全国大会が目前に迫ったものすごく暑い日、突然忍足侑士が「シングルスに出たい」と言ってきた。
「シングルス?」
「あぁ、シングルス。」
最初は聞き間違いかと思ったけれど、どうやら彼は本気らしい。思わず彼の顔を二度見してしまった。
「先輩がシングルスって…まぁ、できなくはないでしょうけど…監督や跡部先輩や…向日先輩にはもう話したの?」
「いや…。」
「じゃあ、早く話さないと。ダブルスが1人抜けるとなったら、いろいろと準備も必要でしょうし…。マネージャー1人に言っても、シングルスには出させてもらえませんよ。」
そう言うと、忍足は「さよか」とだけ言って、踵を返した。そんな彼を、「ねぇ、」と呼び止める。ただの興味本位だが、マネージャーとして、一応聞いておきたい。
「ねぇ、どうしてシングルスがやりたいとおもったの?」
「…倒したい奴がおるんや。」
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そんな話をしたことを今思い出しているのは、目の前にその忍足侑士が『倒したい』と言った相手が居るからだ。
その人物は大会会場の自動販売機の前でものすごく真剣そうな顔で低く唸り声をあげていた。
「おい越前ー…、ファンタねぇよー…、お前ファンタの他に何が好きなんだよー…、コーラか?ブドウジュースか?いや…でも…」
「…あの、」
「そもそも先輩をパシリに使うって時点でおかしいよなぁ、おかしいよ」
「あの!」
「うおおおお!…あ、すんません、自販機っすよね、どうぞ、」
声のボリュームを上げたらやっと私の存在に気づいた彼、青学の桃城武は、自動販売機の前を退いてからも尚、「さわやか白ブドウか…コーラか…」と唸り続けている。それを無視してその場から離れようとしたら、不意に「なぁ、」と声をかけられた。予想外の展開だ。
「なぁ、あんた確か、氷帝のマネージャーだろ?」
「はぁ、そうですが。」
「乾先輩に聞いたんだけど、あんた氷帝のデータ収集担当なんだって?」
「それが何か?」
「…あんたは青学の越前リョーマ、さわやか白ブドウとコーラ、どっちが好きだと思う?」
「…知らないわよ、そんなこと。」
「…だよなー。そんなことまでわかっちゃう変態データマンなんて、乾先輩くらいだもんなー。」
馴れ馴れしく話しかけられて、氷帝のデータが青学のデータに劣っているというようなことまで言われて、突然のことで怒ればいいのか悲しめばいいのかよくわからない。とりあえず、変態認定されなかったということで喜べばいいのだろうか。
「でも、氷帝のデータ担当もこの程度なら負ける気がしねーなぁ」
「はい?」
「関東でも俺らが勝ったし、今回も楽勝だな。」
そこまで言われるとは、思っては居なかった。自分の中でプチンと何かがきれる音がする。
気づいたら私は自分より一回りもふたまわりも大きい男の胸ぐらを勢いよく掴んで居た。
「悪いけど、次の試合、勝つのは氷帝です。データ上、氷帝の技術は青学と比べはるかに上ですし、メンタル、体力、共に、貴方方より優れています。貴方方は負ける運命なんです。全国大会で優勝するのは氷帝です。」
一瞬の沈黙、
そして胸ぐらを掴まれたままの彼の「言うねぇ」という一言で、ハッと我にかえった。
「ご、ごめんなさい、」
「いや、俺も言いすぎた。」
「でも、」
「…いい試合にしようぜ、準々決勝。」
そう言って立ち去ろうとする彼を思わず「ちょっと待って!」と呼び止めてしまった。
「あの、」
「ん?」
「青学の越前リョーマくんが何が好きかは知りませんが、運動をする時の飲み物はスポーツドリンクがいいと思います。アクエリアスとか、ポカリスエットとか…。」
そう言うと、彼は少し驚いたような顔をしたあと、「…あぁ、ありがとな!」と笑った。
どこかで跡部先輩が私を呼ぶ声が聞こえ、もうすぐ試合がはじまるのだということを思い出した。桃城武も誰かに呼ばれて居るらしく「やべっ」と小さくつぶやいた。
運命の試合がはじまる。
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忍足先輩と桃城武の試合は想像以上にものすごい試合になった。何度目かのチェンジコート。桃城武が不意に観客席に向かって「おい!」と声をかけた。
「あんただよ、あんた!氷帝のマネージャーさん!」
「えっ、私?」
一気に自分の方に視線が集まるのを感じる。やめてくれないかな、こういうの…。
「さっきあんたに『あなたは負ける運命』だなんて言われたけどさ、それを変えてこそ男だろって俺は思う。」
桃城武は私の方を真っ直ぐ見る。すごい目力だ。視線をそらすことができない。
「勝ってやるぜ、このゲーム。勝ってあんたを…あんたたち氷帝をぎゃふんと言わせてやる!」
そう言って彼は、私に向かって拳を突き出した。
ジロー先輩が「ちゃんあいつと知り合いなの?」とかいっているのは、殆ど聞こえて居ないも同然だった。
ごめんなさい、みんな。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、彼を応援したいと思ってしまった。