形のないものを綺麗な形にまとめあげるのは苦手だ。オムレツも、人間関係も。
◯
なんとなく、特に深い意味はなく、駅前で配られていたイルミネーションイベントのチラシを受け取ってしまった。きらきらと光る星の海のような空間の中、若い男女二人が笑い合っている。朝の人の少ない教室でぼんやりそれを眺めていると、突然不二くんに「何してるの」と声をかけらた。慌てて手に持っていたチラシを鞄にしまったけれど、しっかり内容は見られてしまっていたようだ。「イルミネーション?」と首を傾げる彼は随分とウキウキした表情をしている。
「行ってくればいいじゃないか、英二と」
「は!? え!? な、んで!?」
「なんでって、こういうのは好きな人と行くものだろう?」
「まあ、そう、……そうなんだけど、……ね」
不二くんには私が誰を好きなのかすっかりバレてしまっているから、きっと今考えていることも悩んでいることもなんとなくわかってしまっているのだろう。なんなんだこの男は。深いため息をついていると「そういえば」と口元に手を当てて問いかけてくる。
「……英二とってさ、付き合ってるの? 付き合ってないの?」
「……付き合ってるって言ったらどうする?」
そう、それこそが最近の私の悩みの種なのだ。「みんなに言いふらす」と楽しそうに答える不二くんに「なにそれ、」と呆れ顔をすると空気が読めるのか読めないのかよくわからないクラスメイトはクスクスと笑う。
そもそも、ドラマや漫画でよくある校舎裏に呼び出したり呼び出されたりして告白っていう『儀式』を私たちはやっていない。だけどなんとなく、あの文化祭の後、夕焼けの教室で二人きりで話した時から、そうなんじゃないかなって思ってたし、今の関係を言葉にするなら『付き合ってる』という言葉が的確なような気もするんだけど……。
「……本当に付き合ってるの?」
「……どうなのかな……」
明確に『そうだよ』ということができない。いつになるんだろう、躊躇いなく頷くことができるようになるのは。
◯
冬は日が落ちるのが早い。どんなに晴れた日だとしても、部活が終わる時間にはもう辺りは真っ暗になってしまっている。駅のホームの屋根の隙間から見える紺色を見上げつつ、寒さで悴む手に息を吹きかけていると「英二先輩!」と懐かしい声に呼びかけられた。中等部三年の桃城武だ。不二やタカさんと観に行った夏のテニス部の大会の後は、高等部の文化祭に来てくれた時一瞬話した時以来、全然会っていなかったはずなのに、辺りに響く大きな声と、周りの気温を一気に上げてしまいそうな笑顔は全然変わってなくて、思わず小さく吹き出してしまう。
「偶然っすね! 部活帰りすか?」
「そ~、桃ちんはどしたの? 部活は引退したんだろ?」
「今日は学校で自習! 勉強してるんすよこれでも」
「そっか~、頑張れよ」
他愛のない話が広がる。今年の中等部の新年生の話とか、ドイツに行った元部長の話とか、アメリカと日本を行ったり来たりでふらふらしている後輩の話とか、観に来てくれた文化祭の劇の話とか。あの時の無茶苦茶な不二の白雪姫に文句を言って言ってゲラゲラ笑っていると急に曲者と呼ばれる後輩は「そういえば、」とこちらを見てニヤリと笑ってくる。
「英二先輩って結局さんと付き合ってるんすか?」
「!? なんで?」
「文化祭の時、劇終わってから高等部の部室行ったのに先輩いなかったから、彼女と文化祭回ってんのかな~と思って…」
あからさまに動揺してしまった。視線が泳いでしまっている自覚はある。「あー、うん、そっか、なるほど」というふわふわとした答えしか返せない。事実、あの日からきちんと名前のつかない関係のまま数ヶ月来てしまったから、いつも通りのはずなのにいつも通りじゃなくて、落ち着かないんだ。
「で、どーなんすか実際」
「……付き合ってる……んだよね?」
「なんで俺に聞くんすか」
「だってなんか……ちゃんと告白とかしたわけじゃないんだよ、俺たち」
そう、ちゃんとした告白をしたわけじゃないんだ。それが俺の中で結構、心の引っ掛かりになってしまっていて、これ以上踏み出して良いものか分からなくて、足踏みしてしまうんだ。三歩進んで二歩下がるどころではない、三歩進んで三歩下がってしまっている。これには流石の桃もどう会話を続けたら良いのかわからないのか、「はぁ、そっすか」と曖昧な相槌を打っている。
「でも、でもさ、」
「でも?」
なんとなく大声で言いづらくて「なんなんすか、」と首を傾げる桃を手招きする。こそこそと耳打ちすると声が大きい後輩はいつも以上に大きい声で「はぁ!?」と声を上げる。
「付き合ってないのにキスはしたぁ!?」
「ちょっと、桃! 声がでかいよ!」
「破廉恥な……付き合う前の女子と……英二先輩がそんな人だとは思わなかったっす……」
「勝手に話を進めないでよ! ってか、キスしたの俺からじゃなくてあいつからだし!」
そう、だから、だからこそ、今の関係性をなんと呼んだら良いかわからないんだ。そうやって何故か焦る俺を見て、桃は「えっ、」と目を見開く。ほら、そういう反応になるだろ。なんとなく予想はついてた。
「うっそ、さんから?」
「から」
「それは……付き合ってる、でいいんじゃないすか?」
「……だよね、俺もそう思う」
そう思うし、そう言いたいんだ。……本人の前でもそう言えたらどんなに良いか。それができたら苦労しないんだけど。
「なんか、英二先輩も大変っすね、」
お疲れ様っす、と声をかけてくる後輩に「ありがと、」と返すと同時に、ホームに電車が滑り込んできた。ドアが開いた途端、電車内のイルミネーションの広告が目に止まる。こういう場所に誘ったりしたら、色々変わったりするのかな。深々ため息をつきながら乗り込む電車は暖房がきいていて、凍っていた徐々に溶けていくみたいだ。
◯
今年一番の寒さだという予報が流れた十二月の金曜日。珍しく部活が休みなのだという彼とこれまた本当に珍しく一緒に帰ることになった。家は近いはずなのに行き帰りの時間が重ならないから、中学になってから登下校が一緒になった回数は文化祭の期間を除くと両手の指で足りてしまうほどだったから、平静を装って入るけれど無駄に緊張してしまう。年末とかクリスマスとかで浮かれた駅前の通り過ぎながら、きらきらとした広告に目を留める。チラシに書かれていたのと同じ場所だ。
「ねえ、イルミネーション見に行こうよ」
そう彼が言い出したのは突然だった。いや、私の視線の先にあの広告があるのを察したからだろうか。だけど、明日から冬休みだとはいえたぶん英二は朝から部活だし、いなくなるのがすっかり早くなってしまった太陽はとっくの昔に沈んでしまっている。口から出てきた「……今から?」という言葉に含まれていたのは、期待と不安が半分ずつだった。
「今から!」
「なんで?」
「ダメ? この前電車で広告見てさ、ちょっと行ってみたいって思ってたんだ」
返ってきた答えは単純で、だからこそ色々と考えてしまう。だけど、ここで一歩踏み出さないと、私はいつまでもこれまでの私のままだ。ゆっくりと頷いて「……いいけど」と呟くと彼は心底嬉しそうな顔をして「やった!」と声をあげる。こういう時『けど、って何?』と揚げ足をとるようなことを言わないところも彼の好きなところの一つだ。つい甘えて、素直じゃない言い回しになってしまう。
キラキラの景色を目指して、普段よりも長く電車に揺られている。いつもの乗り換え駅を通り過ぎると少しずつ電車に乗る人が増えてきて、思ったより密着してしまって、心臓が口から飛び出してしまいそうだ。ポケットにそっと隠した手がやたら震えていたことに、彼は気付いていませんように。
底冷えする夜であるにも関わらず恋人たちで溢れている公園は、街路樹に電飾が巻き付けられて光のトンネルみたいだ。さっきまで降っていた雨はいつのまにか雪に変わっていてすごく幻想的だ。今の雰囲気なら、もう一歩前へ、踏み出せるんじゃないかな、と思うけど、私という人間はこういう時いつも『思うだけ』になってしまうのだ。
昔から思っていることを口に出すのは苦手で、いつも彼に頼ってしまう。最近は言葉にするよりも行動に移す方が性に合っていることに気がついたから、余計にちゃんと伝えたいことを喋ることができなくなってしまっている。それじゃダメなんだけど。深々とため息をつくとコーヒーにミルクを落としたみたいに空気が白く染まる。キラキラのイルミネーションが眩しくて、目を細めてしまう。
珍しく何も言わず歩いていた彼がゆっくり口を開いたのは光のトンネルを半分ほど進んだ時のことだった。「ねえ、」と声をかけられて振り返ると困っているのか焦っているのかよくわからない難しい表情をしている。
「あのさ、すっごく今更だけど、俺たちって付き合ってるんだよね」
一瞬時が止まる。割れ物を持っていなくてよかった。きっと動揺して手にしていたものを取り落としてしまっていたことだろう。だってそんなことこんな場所で確認されても困っちゃうし、改めて聞かれたらなんて答えたら良いかわからないし、言葉ではっきりと形にはしていないけどそうなんじゃないかなって思ってたし、そうだと嬉しいって思ってたから、彼も同じ気持ちじゃないかなってなんとなく伝わってきてたから、……それでもずっとふわふわとした関係性のままが嫌なら私の方からちゃんと言おうって思ってたから、急にそんなことを聞かれても「……多分」という曖昧な返答になってしまう。当然彼はそれでは不服だったみたいで少し頬を膨らませて拗ねたような表情をする。
「なんでそこ曖昧なんだよ! そうだって言ってよ!」
「……まあ、……そう、……そうね、」
彼がこんなふうに言うものだから、とても寒いはずなのに指先まで熱くなってくる。「そうだと思う、」とゆるゆる頷くと、彼は満足そうに「だよね」と笑った。
光のトンネルの一番奥には、教会を模したモニュメントが建っていた。列に並んだ恋人たちが設置された鐘を一人ずつ鳴らしていく。「なんだか、結婚式の儀式みたいだ」って彼が冗談っぽく笑うから、少しドキリとしてしまう。四本の紐のうちの一本を引くと愛の鐘・知の鐘・富の鐘のうちのどれか一つ、もしくは全ての鐘が鳴るのだという説明を聞いて、私たちも列に並ぶ。なんだかふわふわとした心地だった。夢の狭間にいるような、このまま空に浮かび上がってしまいそうな、そんな気分。それでも、コートの袖からはみ出した手と手が少し触れるたびに隣に立つ彼の体温が伝わってくるから、これは現実なんだと思い知らされる。
私たちの番が来た。係の人に促されて、彼が鐘を鳴らす。深く響く音を鳴らしたのは愛の鐘だ。照れ臭そうに笑うから、私までなんだから照れてしまう。
次は私の番だ。示された四本の紐を見て少し前にここのチラシを見ながら不二くんと交わした会話を思い出す。
「英二とってさ、付き合ってるの?」
「……そうだって言ったらどうする?」
「みんなに言いふらす」
「なにそれ、」
言いふらしていいよ、いや、言いふらしてほしい、みんなに。世界中に自慢したい、そんな気分なんだ今は。
ゆっくりと紐を引っ張ると三つの鐘が全て鳴り響いた。
◯
珍しく彼がなかなか起きてこないから、今日は私が朝ごはんのオムレツを作ることにした。冷蔵庫から取り出した卵をボールに割り落として、丁寧にときほぐす。フライパンをコンロに置いて火をつけると、少しだけ緊張してしまう。試行錯誤を繰り返すうちに料理もそのほかの家事も少しずつ上手くできるようになってきた気がするけれど、やっぱりいまだにこれに限っては彼の方が上手い。考えすぎてしまうんだ。卵をどれくらい混ぜるかとかフライパンに敷くバターの量とか焼く時間とか、色々。分量と時間ををきっちり計って型に流し込むお菓子作りならそれで大丈夫だけれど、手早く勢いよくひっくりかえさなければならない卵料理には向いてないんだ。
形のないものを綺麗な形にまとめあげるのは苦手だ。オムレツも、人間関係も。黄色の塊をなんとかまとめあげながら十年近く前の冬のことがふと頭をよぎったのは、今日があの日のように凍えてしまいそうな寒さだからだろうか。
あの時も、今も、一緒にいる彼のおかげで『思い立ったら即行動してみる』ということを覚えたけれど、根本の性格はなかなか変えることができないみたいだ。
オムレツが焼けた頃に彼が起きてきた。キッチンに漂う匂いを嗅いで顔を綻ばせるから、こちらまで少し嬉しくなってしまう。オムレツは少し焦げてしまったけれど、優しい彼なら許してくれるだろう。