Naturesince.2010.07.04

Why did you marry me?

前を向くヒマワリ

 中学生って無敵だ。何をする時も自信満々で、怖いものなんか何一つないような気がする、そんな時期。俺とは中学三年生になった。中学一年生、中学二年生とクラスが離れてしまっていたから、久しぶりのおんなじクラスだ。というか、小学校が一緒のヤツと同じクラスになったのは、中学になってから初めてかもしれない。この二年で、俺は背が伸びてテニスをするための筋肉がついて、アイツは髪の毛が伸びてやせっぽちだった手足はちょっとだけ肉がついて柔らかそうになった。
思い返せば、中学一、二年生のころ、初めてとクラスが別々になって、ちょっとだけ、ちょっとだけだけど、話しかけづらくなってしまった時期がある。同じ教室にいないからなかなか気軽に話せなかったというのもあるし、俺は部活があったけどは帰宅部だったから登下校の時間もバラバラだったし。あと、もしかしたらちょっとだけ気後れしていたのかもしれない。昔から知ってるヤツと話したら、自信満々な中学生の俺が、ちょっとだけ影を潜めて、貼り付けた虚勢が剥がれ落ちてしまいそうな気がして。少し大人っぽくなったアイツなんか見たくなくて、いつも自信なさげなアイツよりも前を歩いていたくて。
だから、クラス替えの掲示を見て「まじか、」と呟いてしまったことを少し許して欲しい。嬉しいけど、嬉しくない、複雑な気分だ。
とはいえ、クラスが同じになって急に何かが変わるというわけでもなく、話しかけづらかった二年間はそう簡単に覆らない。席が離れているから目が合うことだってない。ずっと一緒だった小学生の頃のことを考えると、なんか嘘みたいだ。この複雑でもやもやと霧のかかったような感情は一体何なのだろう。寂しさ?切なさ?もどかしさ?どれもこれも、あまり深く考えるたちではない俺には縁遠い言葉で、わだかまりを抱えたままいつも通り新学期の数週間を過ごした。

 アイツとのなんともいえないぎこちない関係に変化があったのはテニス部の地区大会が始まるちょっと前のことだった。部活の朝練が終わって一息ついてその日の最初の授業の始業前、「ねえ、英二」と聞き慣れた、ちょっと懐かしい声で名前を呼ばれて思わず勢いよく振り返って目を瞬かせてしまった。
!? な、何か用?」
「何驚いてるのよ、……おばさんがお弁当のお箸わすれてたよって、預かってきた」
「あ、ありがと、」
「……別に、」
アイツは不機嫌そうに自席に戻る。その時の会話はそれだけ。なんで急にが!?と思ったけど、去年までは忘れ物をしたら教室まで届けてくれる兄姉が学校内に居たんだった。青学に通ってる兄弟が俺だけになったから、ご近所さんでクラスも同じなに白羽の矢が立ったのだろう。なんだか不思議だった。ついさっきの出来事なのにすごく昔の出来事のようないつか来る未来の出来事のようなそんなふわふわした気分。そういえばいつからアイツに「英二」って呼ばれ始めたんだっけ、遠い記憶が揺れる。
なんだか授業の準備をする気も起きずぼんやりしていたらすぐそばの席の不二が「ふふ、」と楽しそうに笑った。多分黙って全部聞いてたんだろう。途端に少し照れくさくなって、誤魔化すようにカバンからペンケースを引っ張り出す。
「英二とさんって仲良いんだ、」
「仲良いっていうか……小学校が一緒で家が近所なだけだよ」
「ふうん、」
ふうん、って何だ!?訝しむ俺を他所に、不二は「ほら、先生来たよ」と前を向いてしまう。そうして当たり前のように授業が始まる。先生が黒板に文字を書き始めても、俺は一人地面に足がついていないような不安定な気持ちのままだ。

 それからというもの、不二はが目に入ると何故か俺に伝えてくるようになった。男女別で行われる体育の時間なんかは特に。不二の考えてることはよくわからない。なんで?と聞くと「さぁ?」と曖昧に返されるから、いつの間にか疑問に思うのをやめてしまった。
「あ、さんだ」
「え、どこ?」
「五十メートル走の測定のとこ、走ってる」
「……へえ、」
という具合に。だからそのままぼんやりアイツを眺めてしまう。やっぱ、あんまり足は早くない。
その後もが目に入るたびに不二がいちいち伝えてくるから、そのうち言われるよりも先に、なんとなく、自然と、が目に入るようになった。向日葵みたいな色した二つ結びが初夏の風に揺れる。

 不二の考えていることは本当によくわからない。木曜日の午後、気を抜いたら眠くなってしまう時間帯。しかも他の授業以上に瞼を持ち上げておくのに気合と集中力を要する歴史の授業の直前。だけど、その日の俺は不二の一言で眠気なんか吹っ飛んでしまった。
「ねえ、『』、僕ら来週部活の試合なんだけど、見にこない?」
思わず「は?」と呟いてしまった。なんで急に?とか、どういうつもり?とか、言いたいことはたくさんあるけど、ありすぎて言葉にならない。というかついこの前まで『さん』って呼んでたのになんで急に『』!?  そんな俺の戸惑いをよそに、不二はどんどん一人で話を進めていく。
「というか来るよね?帰宅部だから、特に用事もないでしょ」
アイツがイエスもノーも言わないうちに、「はい、決定。僕らの試合、十時からだから」と一人でウンウン、と頷いて自席に戻ってしまった。二人だけで残されて、なんとも気まずい空気が流れる。このまま何も言わないのはなんでかわからないけどなんか負けたような気がして、席に戻りかけたを「ねえ、」と呼び止めてしまった。
「ねえ、、来るの? 試合、」
「えっと、どうしよ、かな、」
曖昧な答えだ。元々『イエス』『ノー』がはっきりしている性格だけど、人見知りだからぐいぐいこられたりどっかに誘われたりすると戸惑って歯切れが悪くなってしまうんだということに、数年一緒に過ごして気づいた。こういう時はちょっと背中を押したり手を引いたりしてあげると余程嫌なことではない限りついてきてくれるんだということを、話しかけづらかった二年間があってもちゃんと覚えている。それでも、「来なよ、」と言ったときの口の中はカラカラに乾いていた。
「えっ、行っていいの?」
「なんでだよ、いいよ、ダメなわけないだろ、」
少しホッとしたような顔をして、「じゃあ、行こっかな」とが呟いたところで、始業のチャイムが鳴る。慌てて席に戻っても、口の中は乾いたままだ。来週まで平静を保てるだろうか。

 地区大会の当日は薄曇りで、5月らしからぬ連日の気温の高さのせいでなんだか蒸し暑かった。朝の情報番組のお天気お姉さんによると、午後からにわか雨が降るらしい。それでもなんだか気分が高揚しているのは、久しぶりの試合だからか、目玉焼きを作ろうとして割った卵の黄身が双子になっていたからか、……それとも、が試合を観に来るからか。なんにせよ、ネガティブな気分でいるよりはよっぽど良い。
勿論、試合は絶好調! 急造ダブルスに頭を抱えたり、続出する怪我人に肝が冷えたりしたけど、なんとか優勝できたから結果オーライだ。はというと、決勝のコートに入る前にあの二つ結びが視界をよぎったけれど、試合が終わったらすぐに帰ってしまったらしい。感想が聴けるかな、なんて思ったりしたけど、結局話しかけることすらできないままだ。

 大会が終わって、打ち上げもひと段落して、太陽も沈んで薄暗くなって、心地よい疲労感に包まれた夜だ。優勝した俺たちを祝福するかのように、負けた彼らを慰めるように、雲がまた少し厚くなって、しとしと涙を流しているかのような雨が降り始めた。
そういえば朝は試合のことで頭がいっぱいで、傘を持ってくるのを忘れていた。打ち上げの会場だったタカさんの実家の寿司屋から俺の家までそれなりに距離が離れているから、走って帰ったとしてもびしょ濡れになってしまうだろう。タカさんが「傘貸そうか?」と言ってくれていたけど、そんなに本数も無いから後輩たちに使わせることにした。
雨除けにするためにラケットバッグを頭の上に掲げる。と、そのとき「英二、」と聞き覚えのある声で名前を呼ばれる。そのように俺を呼ぶ人間はテニス部に大勢いるが、このような凜としていて優しげな声の持ち主を俺は他に知らない。
「やっぱり、傘忘れてたんだ」
「……、」
ピンク色の傘をさして、反対側の手に俺の青い傘を持って、は立っていた。また母ちゃんか姉ちゃんに持っていくように頼まれたのかな。表情はいつものちょっと不機嫌そうなアレだけど、本当は優しくて不器用で臆病なんだってこと俺は知っている。そんなアイツは「じゃあ、私これ渡しに来ただけだから」と俺に傘を押し付けて、そのまま踵を返し、ひとりで帰ろうとする。そのまま俺はテニス部のみんなと一緒に帰っても良かったんだけど、なんかそれじゃダメな気がして、必死でアイツを呼び止めた。
「まってよ!」
「……何?」
傘をさしたアイツが振り返る。こんなに背が低かったっけ、と改めてちょっと驚く。俺はちょっとだけ笑って、この素直じゃない女の子が『ノー』と言えないように手招きする。計算も打算も何もなく、自然と口から言葉が出ていた。
「あのさ、一緒に帰ろうよ、」

 すっごく久しぶりに、と並んで歩く。さっきまでは全然そんなこと思わなかったのに、横にがいると、今日の試合でうまくできたかなとか、から回ってなかったかなとか、すっごく気になって落ち着かない。
「ごめん、ここまで結構遠かったでしょ」
「別に、へーき」
「……そっか、」
会話が続かない。視線がかち合わない。手に持った傘のせいで余計に。前はそんなことなかった気がするのに。もどかしくて、難しい。もし、これまでの二年間とちゃんと向き合ってたら、もっと普通に話せてたのかな、と思うけど、この期間の俺たちが覆ることはない。
それでも、この沈黙が苦痛だってことは全くなくて、むしろ心地よくて、試合の時に感じていたプレッシャーとか緊張感とかがゆっくり溶けていくような気分になるから不思議だ。

 気がついたら、家の近くまでたどり着いていた。いつも通りの道のはずなのに、と歩いているとあっという間な気がする。
「じゃ、また月曜日、学校で、」
そう言って踵を返そうとすると「まって!」と呼び止められた。驚いて思わず勢いよく振り向いて目を瞬いてしまう。も本当は呼び止めるつもりはなかったんだろうか、困ったような途方にくれたような表情をしている。
「何?」
「な、なんでもない、」
急に歯切れが悪くなって、視線が泳ぎ始めている。何か言いづらいことがある時、アイツはそういう表情をするんだってこと、一緒にいた時期に覚えた。
「何でもないわけないだろ! 何かあった?」
「……別に、」
「……俺なんかを怒らせるようなことした?」
「そんなんじゃない!そんなんじゃないんだけど……!」
口ごもる、うまく言えない、言葉が見つからない、そんな顔をしている。そういう時は、焦らず慌てず、答えが見つかるのを待っていればばいいんだって、すっかり忘れていた。俺は深呼吸して、できるだけ優しげな声で、アイツに問いかける。
「……じゃあ、何?」
顔を覗き込むと目を逸らされる。それでも、伝えたいことはアイツなりに心の中にきちんとあったようで、意を決したようにゆっくりと口を開く。一字一句聞き漏らさないように、雨音にかき消されないように、一歩アイツに近づく。
「あの……、今日は試合観れてよかった、ありがとう、また観に行くから、って、それだけ、言いたかったの」
そう言っては俯く。顔が真っ赤になっているのが、傘の陰に隠れていてもわかる。嗚呼、これもすっかり忘れていた。この子はこういう子だ。ずっとこれが言いたくて、俺を迎えに来てしまったんだろう。人見知りで不器用で目の前の人間と目を合わせることすらできないくせに、『ありがとう』の言葉だけはまっすぐだ。忘れていたくせに、そのまままっすぐでいてほしいと思ってしまった。なんて独りよがりで自分勝手だったんだろうと今になって思う。
傘にぶつかった雨粒が跳ねて、水溜りに波紋を作った。

 当然だけど、あの日俺がと二人で帰ったことはテニス部全員にバレていた。「どうだった?」という不二のよくわからない問いかけを「別に……」と受け流す。なんだかアイツの真似してるみたいでちょっと表情が緩んだ。
練習開始直前、桃に「先輩達付き合ってるんすか?」とこっそり聞かれた。ちょっと考えて「……秘密、」と答える。今はイエスともノーとも言いたくなかった。……というか、自分でもなんといったらいいかよくわからないのだ。なんすかそれ、と桃が笑った。

 テニス部の奴らは案外みんな噂話が大好きで、大抵それはよくわからない尾ひれがついて部内に広がっていく。気づけば一年生たちの間で俺は地区大会から帰る途中にゾンビを数体倒してを守ったことになっていた。なんじゃそりゃ。それでもなんだか、今の俺ならゾンビ数体くらい簡単に倒せてしまいそうな気がする。そのくらい気分が良い。この暑さのせいだろうか、フェンスの向こう側では少し季節を早とちりした向日葵が咲いてる。その太陽に向かってまっすぐ伸びていく姿を見て、改めて思う。中学生って無敵だ。