The Tempest

10 years ago in summer.君が好きだと思った

「やっぱり手塚くんが1番かっこいいと思うんだよね」
「なに言ってんの?不二くんの方が優しそうだしかわいいよ」

異性は自分たちとは根本的に違う存在だと認識し始めたばかりの中学生の女の子は、対象への憧れや恋を躊躇いなく口にする。私の友人達も例に違わず、グラウンドの運動部を見ながら楽しそうに彼らを目で追いかけている。私はそんな彼女達をニコニコと見守りながら、たまになにも言わずに頷くだけ。そうすれば、喋らなくて済むから。

「そういえば、はさ、好きな人って居るの?」
「テニス部の中だったら誰がタイプ?」

喋りたくなかったはずなのに、好奇心旺盛な少女たちの興味の矛先はいつのまにか私の方に向いてしまっていた。そのような彼女たちの問いに私は曖昧に笑って、なにも言わずに首を横に振るだけ。そうすれば、喋らなくて済むから。

とはいえ、私だって煩悩に塗れた中学生だ。好きな人がいないというわけではない。いまだって彼女たちの会話に意中の彼の名が挙がらなかったことに心の底から安堵しているのだ。ただ、このどろどろとして複雑怪奇でそれでいて宝物のような感情を、躊躇いなく口にしたり人の目に晒したりすることができるほど、私は子供ではないし大人にもなれない。

私は、菊丸英二くんのことが好きだ。

菊丸くんとは、中学校になってから、ずっと同じクラスだった。ただそれだけ。それだけだったけど、彼のことを好きになるには十分すぎた。彼は、少しお調子者だけどマメでしっかり者で、優しくたくさんの人に心を配ることができて、みんななに愛されるだけの愛嬌があってかわいい人だ。
 多分彼は無口で目立たない私の名前なんか覚えていないし、街中ですれ違っても気づいてはくれないだろう。朝出会った時に挨拶を返してくれるのは、私に対してだけじゃない、優しい彼がみんなにしてることだよ。

今日もいつも通りの一日が始まる。私は菊丸くんと会話することはないし、そもそもそういうきっかけもタイミングも無い。ただ授業中の彼の後ろ姿を、昼休みに垣間見える笑顔を、終礼の後部室に走っていく横顔を、眺めるだけだ。それで1日が終わる。……そのはずだった。

さん、」

朝の準備を終えてひと段落ついた頃、予想外のタイミングで、何度も頭の中で繰り返し再生した声が、私の名を呼んだ。一瞬聞き間違いかと思った。が、その思考よりも早く身体は反応していて、勢いよく声のした方を振り返っていた。夢か幻か現実か、きちんと判断がつかない。が、そこには確かに、毎日見つめ続けた彼が、いつもの愛想の良い微笑みを浮かべて立っていた。

「はいっ、さっきハンカチ落としてたよ〜」

差し出してきたかわいい猫柄のハンカチが妙によく似合う彼は、「さっき落とすところ見えたんだ〜、俺、目がいいから」とにこにこ笑っている。こちらは想定外の事態に脳の処理が追いつかず、言葉を発することもままならないというのに。

「あれ、もしかして俺の見間違い?」
「ううん!わ、私の!です!あり、がとう……」

きちんとお礼を言いたいのに、無愛想でそんな私の動揺した顔を、菊丸くんは心配そうに覗き込んでくる。やめて、やめて、近い。

「どしたの、なんか……変な顔してる」
「いや、私、菊丸くんに、名前、覚えてもらってるなんて、思ってなかったから……」

素直にそう言うと、彼は楽しそうにけらけらと笑った。よく笑う人だ。いつも見てるから知ってたけど。彼が笑ってくれるおかげで緊張が徐々にほぐれていくが、まだまだ体の震えはおさまらない。彼は「もう、覚えてないわけないだろ!」とちょっと怒ったふりをするが、顔が笑顔のままだからあまり怖くない。

「ご、ごめん、今まであまり話したことって、無かったし……」
「話したことなくても、覚えてるよ〜!俺、さんのこと好きだもん」

す……好き、だもん!??ニコニコ笑いながら吐かれた言葉に、もともと無口な私はさらになにも喋ることができなくなる程の衝撃を受けた。冷静に自体を処理したいが、脳が正常に働かない。とはいえ、ここは朝の教室。校舎裏で二人きりという如何にもなシチュエーションではないし、周りに人もたくさんいる。だから、菊丸くんの言葉に私の思っているような都合の良い意味合いは全く含まれていないのだろう。現に「お!エイジ、告白か?」と揶揄ってきた野球部の主将に対し彼は「田中のことも好きだよ〜」と返して笑っている。

そう、私に対して好きと言ったわけではないのだ。彼は、一人のクラスメイトに対して好きだと言っている。彼はかっこいいから・優しいから・かわいい人だから。わかってる、わかってるけど、まだ心臓がいつも以上に早く動くのをやめてくれない。

そう、私は、菊丸英二くんのことが好きだ。

The Tempest