旅行の数日前というのはこうも浮き足立ってしまうものだっただろうか。まだ当日まで時間はあるのに最近そのことばかり考えてしまう。遠足のことを考えて浮かれて眠れなくなってしまう子供みたいだと苦笑する。早く秋にならないかな、とカレンダーの日付を指差しながら数えた。
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関東の秋雨は梅雨の雨より長いらしい、と言っていたのは誰だっただろうか。今日は晴れると思っていたのに夕方になるとまたしとしとと雫が空から降ってきた。定時ぴったりに会社を出た私はどうにか濡れずに帰ってきたが、授業の後バイトのシフトを入れていると言っていた彼は恐らくこの雨の中駅からの帰り道を歩くことになるのだろう。そう思いながら玄関の傘立てを見て「あ、」と声を上げる。見覚えのある紺色の折りたたみがポツンと取り残されている。……たぶん彼は傘を持って行ってない。
後から思えば、タクシーに乗って帰れば良いとか、コンビニで傘を買えば良いとか、たぶん通り雨だから駅で少し待てば良いとか、色々方法はあったんだけど、この時の私は寝不足で頭が回っていない上に大いに浮かれていたから、これ以外の方法が考えられなかったのだ。
歩く度に歩道を川のように流れていく雨水がバシャバシャと跳ねる。こういう時、レインブーツとか買っておけばよかった、と雨が降る度に思うのだけれど、小学生の頃買った長靴がサイズアウトして以来普通の靴でお茶を濁し続けている。スニーカーの中に溜まった水に靴下が溺れていく。足先が冷えていく。それでもあまり気にならないのは、この道を歩いていけば彼がいると思えるからだろうか。
案の定、彼は駅の出口で空を見上げて、途方に暮れた表情をしていた。その手に傘は握られていない。スマホの時計と雲の様子を交互に見る様子がなんだかおかしくて、思わず頬が緩んでしまう。でも、ニヤニヤしてると思われたくはないから、小さく息を吸って、平静を装って、彼の名前を呼ぶ。
「英二、」
勢いよくこちらを向いた彼が、安堵と照れ臭さがごちゃ混ぜになったような表情をして私の名前を呼ぶ。
「ちゃん、なんでいるの」
「傘、忘れてるなって思ったから」
「……傘のためだけに?」
「……悪い?」
私がそうしたかったからしたんだよ、なんて、可愛らしいことは言えないけれど、色々と察しが良くて優しい彼は、へにゃりと眉を下げて「悪いわけないじゃん」と笑った。びしょ濡れのつま先がじんわり暖かくなる。