Naturesince.2010.07.04

Short Story

にたものどうし

じわじわと蝉の鳴く7月、乾の目の前に居る小柄な少女は信じられないというような顔で数度瞬きをした。

「え、大石くん、怪我しちゃったの?」
「あぁ、手首をやられたらしい。……しばらくテニスは無理だろうな。」

乾が頷いてそう告げると、小柄な少女…は「嘘でしょ…」と頭を抱える。関東大会初日の今日、小学生のころからの付き合いである菊丸にでも試合を見に来るよう誘われたのであろう彼女は、丁寧に小さめのクーラーボックスを脇に抱えて来ていた。普段は素直ではないことばかり口から出てきて、あまり人付き合いに器用ではない印象の彼女だが、こういったことにはきちんと気が回るらしい。

「…じゃあ、あの、今日のダブルスは?」
「英二は桃とペアを組んでるよ。」
「桃城くん……」
「まあ、不安しかないけれど…」

ちらりとコートの方向を見ると既に試合は始まっており、菊丸と桃城は相手チームのおかっぱの選手の動きに翻弄されているようだ。
素人のから見てもそれはわかるようで、彼女も心配そうな表情で二人の試合を見ている。が、不意に「…ねえ、乾くん、」と口を開き、「ん?」と返事をした乾の方を真剣そうな顔で見る

「あのさ、私、大石くんのこと迎えに行ってもいいかな?」
「……構わないが、何故?」
「私、自転車あるから。乗った方が絶対早いし。」

そう言っては手に持った自転車の鍵を示す。

「……大石君がいないと、なんか負けちゃう気がするの。」

くやしいけど、と小声で付け加えた彼女の複雑そうな表情を見て乾は吹き出しそうになるのをぐっとこらえる。ライバル、と言ったら大げさかもしれないが、それに限りなく近い存在である大石のために動くのはすこし癪だが、背に腹は代えられないのだろう。

「…そうか、じゃあ、頼んだよ。」
「……まかして。」

強く頷くを見送った後、乾は再び相手校のデータ集めに注力する。

「…本当は怪我をしている大石が自転車に乗る確率は1%も無いのだが……まあ、なんとかなるか。」

ノートを捲りながら呟かれたデータマンの声は、には届かない。「そんなんでいいんすか先輩、」という目つきの悪い後輩の声は聞こえないふりをした。

「10時半……」

大石は病院の受付に設置されている時計を見てぽつりとつぶやいた。試合の日にこんな時間になってもテニスコートに居ないのは初めてだ。人助けをした結果とはいえ、自分の不注意が招いた事態なのだから、誰も攻めることはできない。

「1試合目の中盤くらいかな…、いや、でもまだ…」
「大石くん!」

ぶつぶつと試合の状況を考えながら病院の入り口の自動ドアを潜り抜けたその時、不意に名前を呼ばれ顔を上げるとそこには見覚えのある少女が明るいオレンジ色の自転車を支えながら立っていた。

…さん?」
「早く!自転車乗って!1試合目終わっちゃう!」
「えっ、あ、ちょ、待ってさん!」
「なによ!」

お互いに焦っていては元も子もない。大石はいったん落ち着いて、深呼吸する。試合の時と同じだ。急いでは何事もうまくいかないから、いろいろと、事態を整理しなくてはならない。

「俺、怪我してるから、自転車漕げないし、二人乗りは危ないし……、だから、せっかくだけど、その……」
「……やだ、そういうこと全然考えてなかった……。」

彼女は顔を真っ赤にして俯いて、消えそうな声で「ごめんなさい、」と呟く。ああ、違う、そう言う顔をさせたかったわけではないのだ。普段は菊丸とが二人で話しているのを大石は傍で見ているだけだから、どうすれば彼女とうまくコミュニケーションをとれるのかわからない。

「大丈夫だよ、さん。そのまま自転車運転して会場に向かって。俺、その横を走るから。」
「走る!?大丈夫なの?」
「これでもテニス部の副部長だからね、やわな鍛え方はしてないよ。」

安心させるように笑っていうと、彼女は「じゃあ、」と頷きペダルに足をかける。

「それにしても、どうしてここまで迎えに来たの?英二の試合は……、」
「自転車の方が…早いから…、間に合うように、これ貸そうと思ってたんだけど……」

そう言っては「結局大石くんに走らせちゃった、」としょんぼりとした顔をするから、「さんを攻めてるわけじゃないよ!」と慌ててフォローする。走りながらわたわたと手を振り弁明する姿は、傍から見れば相当間抜けに見えるだろう。
そんな大石を見て、は「ありがとう」と少し笑ってペダルを回して、再び口を開く。

「……大石くんが居なきゃいけない気がしたの」
「俺が?」
「いや、あの、桃城くんじゃダメってわけじゃなくて、」

ただなんとなく、なのだろう。菊丸も、そういう『野生の勘』のようなものを信じるタイプだ。気難しやで口下手な小柄な少女は、菊丸とは正反対のように見えるが、妙なところでよく似ている。

さん…」
「あ、のさ、その『さん』っていうの、やめない?…なんか慣れなくて…、」
「え、じゃあ、」
「『』でいいから、」

まっすぐ前だけを見ながらそう言ってペダルを回す彼女を見て、あの日、夕焼けの下で『英二でいいぜ!』と手を差し伸べてきた相棒を思い出す。やっぱり、君たち二人よく似てるよ英二。自転車を漕ぐ横顔と、普段コートで隣に立つ横顔を重ねて、大石は密かに微笑んだ。

彼女は『大石くんが居れば負けない気がする』と言ったが、そうではないと大石は思う。たぶんきっと、彼が負けない時は、彼女がそばに居る時だ。