彼と三度目に出会ったのは、賑やかな魔法使いたちの集う古い建物の中庭だった。
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ラスティカとの再会から更に季節が通り過ぎた。あれからオーケストラとの仕事だけでなく、独奏会の依頼も増えてきて、このまま私はヴァイオリンで食べていくことができるんじゃないだろうか、と少し自信もついた。これもあの紳士的で穏やかな魔法使いの加護だろうか、そう思いながら、心の中でずっとラスティカに感謝して過ごしている。ステージに立つ緊張感と高揚感を楽しみながら、一生音楽とともに歩んでいく、そのはずだった。
左手の小指に違和感を覚えはじめたのは、お酒が飲める年齢になってからだった。痛みがあるわけではないが、夜更かしをした次の日、急に気温が下がった寒い日、ビブラートがうまくかからなくて、少し怖くなった。もしかしたら、ヴァイオリンを弾けなくなってしまうんじゃないだろうか。脳裏にうっすらと浮かぶ嫌な予感を必死で押し殺した。だって、その時の私は、弾けなくなることより手術や治療で練習ができなくなることの方が恐ろしかったから。
ビブラートがかからないのは私の練習が足りないせいだと解釈してレッスンの時間を増やした。少しずつ痛みが蓄積していったが、そのうち治るだろうとたかを括っていた。甘かった。私は大丈夫だと慢心していた。
そうしているうちに、私の小指は一切動かなくなった。
たかが小指、されど小指だ。この指がなければヴァイオリンを演奏することはできない。医師にはヴァイオリンをしばらくやめるようにと勧められた。ただし、やめてもこの指が元通りに動くようになる可能性は限りなくゼロに近いと。
指が動かなくても、やめられない、やめたくない。だってまだ、ラスティカに褒めてもらったあの時のように、弾けていない。
そんな折に、中央の国で行われた賢者の魔法使いの叙任式の噂を耳にした。詳しく話を聞くと、私もよく知っている魔法使いに一致している気がするのだ。そもそも、鳥籠を持った花嫁を探している魔法使いだなんて、一人しか思い浮かばない。
「ラスティカ……」
小声で彼の名前を呟く。彼に助けてもらいたかったわけではない、この怪我を魔法でどうにかできると思っていたわけではない、だけど私は、どこか縋るような気持ちで賢者の魔法使いたちが暮らしているのだという魔法舎に足を向けていた。
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魔法舎にたどり着いてすぐに見覚えのある後ろ姿を見つけて、胸がいっぱいになる。
「ラスティカ、」
「……?」
名前を呼ぶと、ラスティカはこちらを振り向いて目を見開く。そういえば、彼に初めて名前を呼ばれたかもしれない。彼にとって、私はその程度なのかもしれない、だけど、私は貴方に貰った言葉を、気持ちを、音楽を、ずっと大事にしてきたよ。
彼と会ったものの、何を話せば良いのか全くわからなかった。ただ、彼と会いたかった。彼と音楽に触れたかった。彼の音が聞きたかった。そう思うと自然と口から次の言葉が出てきていた。
「……あの、ラスティカ、私と一曲演奏してもらえませんか?」
ラスティカは少し驚いたような表情をしたが、「勿論、」と頷いてくれた。小さな演奏会が始まる。
二人揃って弓を空に掲げ、重力に任せて振り下ろした。お行儀の良い弾き方なんてする必要はなかったから、自分の楽器から久しぶりに雷のような音が出た。小指の痛みに歯を食いしばりながらかき鳴らした。荒々しく、竜巻のように。
ビリビリと空気が震えた。次第に人が周りに集まってくる。魔法舎で暮らす魔法使いたちだろうか。それでも、私はラスティカしか目に入らなかった。ラスティカの楽しそうな表情を見ているのが心地よかった。運指がめちゃくちゃになっても弾き続けた。こんな弾き方しか今はできない。それでも、やめられなかった。
やっぱり、まだ、音楽と離れたくないな。
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演奏が終わると、魔法使いたちは静かにどこかに去っていく。そんな中、一人の少年が拍手をしながらこちらへ近づいてきた。
「素晴らしい演奏をありがとう」
「アーサー王子」
「えっ、中央の国の王子様!?」
王子様が賢者の魔法使いに選ばれた、と噂話では聞いていたが、まさかここで会えるとは思いもしなかった。
「ラスティカ、そちらの方の名前は?」
「ああ、彼女は。ヴァイオリンを弾く仕事をしているんですよ」
紹介をされ、どぎまぎしながら挨拶をすると、王子様は「素敵な演奏だった」とキラキラした表情で目を細める。
「、これは私からの提案なのだが……、是非、グランヴェル城の宮廷音楽家になっていただけないだろうか」
思いもよらないアーサー王子の言葉に「え!?」と声を上げてしまう。
ラスティカは、そんなアーサー王子の顔と私の顔を交互に見て、穏やかに微笑んだ。
「ほら、君はまだ音楽と共に生きていいんだよ」