オタクとアイドル

彼には天使の羽が生えている、と私は思っている。彼は確かにひとりの人間なのだけれど、私とは何かが決定的に違っている。明るくて、きらきらしていて、みんなに愛されている。そんな彼のことがまるで実在しない存在のように思えていた。そんな彼のことが、好きだった。

ハードディスクに録画したスバルくんの映像を繰り返し、繰り返し、眺める。その日賢い機械が録画してくれた番組は生放送で、当たり前だけど完成されたミュージックビデオのように整ってはいないし、歌も音を時々外す。でも、それさえもきらきらして見えると思ったし、彼がカメラに向かってウインクをする度に心臓は軋むような音を立てた。

「スバルくん、好きだよ。」

普段口下手で思っていることをはっきり言えない私だが、画面の向こうの存在になら、なんだって言える。私が言葉を発するタイミングで、彼が笑うから、まるでこの声が届いているようだと錯覚した。

度重なる仕様変更、延びない締切、終わらない残業、理解のない上司…そんなもろもろに苦しめられているときに、わたしは明星スバルくんに出会った。画面の向こうで太陽のように笑う明星スバルという存在は、急速に私の心を満たしていった。まるで、乾いた体に染み込んでいく水のように。
発売されているCDはすべて揃えた。ライブDVDも買い集めた。だけどもしかしたら、昔からの彼のファンや彼が所属するユニットTrickstarのファンたちは「ライブに行ったこともないような人がファンだなんて」と蔑むかもしれないし、「私の方がずっとスバルくんのことを応援している」と思うかもしれない。でも、何を言われようと、私はこのキラキラの天使が大好きだし、応援しているし、幸せであってほしいと願っている。それでいい、それだけでいい、そう思っていた。

いつものように最終電車に揺られて帰宅する。今日もクライアントに好き勝手なことを言われて、既に心も身体もぼろぼろだったが、先日通販したDVDが家に届いているということを糧に必死で吊革につかまる。ここで座ってしまったら、眠ったまま終点まで行ってしまいそうだ。

電車が比較的大きな駅に停車する。窓の外を見ながら家に着くまでの時間を計算していたそのとき、電車のドアが開き、数人の若い男の子が同じ車両に乗ってきた。
その男の子たちを見て、私は目を見開く。ドアのすぐそばの座席を陣取る4人の男の子たちの中の一人は、まぎれもなく、私がいつも画面越しに食い入るように見つめている、Trickstarの明星スバルだった。

実在しないような存在であった彼が、今すぐそばに座っている。しかも2歩3歩移動すれば触れてしまえるような距離だ。もう私は半ばパニック状態だ。
よく見ると他の3人もTrickstarの他のメンバーである。国民的存在でないとはいえ、テレビに出演するようなアイドルグループが全員そろっているというのに、電車に居る他の人たちは誰も彼らのことに気付いていないようだ。……いや、こんな深夜の電車にアイドルが乗っていると考える方がおかしいだろう。気づかなくて当然なのかもしれない。

彼らは何か話しているようだが、脳味噌がショートしているのか会話がうまく聞き取れない。じろじろ見るのもどうかと思いひっしでパンプスのつま先を見ると、すこしだけ色が剥げていた。どうせならもっとちゃんとした格好をしてくればよかった、朝してきた化粧も大半は禿げてしまっているし、最悪だ。と、彼にまじまじと見られるわけでもないのに思う。
向こうが気づかないうちに、急いで電車から降りてしまおう。次の駅は最寄り駅ではないが、家まで歩けないような距離ではない。そうだ、こんな空間にいつまでもいたら身体が持たない。うるさく音を立てる心臓を必死で宥めながら、私は一人頷く。

焦る気持ちに反して、駅が目の前に見えているはずなのに、なかなか電車が止まらない。滑るように電車が止まり、ゆっくりと車両のドアが開く。と、同時に、駆け足気味に逃げるようにその場から立ち去る。
が、そんな私を追いかけるように、後ろから声をかけられた。

「ねえ、お姉さん!」

大きくしっかりとした手の男の子に手首を掴まれる。そのまま、私を呼び止めた彼は、私と共にホームに降りてしまった。彼を降ろして、そのまま電車は走り去る。終電もなくなったホームは人気がなく、とても静かで、思わず世界はこんなにも音がなかったのか、と考えてしまうほどだった。
私の手首をつかんだ彼は、電車が通り過ぎてしまったことを気にすることもなく、私の目を見て嬉しそうに笑う。

「よかったー、追いかけることができて!お姉さんさ、さっき携帯落としてたでしょ。」

サリーが気づいて俺が拾ってきたんだよ、と見覚えのある電子機器を差し出してきてくれているのは紛れもない、いつも画面越しに見てきた、キラキラの天使の笑顔だった。