並盛町に雪が積もった。まるで違う町に来たようだ、と獄寺隼人は毎年ひそかに思う。煙草の煙を吐き出したら、外の寒さで息まで白く染まって、目の前が白く曇った。と初めて出会ったのは今日みたいな冬の日だった。深く雪が積もった公園で煙草片手にブランコに座りぼんやりと空を眺めていた獄寺に人懐っこく話しかけてきて自動販売機の白いホットココアを差し出してきたのが彼女だったのだ。何故あえて白いココアを選んだのか、獄寺は知らない。

「こんな寒い日に外に居たら、風邪ひいちゃうよ」

「それじゃ、お前はどうなんだよ」と鼻を真っ赤にしてそう言う彼女に聞くと「私は大丈夫、マフラーしてるし。」とわけのわからない理由を述べて、楽しそうに笑ったのが不思議と頭に残っている。

「それに、煙草。あんまり若いうちから吸ったりしていると、将来病気になっちゃうよ。」

そう言われ、獄寺は舌打ちし、火をつけたばかりのそれを携帯灰皿に押し付けて消した。その代わりに、蓋を開けてひとくち口にした白いホットココアは甘ったるくてとても飲めたものではなく、思わず眉間に皺を寄せた。そんな獄寺を見て彼女はまた笑い、「」と自らを指さしながら名乗った。そして、獄寺も自分の名前を彼女に教えた。
そのあと、何を話したのか正確には覚えていない。の話に獄寺が相槌を打つだけだったような気もするし、獄寺自身も何か少し話したような気もする。彼女の声は優しくて、その温かさに獄寺の周りだけ雪が解けていくようだった。獄寺は会って間もない彼女に確実に惹かれていた。

それから、気が向けば彼女に会うために公園に足を向けるようになった。偶然会った時は表情にも口にも出さなかったけど、嬉しかった。彼女に会うのが楽しかった。
でも、ぐるりと一年、時が流れて、また冬が訪れて、それからしばらく、彼女は公園に来ていなかった。

空から降ってくる白い結晶に手を伸ばす。体温に触れたそれはゆっくりと解けて水になる。これが、雪の「死」なのか、水の「誕生」なのか、獄寺にはわからなかった。ただ分かるのは己の肌の上で死んで、生まれたそれはとても冷たかったということだけだ。
「そういえば、獄寺くんがよく公園で話していた女の人、病院で見かけたよ」

そうボンゴレ十代目・沢田綱吉に聞いたのはいつのことだっただろうか。いつだったにせよ、その時は彼が自分が公園で彼女と話していたことをしっていたということと、彼女を彼が見つけたということの両方に驚いて、思わず加えていた煙草を落としてしまったことを覚えている。まだ半分残っていた火がついて煙を上げたままのそれは、水たまりに落ちて、バラバラの塵のようになってしまった。彼女と少し話したのだという綱吉によると、ずいぶん前から、は体の具合を崩していたらしい。獄寺に出会ったときから、ずっと。気付けなかった自分をひどく恨んだ。そして、人は弱っている時でも周りの人に優しくできるものなのだと初めて知った。彼女の場合は『弱っていたからこそ』なのかもしれないが。

どうにも気まずくて足が向かなかったその病院に今日、獄寺は行くことにした。寒いけど、マフラーをしているから大丈夫だ。煙草は、少し迷ってからポケットから出して自宅のテーブルに置いた。病院で喫煙するわけにはいかない。花束を持っていこうとも思ったが、どうにも照れくさかったから、途中の自動販売機であの時と同じ白いホットココアを買った。両手で握ったその缶の温もりは、彼女自身によく似ていた。あの時のように雪が積もったからというわけではない、とは言い切れない行動をしている自分に苦笑いが漏れた。

白い壁に包まれた病院には慣れない薬のにおいが充満していた。薬が苦手、というわけではないが、己に武器の扱い方を教えてくれたと言っても過言ではない人物がいつも纏っているにおいだからか、なかなか好きなにおいとは言い難かった。眉間にしわを寄せつつ、獄寺は待合室を横切り、受付での部屋の場所を聞こうとして、そこで気付く。そういえば、自分は彼女の名字を知らないのだ。そもそも「」というのが本当の名前なのかすらわからない。そんな何も知らないような者のために
自分はここまで来たのか、と少し情けなくなった。途方に暮れて、すぐそこにあったソファーに座りこんでしまった。薬のにおいが更に強くなったような気がする。頭を抱えて、ズボンのポケットに煙草を取り出そうと手を伸ばして、今日は煙草を置いてきたことに気付く。そもそも、待合室は禁煙だろう、常識的に考えて。大きな大きな溜め息をついたそのとき、己の名を呼ぶ覚えのある声が聞こえ、彼は思わず顔をあげた。

「獄寺くん?」

そこには、白いパジャマを着て分厚いカーディガンを羽織ったが立っていた。
彼女は、何をしにきたの?ともどうして私が居ると分かったの?とも聞かず、ただ獄寺の隣に腰かけて「来てくれてうれしい」と微笑んだ。そのような顔をされると、用意してきた言葉がなにも出てこなくなる。なんで入院していると言わなかったんだ、とか、具合はどうか、とか、退院はいつなのか、とか、聞きたいことはたくさんあるのに。
やっとのことで絞り出したのは「お前が名前ちゃんと教えてくれてないから病室までたどり着けなかったじゃねえか」というセリフだけだった。なんとも情けない気分になる。

「あれ?私、教えてなかったっけ?」
「『』としか聞いてねえよ」
「そういえば、そうか。改めて、です。よろしくね。」

今更すぎる自己紹介がおかしくて思わず吹き出したら、彼女は「笑わないでよ」と恥ずかしそうに苦笑いした。

それから、ポケットの中でカイロ代わりにしていた白いココアの缶を彼女に手渡し、そこを立ち去ろうと獄寺は立ち上がった。「もう、帰るの?」というの問いに無言で頷いた。彼女になにも伝えられない、そんな自分が嫌ではやくここから立ち去りたかった。

「あのね、獄寺くん、帰る前にひとつだけお願い聞いてもらっていい?」
「…なんだよ」
「私ね、雪が見たい」
聞けば彼女は誰かの付き添い無しでは、病院の中庭に出ることすら許されていないらしい。誰もいないところで倒れたら危険だから。「私お見舞いに来てくれる人あまりいないから、なかなか外に出られないの」そういう彼女の微笑みが少し寂しそうに見えたのは気のせいでは無いと思う。獄寺は二つ返事で了承した。普段であれば「なんでオレが」なんて言うところだが、今は彼女の願いであればなんでも聞いてあげたい、そんな気分だった。

雪は止むことを知らず、既に中庭に続く階段の下の二段はすっかり見えなくなるほど積もっていた。歩く度にサクサクと音がする。ポケットに手を突っ込んで歩く獄寺の半歩後ろを、看護婦によりコートで完全防備されたが歩いた。中庭にはと獄寺意外誰もいない。文字通り二人だけの世界だ。真っ白な雪が騒音を吸収して、とても静かだった。「雪、きれいだね」と独り言のようにが言う。獄寺はそれに「あぁ」とまた独り言のように答えた。

「獄寺くん、はじめてあったときのこと、覚えてる?」

の問いに獄寺は目をみひらいた。忘れているわけない。忘れられるわけない。ここにくるまで、ずっとその事を思い出していた。でも、そんなことを言うのが妙に照れ臭くて、獄寺は「覚えてねぇよ」と呟いた。

「そっか、私もね、忘れちゃった」

柔らかく微笑む彼女は、そのまま溶けてしまいそうなほど儚い存在に見えた。雪は、いつの間にか止んでいた。
また並盛町に雪が積もった。あのときと同じブランコに座り、獄寺は煙草をふかす。そろそろ、彼女が来る頃だ。約束はしていないけど、何となくそんな気がした。
サクサクと足音がする。ポケットの中の白いホットココアに手を伸ばす。彼女が同じものを持ってこちらに歩いてきているとは少しも知らずに。

小さくなった煙草の最後の煙は空に高く上がって消えた。