは審神者が共に戦場に赴いた後からだった。…いや、三日月だけでなく、あの場にいた全員が気がついていただろう。小狐丸は特がつき、以前よりも随分と大きな力をその手に収めた。
勿論、三日月自身は随分前、先代の審神者の頃から特が付いているためすっかり忘れてしまっていたが、特が付いてしばらくは、強くなった力になれないため、以前よりも少し動作がぎこちなくなってしまうようだ。小狐丸も、廊下を踏みしめる時は以前よりもそろそろと足音を立てぬよう歩き、物をつかむ時はより慎重に触れるようにしているようだ。…本人は気付かれぬよういつも通りに振舞っているつもりのようだが。
だが、何かそれだけではないような、そのような気がするのだ。小狐丸はなにも言わないが、何か特が付いて力が強まった以上の変化が、彼自身に起きているのではないだろうか。

それは三日月だけでなく審神者も同じことを感じていたようで、三日月が縁側で一人茶菓子を嗜んでいると「三日月おじいちゃん、」とこっそり声をかけてきた。彼女の側に小狐丸が居ないのはとても珍しい。小狐丸は縁側からも見える位置にある庭の腰掛で、今剣となにやら言い合っているようだが、恐らく大事ではないだろうと審神者の方へ向き直る。

「どうした、このじじいに何か相談事か?」
「三日月おじいちゃん、あの…、なんだか最近小狐丸ちゃんがおかしくないですか?」
「おかしい、とな?」

ええ。と頷き、審神者は三日月が腰かけていた縁側へ自らも腰を下ろす。

「はい、たぶん、私が戦場に出て、小狐丸ちゃんに特がついた、あの日から。」
「…たしかに、あの後からの彼奴の行動はどこかぎこちないな。力を持て余しているのか…」
「ええ…、でもそれだけじゃなくて、もっと違う変化が何かあるきがするんです。」
「変化、か。」

幼く見える主は三日月が思っているよりずっと物事をよく見ていることが多々ある。此度の小狐丸の変化にも気がつくまでしばらくかかると思っていたが、存外早々に認識していたようで少し感心する。

「この前も真っ暗な部屋で何もせずにぼうっと立っていましたし…」
「…それは、奴らしくないなあ。」

野生と言いながらも存外身なりや態度はきちんとしている小狐丸がそのように主に声をかけられても気がつかないとは珍しい。加えて、審神者は小狐丸が思慕を寄せている相手だ。名を呼ばれる前に彼女の足音を聞いただけで振り向いて笑みをこぼすのが常である。
三日月の言葉に審神者は頷き、言葉を続ける。

「小狐丸ちゃんにも聞いたんです、いつもと何処か違うように見えるけど大丈夫かって。」
「ほう、…で、小狐丸は何と?」
「なにも心配することはない、と、言うのですが……、」

何かを言いかけて、審神者は口ごもる。三日月が促すと審神者は口を開き、小声で続けた。

「…なんだか…、小狐丸ちゃんに、避けられている気がするんです。」
「避けられている?」
「はい、私の勘違いかもしれないのですが…、近頃はあまり側に居てくれなくて…、」
「……主はそれでは気に入らないのか?」
「気に入らないというわけではない、と言うとされは嘘になりますね…。」

それならば、『側に居ろ』と言えば良い。彼女は主で、彼は彼女に従う刀剣なのだ。そのように命じても、何も悪いことはない。
…とも思ったが、三日月はそれを口にすることはできなかった。彼女はこのような場面で主君として振舞うような性質ではないと、三日月もこの本丸にいる他の刀剣たちもよく知っている。あくまで人同士のように、刀剣男士達と関わりを持とうとするのだ。

「……でも、なんだか、わたしを避けているのには小狐丸ちゃんなりの理由があるような…そんな気がするんです。」
「……ふむ、」

三日月は少し考えるようなそぶりをして、相変わらず庭の腰掛の辺りで今剣に何か小言を言われているらしい小狐丸を見遣る。真面目な小天狗の言葉を聞き流している狐は、一見、普段と変わりないように見える。が、以前の彼と比べ力が少し増しているようで、時折力加減がわからぬかのような仕草をする。今も、そばにある湯呑を手に取るとき、少し躊躇うような表情を見せた。
単純に考えれば、未だ加減ができぬの力で不用意に主を傷つけぬよう彼女を避けているのだろうと推し測られるが、本当にそれだけだろうか。
彼が主に触れたがらないのは、腕力が強くなったからという理由だけではない、と三日月は推測する。主の手を握る力以外に、加減ができない何かがあるのだろうか。

「ねえ、三日月さん」
「なんだ、」
「もし、小狐丸ちゃんに嫌われてしまっていたら、どうすればよいでしょうか…、」

そう言って此方を見る彼女の瞳は不安と悲しみで濡れている。戦場へ赴く前も不の感情を表に出さなかった主にこのような顔をさせるとは…。

「…悪い狐だなあ、奴は。」
「わ、悪い?」
「ははは、物の例えだ。心配せずとも、あれが主を嫌うことはないさ。」

ぽん、と主の頭を撫でる。
と、丁度こちらを見ていた小狐丸とぱちりと目が合った。

「三日月!」

苛立った表情の狐が立ち上がり、静止する今剣を無視してずんずんとこちらへ向かってくる。

「ぬしさまの御髪に気安く触れるなど…、己の立場を弁えているのか?」
「おぉ、怖い。なに、下心など無いただの戯れだ。そのように怒ることは無いだろう。なぁ、主。」

「さあぬしさまこちらへ、このような狸爺の相手をすることはございませぬ」と、主の手を取る。
が、いつものように彼女を引き寄せて腕の中にしまうことはせず、ぱっと手を離してしまう。
主もこれはおかしいと思ったのだろう、「小狐丸ちゃん?」と不安そうに声をかけるが、特がついたばかりの太刀は「申し訳ありませぬ、」と目を伏せるだけだ。

主が辛い思いをするのならば、彼女から小狐丸を遠ざけようと思っていた。が、小狐丸が自ら彼女から遠ざかろうとし、それにより彼女が辛い思いをしているのならば、また話は違ってくる。月の目を持つ優しい太刀は幼い頃からその姿を見ている主に、悲しい思いをさせたくないのだ。
寂しそうな顔をする主と、ひどく心苦しそうな小狐丸の顔を見比べて、三日月はどうにかならないものかと考えを巡らせた。