菊丸英二くんのことが好きだ。めちゃくちゃ好きだ大好きだ。
彼もわたしのことを好きでいてくれているとは思うけれど、大事なものが他にたくさんあるみたいで、そりゃもちろんわたしの方も趣味とか、好きなアイドルとか、大事なものはあるけど、何より好きなのは彼のことだから、なんかそれらの彼の大事なものに嫉妬してしまうんだ。なんと子供っぽくてなんとわがままなんだろうと自分で苦笑してしまうけれど、彼のことが好きなんだもん許してほしい。
そもそもわたしは彼が大事にしている青春学園中等部テニス部での思い出を共有していない。わたしたちが出会ったのは高校を卒業してからで、彼に一目惚れしたわたしがバイト先のカフェに何度も通って連絡先をゲットしたのが始まりだ。
もしわたしが彼と同じ学校の先輩だったら・同級生だったら・後輩だったらという話を彼に一方的に話すことはあるけど、それは所詮夢物語。本当のわたしは今ここにいる青春学園中等部に通ったことすらないわたしでしかない。「そんなに思い悩まなくても大丈夫だよ」っていう台詞は嬉しいけど! 嬉しいけど! やっぱり無い物ねだりしてしまう。彼と元チームメイトとの会話を聞いているだけで、あのころ見据えていた未来を、追いかけた夢を、共有していたかったと思ってしまう。これってやっぱりわがままなのかな。
*
春眠暁を覚えずとはよくいうが、季節を問わず朝は眠い。手探りだとスマホが見つからなかったから、もぞもぞとベッドから這い出して机の上の壁掛け時計を見る。まだ六時を回っていない。二度寝しても仕事に間に合う時間帯だ。もう一度、布団に戻り目を閉じようとしたところ、自室のドアが勢いよく空いた。慌てた表情の母親をわたしはぼんやりと見つめる。
「ちょっとアンタ、五時半には起きて朝練行くんじゃなかったの?」
「……朝練?」
「朝練」
行かないの? と母親は首を傾げる。「もうすぐ都大会だから準備しないとって言ってたじゃない」と続けて。都大会、なんの話だろう。まだ意識がはっきりしない。よくわからないままに今日のスケジュールを確認しようとスマホを探すが全く見つからない。いつもならベッドサイドで充電しているはずなのにどこに行ってしまったんだろう。部屋の中を見渡す。いつも通りの部屋だ……と言いたいところだが、いつもと違うところがいくつかある。その一つ一つを認識する度に、みるみるうちに眠気が吹き飛んでいく。
「……う、うそでしょ」
間違いない、たしかにカレンダーの西暦はわたしと菊丸英二くんが中学三年生だった頃のものだし、わたしの手足からは丁寧に施したネイルアートも彼からもらって肌身離さずつけてる指輪も消えている。そのかわり、何度か目にした目にも鮮やかな青い制服が部屋の隅にかかっている。彼の卒業アルバムにも写真が載っていた特徴的な形、間違いない、青春学園中等部の女子制服だ。そうして、その横の本棚の上、フレームに入れて飾ってあるわたしも含め複数名が並んでピースしている写真はまさしく……。
そう、なんとも不思議なことに、目が覚めたら青春学園中等部のテニス部員の三年生になってしまっていたのだ。