出会った頃もそう、あの子はいつも自分に自信がなくて、俺が前を向かせてあげなきゃって思ってた。
通学路のシロツメクサが少しずつゆらゆら揺れ始めた頃、俺たちは出会った。『痩せっぽちな転校生』それがアイツの第一印象だ。今でこそ『ちゃん』なんて名前で呼んでるけど、あの頃はアイツのこと『』って苗字で呼んでいたし、アイツも俺のこと『菊丸くん』って他人行儀な呼び方をしていた。
小学四年生に進級した新学期、俯きながら教壇の横に立って挨拶した痩せっぽちな転校生はなんだか守ってあげたくなるような雰囲気で、長い睫毛とさらさらの色素の薄い髪の毛とちょっと不機嫌そうな丸いつり目が印象的で、目が合うと慌ててそらしてしまうほど臆病で、まるで小動物みたいで、そんなアイツを見ていると身体が勝手に動いた。多分このとき俺は一目惚れしてたんだと思う。
「先生!俺が転校生に学校案内していい!?」
もちろん、と担任教師が頷いたから、昼休みは真っ先にアイツの席へ向かった。
「俺、菊丸英二!」
よろしく!と手を差し出すと、アイツは戸惑いながらもその手を握り返してくれた。
今思えば、もっと丁寧にやればよかったなあとか思うんだけど、良くも悪くもこれが俺たちの始まり。
♥
他のやつも誘って賑やかにやってもよかったけど、みんな当番とかで色々忙しくて二人だけの学校探検になってしまった。でも、あいつの性格のこととか昼休みの慌ただしさのこととか考えたらアレで正解だったんだろうなと思う。二人だけだったからこそ、短い時間でもアイツに聞きたいこと色々聞けたし、アイツもポツリポツリとではあったが自分の話をしてくれた。今のことを考えると全然話していないに等しいくらいなんだけど、あの頃からアイツは口下手なりに『イエス』『ノー』ははっきりしていたから、話しやすくてありがたかった。
なんだかんだ普通に学校生活してて訪れる場所って限られているから、俺にとっても結構新鮮で、じっくり見ようとしたら時間は全然足りない。理科室や家庭科室の場所は知っていても、置いてある器具の名称とか使い方は意外と知らなくて、俺の知らないことをアイツの方が知ってたりして、何だかおかしかった。
グラウンドや校庭の花壇や委員会が育ててるヒヨコは見せられなかったから、休み時間終了のチャイム共に「続きは放課後やるからね!絶対帰るなよ!」と言い放つ。今考えれば半ば無理矢理だし横暴だ。でも、あの頃の口下手で人見知りのアイツは、ほかに案内を頼める人はいないと判断したのだろうか、「わかった」と頷いて席に戻る。俺もそれに倣って上機嫌で自席に着いた。俺は家では末っ子だから、なにかを教える相手がいるのが新鮮で嬉しくて、ちょっと浮かれていたんだ。
春の放課後というのは小学生にとってゴールデンタイムだ。勿論宿題もやらなくてはならないけれど、そんなの二の次。暑くもなく寒くもない季節は外で大暴れするのに最適だ。当然のように、俺のクラスメイト達もボールを小分けに抱えて走り出す。いつものように「えーじもやろうぜ」と誘われて、気持ちがちょっとだけ揺らいでしまう。小学生って結構自分勝手で気まぐれで、やりたいことをいくつも抱えて優先順位がわからなくなってしまいがちだ。ボールを抱えたクラスメイトと少し不安そうなアイツを交互に見ながら言葉を濁していると、アイツは小声で「いいよ、わたし、大丈夫だし、」とか言い出した。いやいや、全然大丈夫じゃないだろ!百歩譲ってアイツが大丈夫だとしても、俺が大丈夫じゃない!そうやって葛藤していると、気の利くクラスメイトは「そうだ」と良いこと思いついたという風に手をポンと叩いた。
「転校生もやろうよ、ドッヂボール」
「そーだよ、英二ばっかり転校生独り占めして、ずるいよ」
「えっ、私?」
一人が言い出すと、周りのみんなも次々とやろうやろうと言い出してアイツを取り囲んでしまった。きっとものすごく困っていたんだろう。さっきまで口下手だけど『イエス』『ノー』ははっきりしていたアイツが急に歯切れが悪くなって、視線が泳ぎ始めている。何か言いづらいことがある時、アイツはそういう表情をする。悪いことをして叱られてる時の小動物みたいだ。今ならわかるけど、その頃はそんなの全然わかんなかったから、「えっ、名案!もやろうよ!」と俺も周りに倣ってアイツを誘ってしまった。
あれよあれよという間にクラスメイトたちはスニーカーに履き替えてグラウンドへと駆け出して行く。アイツも、クラスの中心的な存在の女子に手を引かれ困ったような顔をしながらも付いてきた。「ねえ、やっぱり私邪魔かもしれない」と蚊の鳴くような声で言うアイツの背を押して「いーから!」と内野コートへ入れる。
そこからは一瞬だった。あれよあれよという間に始まった試合。初手、相手コートの男子が投げたボールがあの細い足に当たり、アウト。一瞬俺たちも何が起こったのかわからなかった。アイツは誰とも目を合わせない。外野コートへ向かう小さな後姿は背中に重たい荷物でも抱えているかのようだった。周りの女子たちに「さん平気?」とか「大丈夫、あとは私たちに任せて」とか声をかけられるたびにアイツは俯いて、心なしか高いところに作られた二つ結びまでうさぎの垂れ耳のようにぺったりと下を向いて元気を失ってしまっているように見える。その姿を見ていたら居ても立っても居られなくなって、俺はいつもであれば絶対取れるようなボールにわざとぶつかりに行く。「ごめーん、失敗しちゃった!」とちょっとおちゃらけてみせてから、未だ下を向いたまま外野にいるアイツの隣へ。「ねえ、」とコートにいる他の奴らに聞こえないくらいの声量で呼びかけると、びくっと肩を震わせる。その様子はまるで小動物のようだった。
「ねえ、、ドッチボール苦手?」
我ながら直球すぎる問いだったと思う。そのせいか、アイツもぶっきらぼうに「見ればわかるでしょ」と答えるだけで、こちらを向いて目を合わせることはない。
「……そっか、じゃあさ、俺が教えるから、一回内野戻って、ボール取ってみない?」
なんとも大胆な提案だ。ドッチボールが苦手だという女の子に、今ここでボールを取れだなんて。案の定アイツも目を丸くして勢いよく首を横に振る。
「む、無理、無理だよ、ボール取れたことなんて一度もないんだもん」
「無理じゃないって!」
細い肩を掴む。直球すぎるし、大胆だし、めちゃくちゃだ。でもなぜか、『できる』という確信があった。小学生ってそんなもんなのかな。
「取れなくても、落としても、俺が拾うから!」
宣言通り、俺がキャッチしたボールをアイツに渡す。放った球はヘロヘロだったけど、敵陣の内野の女子の身体にポスンと当たった。幸先が良い。再びアイツは内野に戻る。
「ほんとに大丈夫?」
「俺にまかせて」
俺も急いで相手にボールを当てて、内野に戻る。目が合ったアイツにウインクして、囁くように声をかける。
「たぶん敵はの足元を狙ってくるから、ちょっとだけ腰を落として、そしたら低い位置のボールが取りやすくなるから、だいじょーぶ、取れるよ」
緊張した面持ちのアイツが静かに頷く。
その時は思ってたよりもすぐに訪れた。幾度か飛び交う球を見送った後、敵陣の男子が投げたボールがアイツに向かって勢いよく飛び出してきた。が、最初はなかなかの球速であったものの、相手のコートに向かって吹く風にあおられて、勢いを緩めていく。緩やかな動きになったボールは、そのまま地面に落ちずにアイツの腕に綺麗に収まった。
偶然でも、棚ぼたでも、一回は一回だ。なんだか自分のことみたいに嬉しくって、思わずガッツポーズしてしまった。アイツも驚いたように目を見開いて、それからちょっとだけ微笑んだ。
「……ありがと、菊丸くん」
少しだけ目をそらしながら紡がれたその言葉は、まっすぐ俺の心に届く、結局アイツとは目が合わなかったけど、さっきまでの気まずいそれと違うことは俺でも分かる。アイツが抱えたボールを「早く投げな!」とポンと叩く。シロツメクサの花みたいな色したソフトバレーボールは痩せっぽちのアイツの体には不釣り合いに大きく見えて、少し笑ってしまう。
結局その日は俺たちの大勝利!!いつも通りのはずの夕日がなんだかキラキラして見えた。
ドッチボール苦手って言ってたから、次の日はもっとおとなしい女子グループとかに紹介しても良かったんだけど、俯きながら耳まで真っ赤にしてお礼を言うアイツの顔を、また見たくなっちゃって、次の日もその手を引いてグラウンドへ向かった。「私何もできないんだけど!」と慌てるアイツの肩を「いーから!」と軽く叩いて。
♥
それから、どこに行くのにもアイツを連れ回した。学校案内だけじゃない、昼休みも、放課後も、全部だ。アイツの家は俺の家のすぐ近くだったから、自然と登下校も一緒になった。こっちは小学四年生のワルガキで、あっちは木登りしたことすらない女の子だったから、はじめのうちはうちの母親とかねーちゃんも色々気を使っていたけれど、いつのまにか一緒に居ることが当たり前になっていて、不器用で人見知りなアイツのそばにいてあげなきゃって思うようになってた。
そう、だから好きになったのは絶対俺の方が先なんだ。