Naturesince.2010.07.04

Short Story

maple

 それなりにお菓子とか簡単な食事とかは学生時代から作ってきたけれど、たぶん料理は彼の方が上手いんじゃないかな、と思っている。けれど、仕事の時間の関係とかもあって晩ご飯は基本私の担当になっているから、食卓に皿を並べる時は少し緊張してしまう。不味いものではない、と思う。でも、百点満点のものを作るのは難しい。小さくため息をついてしまう。
 それでも、料理をするのが嫌いなわけではない。むしろ割と好きな方だ。少しずつ包丁さばきも様になってきた気がする。今はゴボウのささがきにハマっている。ナイフで鉛筆を削るみたいに切るあれだ。薄くなったゴボウの欠片がぽとりぽとりと水を張ったボウルに沈んでいく。その様は落ち葉に少し似ていて、思わず目を細めた。

 水に浮かぶ落ち葉を見ると中学二年生の冬のことを思い出す。中学生の頃の私はそれはもう素直じゃなかったから、なんとなく彼を避けていたし、絶対に彼と帰る時間が被ることが無いように部活にも委員会にも入らなかった。今思うと、『好き』という感情のコントロールの仕方をよく知らなかったんだと思う。彼を見ていると苦しくなっちゃうんだ、思いが溢れすぎて。今も時々、そうなってしまうのだけれど。

 その日はとても寒くて風が強くて、コートの裾から入り込んでくる冷たい空気で何度も身震いしてしまうほどだった。しっかり巻いたマフラーから目と鼻の先だけ出して夕方の最寄駅に降り立つ。障害物の無い校庭に比べたら風は弱まっているかと思っていたが、立ち並ぶマンションの間から吹いてくる風は突風と言っても過言ではないほどのものになってしまっていて、真っ直ぐ歩くのも難しいほどだった。そうやってフラフラと歩いていると、一際強い風が吹いて、しっかり巻いていたはずのマフラーを拐っていく。手を伸ばしても全く届かない。工事現場の柵を飛び越えて、落ち葉がハラハラと舞い落ちる木の枝に引っかかってしまった。どうしようと途方に暮れる私を嘲笑うように、強風は私の背丈よりも随分高いところにかかる赤を揺らす。勿論、手を伸ばしてもあんなところまで届くわけなくて、眉間にシワを寄せてしまう。
 フェンスを跨いで、木に登れば、届くかもしれない。けれど荷物を抱えた状態で運動神経の悪い私が高いところに登れる自信があるはずもなく。身軽になるために教科書やノートを一旦家に置いてくることも考えたが、この強風では目を離したらどこに飛んでいってしまうかわからない。

 諦めてしまおうか、いやそれでも見えてる位置にあるんだし、と迷いながら木の下をうろうろしていると、聞き覚えのある、けれど最近全然耳にしていない声に呼びかけられた。……菊丸英二だ。
「あれ、? なにしてんの?」
「えっ、英二……? 部活は?」
「今日は風強いから部活早めに終わったんだ、は? いつももっと早く学校出てるよね?」
「私は、えっと……」
 うまく説明することができない。視線が泳ぐ。こういう時、彼はよく人を見る人だから、他人の言いたいことを引き出すのが上手いから、小学生のころはつい甘えてしまっていた。……でも今は、甘えたいわけじゃないのに。
「なんかあったの? 探し物?」
「ちが、そんなんじゃないから!」
 彼が心配そうにこちらを見てくるから申し訳なくなってきて、つい俯いてしまう。それでも中学生の私は素直じゃない上に、強がりだったから「大丈夫」と「なんでもない」を繰り返した。なんでもなくないのに、全然大丈夫なんかじゃないのに。そうしているうちに、引っかかっている枝からまた飛んでいってしまいそうで怖くなる。自分の爪先と高いところにぶら下がるマフラーと彼を交互に見る。私のことは放っておいて早くどこかに行ってくれれば良いのに。だけど彼は優しいから、よく人を見るのが得意な人だから、私が何をしようとしているかすぐに気づいてしまうんだ。
「あ、もしかして、あれ取ろうとしてる? あの、赤いやつ!」
「……な、んで、」
 私はきっとこの時世界一情けない顔をしていたことだろう。気づかないで欲しかったと気づいて欲しかったがぐちゃぐちゃになって、上手く言葉を口にすることができない。
「なーんだ、それなら早く言ってよ! まかして、俺が取ってきてあげる!」
「ちょっ、待って……! 英二!」
 慌てて静止しても彼は「いーからいーから!」と工事中の看板を無視して柵を飛び越えて、水路の向こう側の枝に手を伸ばす。ちょっとふらついたら途端に下に落ちてしまいそうでひやひやする。
それでも猫のような彼はフェンスや枝を伝って軽々とマフラーに手が届く場所までたどり着いて、そして落ちた。触れた枝が思っていたよりも脆くて折れてしまったのだ。落ち葉がゆらゆら揺れる木の下の水路で信じられないと言った顔をしているからこちらもどんな顔をすれば良いのかわからない。「えーー、うそでしょーー、」と頭を抱える彼の髪の毛が濡れている。落ち葉と水がクッションになっていて幸い怪我はなかったようだし、そこまで水が溜まっているわけではないから溺れる心配はないが、凍死してしまう心配は十分にある。
 
 
「ま、まって、今助けるから!」
「えっ、ダメダメダメ! こっち来たら落ちちゃう!」
 彼が止めるのも聞かずフェンスを乗り越えようとした私は、案の定、濡れてもいないところで足を滑らせて水路まで落ちてしまう。踏んだり蹴ったりだ。「まで落ちる必要無かったじゃん」と唇を尖らせる彼に小声で謝ることしかできない。
 そこまで深い水路ではないから、ちょっと頑張ればすぐに脱出することはできそうだ。だけど、なせがこの場から動くことができなかった。寒いからでも怪我をしてしまったからでもない。ただ、こんなに近い距離に彼が居るのが久しぶりだから体が強張ってしまっているんだ。そんな私の気も知らず、彼は立ち上がりぐいと私の手を引いてくる。
、だいじょーぶ? うわっ、手冷た!」
 嗚呼、私に触らないで。体は冷え切っているはずなのに重なった手だけが熱くなってくる。

 はらはらと落ち葉のような薄さになったゴボウはきんぴらになった。小鉢にゴマを振りかけるころ、彼が帰ってくる。「ただいま」と「きんぴらごぼうだ!」という声が同時に降ってきて思わず吹き出してしまった。
 食卓に小鉢を運ぼうとすると、手を洗ってきた彼も同じことを考えていたみたいでそっと指と指が触れる。重なった手は相変わらず熱い。