トナリアワセカイ

冬が来た。誰もが皆、部屋の中の暖かさを求めて室内に駆け込む、そんな季節だ。

だがしかし、氷帝テニス部の部室は暖かいとはとても言えないような状態で、去年は寒くなるとつけていたエアコンを消してしまっているから極寒の地と言っても過言ではない状態だった。エアコンつけろよ、と向日先輩は言ってたけど、跡部先輩が引退してから部長になった日吉くんは修行のつもりなのか、節約のつもりなのか、頑なに空調のスイッチを押そうとはしなかった。


そんなわけで、今、テニス部の部室は冷蔵庫状態だから、当然日中は誰も部室に入りたがらない。跡部先輩が部長だった頃は、寒くなってきたらエアコンのきいている部室に皆が避難していたあの頃とは全く逆の状態だ。部員達は、ユニフォームに着替えたら我先にとコートに入っていく。氷帝のテニスコートの一部は室内にあるため、風が吹かない日向のコートを陣取って練習するためだ。

そうやって、皆が競ってコートに入るためか、数ヶ月前よりも、格段に部員達の実力がついてきたきがする。これは、日吉くんの思惑なのか、それともたまたまなのか、本当のことは本人にしかわからないが、来年の夏の全国大会へのビジョンがぼんやりとだが見えて来たのは確かだ。



でも、私達マネージャーはそういうわけにはいかない。部室においてある備品や書類、その他諸々を取りに行ったり、ほかにも様々な用事で部室の中に入らなくてはいけない。他にも洗濯やそのほか諸々の作業のために冷たい水道を使ったり、寒くて寒くて仕方がないけれど、部員達のためだ。仕方がない。

今もちょうど、ドリンクが無くなりそうになっていたから、「物を落とすなよ」という余計な言葉と共に鍵を日吉くんに借り、ひとりで部室と言う名の地獄に足を運んだ。



ガチャリと鍵を開けて、きょろきょろとドリンクがの粉入っている箱を探す。
部室は西日が差し込んできらきら光って現実世界ではないようだった。棚の中にあるドリンクの粉の箱を発見し、必要な数をとり出し、早くこのサウナのような空間から脱出しようと扉へ向かう。

その時、 ガタン と音がして、ガサガサっと何かが動く音がした。


誰もそこに居るはずがないのに。


心臓がドキドキと音を立てる。
もしかして、まさか、季節はずれの心霊現象ってやつだろうか。

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「日吉くん日吉くん!大変!大変!」

ドタバタと勢いよく、部室から飛び出し、日吉くんに泣きついた。お化けや幽霊なんて、私一人じゃ相手にできない。…日吉くんと二人でも相手にできないかもしれないけれど。「どうしたんだ、騒がしい」と睨みつけてくる日吉くんに事の一部始終を説明する。話を先に進めるごとに、日吉くんの表情があきれ顔になってくるのが他人の感情を読むのが苦手な私でも手に取るように分かった。

「バカバカしい、幽霊なんかいるわけないだろう。」

フン、とそっぽを向く日吉くんは、いつも通りちょっと冷たい。

「でも!でもね!ガタンッて音がして!ガサガサッて何かが動いて!でもちょっと見たら誰も居なくて…!」

必死で身振り手振りで先刻の体験の恐ろしさを伝えようとする私をみて、日吉くんは深いため息をついた。

「…仕方ないから、俺も一緒に見に行ってやる。…音はどの辺りから聞こえたんだ?」
「う、うん、えっと…」

日吉くんの質問に答えようとして、ふといつもと違うことに気づいた。いつもの日吉くんならここで、「勝手にしろ」って言って、練習に戻って行ってしまうところだ。もしかして、まさか、

「この日吉くんは幽霊が変身したニセモノ…!?」
「何バカなこと言ってるんだ。さっさと行くぞ。」

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日吉くん(何度も確かめたが、どうやらニセモノではないらしい)の手をギュッと握り、部室にそろそろと足を進める。寒いはずなのに、緊張しているせいか、身体がすごくあつい。溶けてしまいそうだ。否、このままどろどろの液体になってしまっても、良いかもしれない。幽霊なんかに遭遇して殺されるよりずっとましだ。ぎゅっと握った私の手が流れ落ちてしまったら、日吉くんはどんな顔をするだろうか。驚いてくれるかな。悲しんでくれるかな。それともいつも通り、呆れたような顔をするのかな。

ドアが開けっ放しになっていた部室の入口をくぐり、きょろきょろと中を見渡す。先刻と同じで、誰も居ないし、蒸し暑い。

と、部屋の中を観察していると、突然 ガタン と大きな音が聞こえた。
そしてガタガタ、ガタガタと断続的に何か動くような音がする。

「ひ、日吉くん…!」
「まて!落ち着け!ロッカーの裏だ!」
「こ、怖いから日吉くんが見てよぉ!」

泣き声をあげると、私の手を握ったまま日吉くんはゆっくりロッカーに近づいた。手を握ってくれているのは、私を怖がらせないようにやさしくしてくれているのか、わたしに一緒に怖いものを見せようとしているいじわるなのか、よくわからない。

おそるおそる二人でロッカーの裏を覘く。

「あ…、」
「これって…」

ガタガタと音を立てていたのは、ロッカーと壁の隙間になぜか入り込んでしまった子猫だった。

ほっとして肩の力が抜ける。日吉くんは「なんだ、猫か」と溜息をついていた。…その表情がすこし残念そうに見えたのは、気のせいだろうか。見ているのが私一人だけだったから、確かめようがない。

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子猫を抱えて、外に出る。暑そうにしているから水を飲ませてあげよう。「もうあんなところにはいっちゃだめだよ、」と声をかけて、子猫の頭を撫でた。
そんな私と子猫を見ながら部室の鍵をしっかりしめている日吉くんが「あ、」と声を上げた。

「どうしたの日吉くん。」
「いや、少し不思議なことがあって…」
「不思議なこと?」

私の問いかけに日吉くんは「ああ。」と頷き、私の目の前に手を掲げた。その手には、テニス部部室の鍵がしっかり握られている。

「お前が部室に行く前に、最後に部室に入ったのは俺なんだが…外に出るときに扉の鍵は閉めたはずなんだ。今みたいに。」
「えっ、」
「あのあと鍵を借りに来たのはお前だけだったし、もちろん俺が部室を出るときに子猫なんて居なかった。」
「まさか…」
「誰が部室の鍵を開けて、子猫を入れたんだろうな。」

寒さのせいか、それともほかの理由かはわからないが、ぞわりと鳥肌が立った。