彼女の鼻歌を聞くのが好きだった。決してうまいとは言い難い、音程は時折外れるし、リズムもめちゃくちゃ。でも、その時の彼女はとても素敵な顔をしている。鼻歌を歌う彼女を見るのが好きだった。 
鼻歌を歌いながら、彼女は不二のサボテンに水をやり、洗濯物を干し、食事を作る。何でもないいつもの風景が、彼女の鼻歌で色づいて、あざやかになった。 
 
「あ、」 
 
彼女のちいさな呟きと共に、鼻歌は止まった。 
部屋が急に静かになったようだ、と思っていたら「不二、不二、ちょっと来て!」と彼女が自分を呼ぶ声が聞こえる。「はいはい、」と返事してゆっくりと読んでいた文庫本を閉じて立ち上がると「はやく!」と急かされた。 
 
「どうしたの?」 
「あ、あのね、これ、」 
 
さしだされたガラスのいれものの中には透明などろっとした液体と黄色い二つのお月さま。つやつやと輝く卵がそこに鎮座していた。 
 
「たまご…がどうかした?」 
「これね、ひとつの卵に二つ黄身が入ってたんだよ!すごいよね!めったにないことだよね!!」 
 
私、はじめてみたよー、と笑う彼女が愛おしくて、思わず抱きしめたかったけど、生ものを持っているからそこはぐっとこらえて、彼女の自分より幾分か低い所にある頭をやさしくなでた。「よかったね」と笑うと、彼女もさらに笑みを深くした。 
 
、そろそろ火を止めるかなんとかしないと、」 
「あ!そうだ!忘れていた!!」 
 
慌てたようにコンロの火を消して、それから彼女はまたにっこりと笑った。 
 
「とびきりおいしいもの作るから、不二は待っててね、」 
「一人で大丈夫?さっきみたいに、フライパン焦がしちゃったりしない?」 
「大丈夫だよ!」 
 
頬を膨らます彼女の頭をもう一度なでて「じゃあ、楽しみにしてるね、」と言うと「当たり前でしょ?」と頷いた。
 
キッチンを出ると、また彼女の鼻歌が聞こえ出した。優しくて、甘い、恋の歌。不二はその節に合わせてメロディーを口ずさみながら、読みかけの文庫本を開いた。