大学生になって三年目の今年の文化祭は想像していた以上にバタバタで直前の一週間はまともに睡眠も取れなかった。人をまとめる才能が全く無いのに、同じ学科の同学年で集まって出すことが決まった綿菓子の出店のリーダーを任されてしまった私は、なれない電卓を必死で叩いたり、不備だらけの物品リストと睨めっこしたり、前日まで装飾係に付き合って大きなポスターやらカラーマーカーやらと格闘したりしていた。……そしてそれは菊丸くんも。
菊丸くんとの『腐れ縁』は継続中で、大学に入ってからも、狙ったわけじゃ無いのに同じ学科を選んでいたり、狙ったわけじゃ無いのに同じ授業を受けていたり、狙ったわけじゃ無いのに同じゼミに所属になっていたり、何かと接点が多い上、今回は文化祭で同じ係を任されてしまった。菊丸くんは平然と受け入れてニコニコ笑っていたけれど、わたしにとっては一大事件だ。革命だ。
綿菓子リーダー菊丸くんはみんなを取り仕切ったり、役割を割り振ったり、各ポジションの不満や問題点を洗い出したりするのがそれはそれは上手だった。私はからっきしだから、一人ではとてもとてもこの役をこなせなかっただろうと思う。本当にありがたい。それでも菊丸くんは「さんが居なかったら俺どうなってたかわからないよ」と笑う。すっごく謙虚で優しい人だ。
こうして、今までよりもぐっと距離は縮まったのに、短くはない月日を共に過ごしているのに、私は未だに菊丸くんに恋人がいるのかいないのかすら知らないでいる。それどころか、菊丸くんの家の場所も、家族構成も、よく知らない。こんなに長い間近くにいるのに、わからないことだらけだ。
でも好き。分からないことだらけだけど、見ているだけで好きって気持ちが溢れ出してくる。ずっと菊丸くんのこと好きでいるけど、この気持ちは治ることを知らない。むしろどんどん強くなるばかりだ。
「……やっぱり好きだなあ、」
「……何が?」
「は!?えっ!?」
不意に声をかけられて、驚いて妙な声を上げてしまう。菊丸くんが横にいるのに、ぼんやりして無意識に考えたことを意図せずそのまま言葉にしてしまっていたようだ。文化祭の準備が忙しすぎて疲れがたまっているのだろうか。
「ご、ごめん、何でもないよ」
そう言って曖昧に笑うと、菊丸くんは「そう?」と怪訝そうな顔をしながらもそれ以上は追及してこない。うまく誤魔化せてはいない気がするけれど、こうやって、踏み込んでほしくない部分には踏み込まないでいてくれる、距離感を弁えているところも、菊丸くんがいろんな人と上手に仲良くやっていくことができる秘訣の一つなんだろうなあ。
文化祭が終わった次の日はゼミ室には誰も来ていなくて、私と菊丸くんの二人きりだった。大まかな片付けは終わり、あとは会計や備品の整理だけだから、午後から学校に来ても日が暮れる前には終わると思っていた。が、雑務処理はそんなに甘くない。二人でなんとかお金の計算を終わらせてふと顔を上げると、頭上にあった太陽はすっかり傾いて、山の際に沈みかけていた。
決して広くはない部屋で、二人きりで、夕日が綺麗で、告白するなら今だろって雰囲気だった。差し込んできた光に照らされた菊丸くんの瞳がキラキラしていて、宝石みたいだなあと思う。雰囲気作りだけはばっちりだ。でも菊丸くんはきっと私のことなんてなんとも思っていないからここで何か言っても迷惑でしか無いんだろうけど。
「ねえ、菊丸くん、」
「ん?」
「……なんでもない」
そのようなやりとりを何度繰り返したことだろう。菊丸くんにとっては鬱陶しかったかもしれない、苛々したかもしれない。それでも二人きりでここに居ることができるのが嬉しくて、幸せで、浮かれたわたしは用事があってもなくても何度も彼の名前を呼んでしまった。『きくまるくん』という六文字に、『好きだよ』という気持ちを乗せて。
粗方の業務が片付いた頃にはすっかり日が沈んでしまっていた。予算報告書や決算報告書まで作らなきゃいけないなんて、この仕事を引き受けた時は全く思いもしなかった。私もそこまできちんとできるわけではないけれど、菊丸くんは特に表計算ソフトやらワープロソフトやらの類が苦手らしく、何度か私にやり方を聞いてきたりしたから余計に時間がかかってしまった。……まあ、質問されるたびに内心小躍りで答えていた自分もいるから、お互い win-winではあるのだけれど。
そんなこんなでなんとか報告書を仕上げたから、あとは印刷して提出して仕事はおしまいだ。ゼミ室のコピー機はおんぼろだけど、たぶんこれくらいならきちんと印刷できるだろう。
「あ、A4の用紙足りないかも……」
「ほんとだ、俺持ってくるから待ってて〜」
「ありがと菊丸くん、好きだよ」
何気ない風を装って「好きだよ」を言葉に紛れ込ます。そうやって私は誤魔化すのが得意だから、無視されたっていい。「俺も好き」だなんて返事もいらない。私のことを嫌いにならなければ、それで。次に話しかけた時にいつも通りの優しい彼の声が返ってくれば、それで……そう思っていた。
でも、いざその言葉を口にしてみたら、それだけじゃ足りない、「 知ってたよ」と「ありがとう」を言われたいと思ってしまった。……そんなこと言って貰えるえるわけないのにね。しばらく菊丸くんのそばで過ごしていたから、前よりもわがままになってしまったみたいだ。
「菊丸くん、好き」
もう一度、誤魔化さずに呟いた言葉は、小さすぎて少し離れた場所で用紙を探している菊丸くんまでは聞こえなかった気がする。届かぬ想いはコピー機の起動音にかき消され、夜闇に溶けた。
もう少し二人で居たいから、煩くガタガタ揺れながら報告書を吐き出すおんぼろの機械なんて、壊れて止まってしまえばいいのに。