
ぱらり、と本のページをめくる。授業と授業の合間の10分間、短い時間だけど、本の世界に入り込むには十分な時間だった。
「ねえ、何読んでるの?」
声をかけられ、不意に意識が現実に引き戻される。一つ前の席に座る菊丸英二が、こちらを向いて声をかけてきていた。
「えっと、村上春樹だよ。」
「ムラカミハルキ?」
「羊をめぐる冒険。知らない?」
私が付箋を挟み本を閉じて答えると、彼は「ふうん」と特徴的なイラストが描かれた本の表紙を撫でた。
「面白い?」
「…どうかな、好みによると思う。…私は好きだよ。」
「…そっか。」
それだけ言うと彼は再び前を向いて、次の授業の準備を始めた。それを見て、私も本を鞄の中に片付ける。ほとんど本を読み進めることができなかったけれど、なんだかいつもより楽しい休み時間だったような気がする。

「これ、あげるよ。」
そう言って再び一つ前の席の彼が声をかけてきたのは、それから一週間後のことだった。
私の机の横に立ち、彼が手にしていたのは、淡い色の付箋。
「もらったけど、俺使わないから。あげる。」
優しい色をしたそれを机に置いた彼は、私が何か言う前に誰かに呼ばれて教室から出て行ってしまった。
私が付箋を手に呆然としていると、よほど間抜けな顔をしていたのだろうか、同じクラスの不二周助が「ねえ、」と声をかけてきた。
「ねえ、それ、英二から?」
「うん。もらったけど使わないから…って言われて…。」
私がそういうと、不二はくすりと笑う。
「やっぱり。…あのさ、それ本当は、君にあげるために英二が雑貨屋で探してきた物なんだよ。」
「えっ、そうなの?」
「うん。『もらった』って言ってたみたいけど、英二は本なんか滅多に読まないし。付箋とかもらう機会無いんだよね。」
あわてて彼が置いて行った付箋をよく見ると、裏側に小さく羊のモチーフが描かれていた。おそらく、私が呼んでいた本のタイトルにちなんだものをわざわざ探してくれたのだろう。
「…そう、みたいだね。」
こころが暖かくなる。彼から突然もらった贈り物が嬉しいのはもちろんだけれど、私が好きなもののことを覚えていてくれたことがとてもうれしいのだ。