当たり前だけれど、雨の中歩き回ると身体は冷える。家に着くとすぐ俺に「風邪を引くから、」とタオルを押しつけて風呂に押し込んできた彼女の足先がびしょ濡れになっていたことに早く気がつけばよかった。夕飯を食べた後皿を洗いながら小さくくしゃみした彼女を見るまでそのことに思い当たらなかった自分に頭を抱えてしまう。
「……もしかして、ちゃん、風邪引いた?」
「えっ……今引きたくないんだけど」
「でもなんか声も変じゃない?」
「そうかな……?」
困った風に眉を下げる彼女に近づいて額に手を当ててみる。熱はなさそうだけど、風邪は引きはじめが肝心だ。「続きは俺がやるから早く寝な」と小柄な女の子をキッチンから引き剥がして、スポンジを握る。数日後の旅行の時までにすっかり治っていれば良いけど。
♥
案の定、というか、思った通り、なんだけど、次の日のは高熱で起き上がることしかできない状態だった。「寒い中びしょ濡れで歩いたりするからだよ」と声をかけるとふい、と目を逸らされる。
「キャンセル料まだかからないんだっけ? 風邪長引いたら嫌だし、宿の予約は取り消しとこっか」
そう声をかけると彼女はなんだかよくわからない唸り声をあげる。気に食わない、という雰囲気はめちゃくちゃ感じるけど、多分答えはイエスだ。「ちょっと待ってて、」とその額を撫でて、携帯電話を取りに自室へ向かう。
電話をかけて彼女の部屋に戻ってくると少し眠くなってきたようだ。ふわふわとした声で「宿は……?」と聞いてくるから、少し苦笑してしまう。
「さっき電話かけたからだいじょーぶ、『』って言ったらすぐ分かったみたいだったよ」
「そう……」
は深々とため息をついて小声で「ごめん、」と呟く。気にする必要はないし、行くなら元気な時にして欲しいんだけど、そう言ったとしても色々気にしてしまうんだろうな、この子は。だから俺は笑って「大丈夫だよ」と普段より熱いその額を自分の手で冷ましてやるだけ。
「でも……、ちょっと聞きたかったな」
「何を?」
「英二が『です』って言って電話かけるの…、後にも先にももうない気がするし」
「……確かに、」
滅多に風邪を引かないからこんなことはレアだろうし、もし次こんなことがあるとしても、それはこの子の『苗字が変わった後』かもしれないし。そう思うと、なんだか嬉しくなって、思わず笑い声を漏らしてしまう。目の前の恥ずかしいことを言ってしまったと思っているのだろうか、目の上まで布団を引き上げて「笑わないでよ、」と少しだけ怒ったような声を上げた。でもこういう時にこの子がこういう声を出すのは照れ隠ししたい時だって知ってるから、「分かってるよ」とだけ呟いて布団からはみ出した髪の毛を撫でた。