Naturesince.2010.07.04

Why did you marry me?

熟したリンゴ

 高校入学を境に、は変わった。と思う。
エスカレーター式に進学して、俺たちはまた同じクラスになった。不二もいるから去年とおんなじだ。でもなんだか、色々変わってるところがあるような気がして、ちょっとそわそわしてしまう。かといって、特別どこが変わったって言葉にできるような変化があったわけではない。けど、とにかく、今までのあの子じゃないから、ちょっと変な気分だ。

 始めてちゃん、と呼んだのもこの頃だ。それまで引っ込み思案で後ろ向きだったあの子が他の誰かに頼ったり頼られたりするのがなんか悔しくて、からかうようにその名前を口にした。普段通りに自然に声に出せていただろうか、今となってはもう思い出せない。

 高校に進学して一年目の年の文化祭はクラスで劇をすることになった。演目は白雪姫。台本を一から考える方が大変だから、わかりやすくみんなが知ってる話で登場人物もそれなりに多くて図書館で台本を借りることができる話が良いから選ばれた。まあそりゃそーだ。
台本の他にも演技なんてめちゃくちゃ大変そうなことこんなに短い期間で形にできるのかとか、衣装も大道具も誰が作るんだよとか、色々懸念事項はあったけれど、それよりも何よりも不安だったのは、今年の文化祭実行委員だ。
なんと、四月の最初のホームルームであのが文化祭実行委員に立候補したのだ。正直めちゃくちゃびっくりした。だって、だし。あの引っ込み思案で人見知りな人間が実行委員なんて務まるのかって思ったのは俺だけじゃないはずだ。これまでも体育祭の旗作りリーダーだとか、百人一首大会の主将だとか、人を引っ張る立場を任されたことがないわけじゃなかったけど、なんだか今回はそれまでとは全然違う気がして、ちょっとそわそわした。本人は「実行委員なら劇に出たりお店で接客したりしなくていいじゃない」と平然としていたが、そういうわけではない、それだけじゃない、そんな気がしたんだ。

 そんな俺の心配をよそに、第一回文化祭会議はゴールデンウィークが終わってすぐのテストの直前に行われた。劇をやることとその演目は意外とあっさり決まったけれど、問題はなんといっても配役だ。セリフ、の少ない七人の小人たちは兎も角、白雪姫と王子はなかなか決まらない。
「誰が立候補する人は居ませんか? ……推薦でも良いんだけど」
そう言って教壇に立って問いかけるの声は今まで聞いたことがないくらい大きな声で、なんだかものすごく新鮮だ。何も考えずぼんやりとその様子を眺めてしまう。
と、不意にこれまでの沈黙を破るかのように、斜め前の席の奴がスッと手を挙げた。不二周助だ。王子役にでも立候補するつもりなのかな。不二が王子役だったら白雪姫は取り合いになってしまうかもしれない。
「何? 不二くん、立候補?」
「ううん、推薦。王子は英二が良いんじゃないかな?」
「……いいんじゃない?」
「……は?」
まさかの不二の提案にはあっさり頷く。そして黒板の王子役の文字の下に候補として俺の名前を書き入れてしまった。
「まって、まって! そーいう王子とかは不二の方が適任だって俺は思うんだけど!」
「僕は白雪姫やるよ、主役だし」
「……白雪姫か〜〜」
って、納得しかけたけど不二が白雪姫っていうのもなかなかおかしな話じゃないか? だって男子だよ? と俺は思うんだけど案外女子達は「不二くんが白雪姫!?」「アリ! めっちゃアリ!」「絶対似合う〜!」とノリノリだからツッコミを放棄する。それでいいのかうちのクラス。
かくして、白雪姫・不二、王子・俺という謎の配役で文化祭を乗り切ることが決まってしまった。……文化祭実行委員以上の不安要素が生まれるとは思いもしなかった。本当に大丈夫かな? 現実逃避するように、俺は窓の外の空を見上げた。

 今年のクラスはどうやら手先が器用なやつや段取りが良いやつが多いらしく、大道具や衣装の作成は思ってた以上に順調に進んでいった。
衣装担当達の頑張りのおかげで思ったよりも早く本番用の衣装の試着をすることになり、その様子をクラス全員の前で披露することになった。当然教室は賑やかになる。
俺の衣装はグレーのスラックスに紺色のベスト。それに革っぽい素材のブーツを履いてマントを羽織ればそれなりに王子っぽく見えてちょっと感心してしまう。よくあるかぼちゃパンツに白タイツの王子じゃなくてよかった。
対する白雪姫の方は裾の上げ下ろしやらそで丈の調整やらでなんだか大変そうだ。まあ、女子用の衣装を男子に着せるんだから当然といえば当然だけど。不二は背が低いとはいえテニスをするための筋肉がしっかりついているからどんなにふわふわのパフスリーブで肩を隠してもアメフト選手感が拭いきれないかもしれない、と思ったが案外似合っていて逆に面白い。
思わずゲラゲラ笑っていると、じっとこっちを見ているに気がつく。
「どしたの?」
顔を覗き込んで問いかけると、小さな肩がびくっと跳ねる。なんだか小動物みたいだ。
「何でもない!」
そう返して首を勢いよく左右にするは、なんだかその時だけ昔のみたいで、ちょっとだけ心臓がふわりと宙に浮いた気分だ。

 難航したのは演技の稽古だ。なんといっても主役があの不二だから、台本の読み合わせの時から文化祭実行委員であるは頭を抱えていた。
「これは見事なフジリンゴだね。せっかくだからリンゴ売りさんも食べてみなよ」
「まって、不二くん、まって、お妃にリンゴ食べさせようとしないで、自分で食べて」
「だって僕が食べたら白雪姫が死んじゃうじゃないか」
「一回白雪姫が死なないと白雪姫のお話じゃなくなっちゃうの!」
「物騒だなあ」
「なんでも良いからリンゴ食べて! ねっ!」
がこんな風に困ってるのは新鮮だ。しばらく黙って様子を見ていたら、助けを求めるような顔してこちらを見てくるから少し吹き出してしまう。
「不二くんは私の手に負えない……」
「俺の手にも負えない」
「何とかしてよ! 王子でしょ!」
「王子にもできることとできないことがあるんだよ」
腑に落ちないと言う顔をしているを「まあまあ」と宥めて不二を見ると、楽しくて仕方ないと言った表情をしている。ああ、これは絶対面白がってる。
「いいじゃないか、魔女を倒して、『なんで強くて美しい姫なんだ』って言いながら王子が出てきて、それでハッピーエンドだよ」
「だから台本を変えないで!」
頭をかきむしり「も〜〜ッ」と声を上げるを見たのなんて初めてで、俺もなんだか面白くなってきた。そうだ、あれこれ不安に思うよりも、俺は俺なりに楽しめば良いじゃん。

 ジリジリと鳴く蝉も声を弱めてしまうほど暑い8月がやってきた。高校生になると夏休みだなんて名ばかりだ。課外授業課外授業の繰り返しで頭がパンクしそうになる。まあ、昼間の暑い時間をエアコンの効いた部屋で過ごすことができるというのはありがたい話だけれど。それに加えて当然のように高校になってもテニス部を選んだ俺の休息時間は大会だの練習試合だので少しずつ消えていく。休みが明けたらすぐにやってくる文化祭当日に向けて、合間を縫って劇の練習にも参加してるから、宿題を片付けたらすぐにでもやろうと思ってお小遣いをはたいて購入したRPGゲームは未開封のままだ。対して、文化祭実行委員であるはなにやら実行委員同士の話し合いとか劇の各担当の仕事の調整とか細かい書類仕事とかやることをたくさん抱えているみたいで、時にはすっかり日が落ちた時間になっても教室に残って作業をしたりしていたから、なんだかちょっと心配になって、俺も部活の練習とかが夕方頃に終わる日は教室を覗いて、が残っていたら一緒に帰るようにしていた。「送るよ」と言うと本人は「別にそういうかっこつけみたいなのしなくていいから」っていうけど、かっこつけとかじゃなくて俺がそうしたいからそうしてるんだよ。

 その日も練習を終えて校舎の方を見ると、やっぱりまだうちのクラスの教室の電気がついていた。教室への一段飛ばしで駆け上がり、ガラリと引き戸を開ける。と、そこには見慣れた二つ結びの後ろ姿が一つ。普段なら以外にも何人か残って小道具作りをしたり、宿題を片付けたりしているから、こんなの初めてだ。
「おつかれー、今日も書類仕事?」
「うん、英二も練習お疲れ様」
ありがと、と返して隣の席に座る。拒絶はされない。というか、最初からこの子に拒絶なんかされたことなかった。嫌われてはないと思う。同じクラスじゃなかった二年間に比べるとずいぶん話すようになった。でもまだ、あの時桃に聞かれた「先輩達付き合ってるんすか?」に対する明確な答えは出ていない。それがもどかしいような、丁度いいような、不思議な関係だ。俺がそう考えている間も、は電卓を叩きなにやら細かい数字をプリントに書き込み続ける。大量のレシートにはインクとかビニールテープとか書いてあるから、きっとこれまでにかかった経費の計算をしているのだろう。上から下までまだ計算して、また上に戻って確認する。俺だったら眠くなってきてしまいそうだ。
「何時に終わりそう?」
そう問いかけると、はちらりと教室に備えられている時計を見て、それから、プリントとレシートの山に視線を戻す。
「……これ、一旦明日までに生徒会に出しておかないとだし、もうちょっとかかるから、先に帰ってても良いよ、」
そのセリフで、の中でいつのまにか俺と一緒に帰ることが当たり前になっていることに気づく。それがなんか妙に心地よくて、ちょっとニヤニヤしてしまった。
んちのおばさんに、遅くなりそうだったら一緒に帰ってって言われてるんだ〜〜だから待つよ」
「……そう、」
もちろん、おばさんにそう言われたなんて嘘だ。俺がここに居たいだけ。って言ったら、この子は笑うかな。の方が窓際に座っているから、逆光で表情がよくわからない。
「その代わり、ちゃんにお願いがあります」
「なに、どうしたの改まって」
冗談っぽく下の名前で呼ぶと、眉を少し釣り上げて首をかしげる。色素の薄い髪がさらりと揺れて長い睫毛が夕陽で透ける。それを見て、なんだか心の大事なところをノックされたような気分になって、ジュースが飲みたい、とか、アイスおごって、とか、そういうことを言うつもりだったのに、考えていたこととは全然違うセリフが口をついて出てきた。
「俺さ、不二が適当に改変した台本でしか練習してこなかったからさ、もし、万が一、本番で不二が正しい台本に沿ってやってきたら対応できる気がしないんだよね」
「……そうね」
「だからさ、それ終わったらちょっとだけ練習相手になってくれない? 本当の白雪姫の」
「……いいけど」
自分の口から出てきた言葉が予想外なら、の返答も予想外だった。「えっ!?本当に良いの!?」と聞くと、「練習なんでしょ? 私、台本読むだけだし、下手くそだけど、それでも良いなら」と。なんだかすごいことをお願いしてしまった気分だ。口の中がカラカラに乾いてしまう。

 王子が登場するのは物語の終盤だ。毒リンゴを食べて永遠の眠りについてしまった白雪姫を一目見て、彼女を城に連れて帰ろうと決める。多分きっと一目惚れだ。不二と練習してる時は全然こんなこと思わなかったのに、を目の前にして台本を持つと自然とそういう風に考えてしまうから不思議だ。「いつでもどうぞ」と促されて、小さく息を吸って、登場のセリフを口にする。
「『おお、何と美しい姫なのでしょう、まるで眠っているようだ』」
「『王子は一目で恋に落ちました。そして周りの小人たちに』……」
「ちょっと待って、」
「何?」
が白雪姫役やってくれるんじゃないの?」
「……だって、今この場は二人しかいないんだから、王子以外は全部私がやらないと話が先に進まないじゃない」
「いや、まあ、そうなんだけど、さ」
そうだ、いつもの練習で王子が出て来る頃には不二によりすっかりストーリーが改変されているから、ナレーターや小人たちの存在を忘れていた。不思議そうな表情をするを見てちょっと苦笑してしまう。
「ちゃんとこの後白雪姫の台詞も言うから、安心して」
「……ありがと」
「じゃあ続き読むね」
「まって!」
「……今度は何?」
「あのさ、雰囲気作りのためにここに横になってくれない?」
この中で読んでよナレーションも小人の台詞も! と言って大道具の一つである段ボール製のガラスの棺を示すと「はぁ?」と怪訝そうな顔をされた。もうここまで来ると俺のわがままだ。それでもなんだかそうして欲しくなって、俺は顔の前で手を合わせて頭を下げる。
「お願い! このままだと不二この棺使わないからもったいないじゃん!」
「……まあ、いいけど」
断られるかと思ってたけれど、案外あっさり承諾してくれた。いつもの制服のまま、上履きを脱いで段ボール棺に横になっただけなのに、ぐっと雰囲気がそれっぽくなって、「ほーー」とか変な声を出してしまった。
物語は進んでいく。は台本を丸暗記しているのか、ナレーションと小人たちのセリフをすらすらと諳んじる。棺の中から嘆く小人の声が聞こえてくるのはなかなかシュールだが、まあそれは仕方がない。そうこうしているうちにあのシーンだ、俺はゆっくり棺のそばに腰を下ろして、そこにいる女の子を見つめる。は本物の白雪姫みたいに目を閉じてはいないから視線がかち合ってしまう。目をそらすことも、瞬きすることもできない。
「……『そうして王子は跪き、姫にキスを』……」
「……やっぱやーめた!」
「え?」
バッと目の前の女の子から目をそらして、窓の外を見る。空はすっかり暗くなっていて、チラチラと星が瞬いている。少しずつ頭が冷静になってきた。俺は棺の中の『姫』と目を合わすことなくぺらぺらと口を動かす。
「不二のことだからここまで台本通りにやることないでしょ! ありがと、!」
「……あ、うん、……本番頑張って、」
「もち!」
あの時、無理矢理でも目をそらしてよかった。目をそらさなければそのまま『お芝居』を最後まで終わらせてしまっていたような気がする。……そしたらきっと俺は、一生後悔する。
俺は王子じゃないから一目惚れした女の子を城に連れて帰るって即決できないし、目の前にいる女の子は白雪姫じゃないから城について来てと言ってもすぐには頷いてくれないだろう。優柔不断なんだ。だからといって、俺はこの子に白雪姫になってもらいたいわけじゃないし、この子の王子になりたいわけでもない。俺は俺としてこの子と向かい合いたいから、こーいうのは『お芝居』の中でやらない方が良い、やりたくないと思ったんだ。

 あの後、帰る準備をしている間も、下校中も、と目を合わすことはできなかった。目を合わすとなんかさっきの続きが始まっちゃうような気がして、いつも通りじゃいられなくなっちゃうような気がして、ちょっとだけ足踏みしてしまったんだ。
熱帯夜の蒸し暑さが首筋にまとわりつく。このまま夏が終わらない世界なら、『お芝居』を終わらせなくてもよかったのかな。

 夏休みが終わり、あっという間に訪れた文化祭の日。俺たちの白雪姫はドタバタのうちに終わりを告げた。人の入りの良さそうな時間帯のステージ枠は全部三年生にとられてしまっていたから俺たち一年生のステージの観客はまばらだったし、結局不二はリンゴを食べなかったし、俺はそんな不二に下手くそな関西弁で突っ込みを入れて劣化版新喜劇みたいな白雪姫になってしまったけれど、なんだかんだで楽しかった。お客さん達も笑ってたからよしとする。
その間もは音響の確認をしたり不二のドレスの裾を調整したり大道具の様子を見に行ったりと忙しく動き回っていたし、本番が終わった今も片付けとか借りてた備品の返却とかでバタバタ走り回っている。不思議な気分だ。長いこと側にいたはずなのに、こんな風に俺の知らないどこか遠くの方にいるみたいなあの子を見たのは、初めてな気がする。すぐそばにいるはずなのに、なんか変な感覚。小学生の頃だったら「お疲れ!」って軽率に肩組んだりハイタッチしたりするところだけど、何だか今はそんなこともできない。伸ばしかけた腕をゆっくりと元に戻した。

 自分たちの出番も終わり、大まかな片付けも済ませて、クラスメイトたちは散り散りに文化祭を楽しむために教室の外へ駆けていく。俺はというと何となく手持ち無沙汰で、誰かと喋る気分にも一人で賑やかな校内をうろうろする気にもなれなくて、がらんとした教室で一人、の席に勝手に座る。そして、派手なヘッドフォンを首から提げてる他校生とその彼女のカップルとか、ヘアカラーチョークでも使ったのだろうか淡い髪色が映える双子みたいな女の子達とその後ろを歩くこれまた目立つ髪色の男性二人とか、斬魄刀を担いだコスプレ二人組とかが窓の外の渡り廊下を通り過ぎていくのを眺めながら、ハッピーターンを並べて格子模様を作っては一つ食べるという地味な遊びを延々と繰り返していた。
ようやく文化祭実行委員が落ち着いて一息ついたのは、クラス単位の出し物が全部終わってエンディングの時間になってからだ。魔法の粉のかかったせんべいがなくなりかけた頃、は教室に戻ってきた。「やっほー」と片手を上げると「え、ずっと一人で居たの?」と驚いたような顔をされた。……俺だって一人でいるときくらいあるよ、失礼だな。
「英二は不二くんとかと一緒なのかと思ってた。ほら、外部受験したテニス部の子も来てるんでしょ?」
「ううん、大石の学校も文化祭だから今日は来てない。不二は裕太が来てるから大はしゃぎで学校案内してたよ。やっぱり高校から青学に戻ってきて欲しいんだって」
「……そう、」
は? 用事終わった?」
「一応。あとは来週最終的な精算書出したらおしまい」
「そっか、おつかれ、」
労いの言葉をかけて、横の席の椅子を引いてやると、「ありがと、」と珍しく穏やかな表情であの子は笑う。こうやって話していて始めて、のどこが変わったのか明確に気づいた。周りの人間をまとめて積極的に話しかけて一つのものを作るとか、今までのだったら絶対やらなかったようなことができるようになったのは確かだ。だけど違う、そんなんじゃない、……と話してる時こんなに目が合うのは初めてだ。
何だかものすごく新鮮で、話すだけで心臓がバクバクした。おかしいよね、それまでの数年間でと二人きりになる機会は数え切れないほどあったのに。もともとかわいいと思ってたけど、上目遣いでこちらの目を覗き込んでくるあの子はさらにかわいい気がして、戸惑ってしまう。
そんな感情が毒リンゴみたいにぐるぐる俺を蝕んでいく。けどそれは、悪い感覚じゃなくて、むしろ心地よくて暖かくて、少しずつ満たされていくような、そんな感覚。
「……どうしたの、この前から英二なんか変だよ」
「……変なのはもだろ」
たぶんお互いどこか変なんだ。水色のキャンバスにほんの少し絵の具を溶かしたかのように薄橙色に染まり始めた空のせいなのか、遠くから聞こえてくる文化祭のエンディングの賑やかな音楽のせいなのかはわからないけど。
「あのさ、笑わないで聞いてくれる?」
「笑ったら?」
「ちょっと怒る」
「なにそれ」
はちょっと吹き出す。「笑うなって言ったじゃん!」とむくれると、「ごめんごめん、何?」とこちらの目を覗き込んでくる。夕焼けの光を反射して淡い色の瞳がきらきらしている。
「なんかさ、いつもの俺じゃないみたいなんだ」
「……ふうん、」
「なんか今、これまでにないくらい緊張して、ドキドキしてる。と話してるだけなのに」
「劇の直前より?」
「うん」
「……試合の前より?」
「……俺試合の前は緊張とかしないタイプだから」
「……そう、」
がちょっとだけ目を伏せる。表情が読めなくなった。それでも、最後まで伝えたくて、俺は上履きのつま先を見つめながら続ける。
「おかしいよね、今まで何度もこれくらいの距離でと会話してきたのに、」
「……ふぅん、……私はいっつも英二と話すときドキドキしてたけど」
「……えっ?」
一瞬時が止まる。それって、やっぱり、つまり、……俺は自惚れても良いのかな。
「……いっつも?」
「いっつも、」
「どれくらい前から?」
「……ずーっと前」
「……はは、ずるいや、」
照れ隠しに髪の毛をくしゃくしゃにかき回してしまう。俺は自意識過剰だから、そんなきがする、そうだったらいいなって、ずっと思ってたけど、いざ本人に口に出されると、想像以上にいたたまれなくて、想像以上に涙が出そうで、想像以上に嬉しいんだ。胸がいっぱいでなんと言えばいいのかわからない。と、不意にが椅子を引いて立ち上がった。こちらに一歩近づくだけで随分と距離が縮まったように感じられて、心臓が跳ねる。
「? 、……、」
俺が名前を呼ぶ前に、目の前のその子はすっと屈んで、俺の肩に手をそっと置く。そうして、頬に柔らかいものが触れて、ゆっくりと離れた。
「……ねぇ、ドキドキした?」
が立ち上がる。緊張した面持ちでそこに立っている。毒リンゴなんか食べてない俺はそれだけで生き返ったりしないし、この子も王子なんかじゃないから目があってすぐに求婚したりしない。でも、それは俺の心臓のテンポを狂わせるのには十分だった。頭の先からつま先までが、一気に熱くなる。なんだよそれ、狡いし、卑怯だ。