あの時勢いのまま誘ってみたはいいが、いまだに菊丸先輩とドーナツを食べに行けてない。メールを送るのも声をかけるのも緊張してできなくて、なかなか予定が定まらないのだ。このままでは、ドーナツ無料チケットが期限切れになってしまう。……二人で座って食べるものではなくて、もっと軽いものにすればよかったかな。ドーナツより軽いものってなんだろう、コンビニについてきて欲しいとか、駅まで一緒に帰って欲しいとか……?いずれにしても、菊丸先輩に話しかけようとすると足が震えて立っていられなくなる私にとっては、誘うだけで難易度が高い。
「今日は部活休みだってさ、雨だし、体育館他の部に取られちゃったし」
「そ、そですか……、」
「……、」
「あの、きくまるせんぱい?」
「ねー、、ドーナツの割引券持ってるって言ってたよね、」
「あ、はい」
「じゃあさ、今から行こーよ。ここに居るってことは用事とかないんだろ?」
「……!はい!!」
傘をさして並んで歩く。菊丸先輩はいろんなことを話してくれた。クラスメイトのこと、テニス部の部員のこと、学校の先生のこと。そうしているといつのまにかドーナツ屋にたどり着いていて、いつのまにか二人ともドーナツを選び終えていて、いつのまにか二人向かい合わせの小さなテーブルに座っていた。自然に振舞っていたつもりだったけど、緊張していたのだろうか、私の目の前には普段なら頼まないようなチョコレートの生地に更に溶かしたチョコレートがかかった甘ったるいドーナツが並んでいる。対する菊丸先輩の前には、この前と同じミニドーナツ、と、私と同じチョコレートのドーナツだ。ちょっと嬉しくなる。
菊丸先輩も「お揃いだ、」と穏やかに笑うから、思わず普段は話さないようなこと、話してみたくなる。
「菊丸先輩、は、大会終わったら引退、ですよね?去年の三年生は新人戦まで一年の指導に残ってくれた人も居たけど……」
「そだね、……でも俺たちは全国で優勝するから、決勝のとき…8月末までは居るよ」
「……でも、秋から寂しくなります、菊丸先輩と会えなくなる」
会えないわけじゃないよ、と先輩は笑うが、部室に来たら好きな人が居るのと居ないのとでは大きな違いだ。菊丸先輩が居ないからといって、私のマネージャー業を疎かにするわけにはいかないから、これまで以上にみんなを支えるつもりだ。……けれど、寂しいものは寂しい。
「菊丸先輩、寂しい後輩から、一つだけお願いが、」
「……なに?」
「無理なら無理って言ってくれてもいいんです、その、」
そうは言ったものの、何を言うか決めかねていた。なるべく、菊丸先輩を困らせたくはないけれど、ちょっとだけ、わがままを言いたい。視線を泳がせていると、菊丸先輩は不思議そうに首をかしげる。
「なんだよ、お願いって、」
「……あの、菊丸先輩のこと、英二先輩って、呼んでもいいですか?」
口から出てきたのは、小さな願い事だった。小さいけれど、私にとっては、大きくて、とても大事な。不意を突かれたのか、先輩はぱちぱちと数度瞬きをする。
「……えっ、何で?」
「えっ!?ダメですか!?」
「いや、ダメじゃない!ダメじゃないけど!なんかもっと違うこと言われるのかと思ってたー!」
ドキドキして損した!と先輩は頭を抱える。その仕草もなんだか、可愛らしくて、少し張り詰めていた空気が緩む。
「違うことって、どんな?」
「んー、告白、とか?」
「は?」
「付き合ってって言われるのかと思ってた、だっては俺のこと……、」
嗚呼、なんだ。全部菊丸先輩は知っていたんだ。知っていて、私のこと……、そうです好きですの代わりにチョコレートのドーナツを先輩の口に押し込んだ。
チョコレートが口の中で溶けていく