Treasure楽器ケースに宝物つめて

#01 Concert hall春の音楽堂

 彼と出会ったのは、暖かな春に初めて訪れた都会の石畳の上だった。

 郊外の小さな音楽教室でヴァイオリンを習い始めた幼い私は、生徒たちの中ではかなり才能がある方だったようで、すぐに先生の薦めで年上の子供たちと一緒にレッスンを受けていた。その中でも私より上手に課題曲を弾ける人なんて居なかったから、あっという間に田舎の小さな教室では手に負えなくなり、家から少し離れた大きなスクールを紹介された。大きなスクールに通っているうちに、あっという間に春のコンクールに出てみようという話になった。子供ながらに浮かれていたし天狗になっていた。だってたぶん、私より上手にこの楽器を鳴らせる人なんて、いやしないんだから。
 都会の音楽堂で行われたコンクールは、正直言ってつまらないものだった。誰も彼も優しいそよ風のような演奏しかしないんだから。絶対優勝するのは私だと思っていた。だから、優勝した一人を残し、最後から二番目に名前を呼ばれた時何が起こったかわからなかった。
 二位。私が一番上手に弾いた。難しい曲を選んだ。ボウイングもフィンガリングも一つも間違えなかった。それなのに、二位! 気がつけば私は、コンクールを観に来ていた母親やスクールの先生の止める声も聞かず、楽器を片手に会場を飛び出していた。悔しくて、悔しくて、でもこの悔しいという感情を消化する術を知らなくて、ただ知ってる人の顔は一切見たくないから、人通りの多い広い道をヴァイオリンを握りしめて走った。

 あてもなく走り続けて辿り着いたのは噴水のある石畳の広場だった。どうやらここには路上で演奏を行っている音楽家が大勢いるらしく、あちこちに人集りができている。だれも彼もが笑顔で、楽しそうで、なんだか私の気分には全くそぐわない雰囲気の場所だったから、足早にその場を離れようとした。が、一人の穏やかそうな紳士がこちらに近づいて声をかけてくる。

「君もここで演奏しに来たのかい?」
「えっ、いや、私は、」
「素敵なヴァイオリンだ、君の奏でる音が聞きたいな」

 私が何か言う前に、紳士は目を細めて私の手に握られたヴァイオリンを見て微笑んだ。なんだか私ではなくヴァイオリンに声をかけているようで、どこか複雑な気分になる。
 そう声をかけるべきなのは、ヴァイオリンじゃないでしょう。この楽器を鳴らすのは、私。そんなもやもやした気持ちに任せて、弓を空に掲げ、重力に任せて振り下ろした。

 お行儀の良い弾き方しか知らなかったからこんな雷のような音が自分の楽器から出るなんて、知らなかった。歯を食いしばりながらかき鳴らした。荒々しく、竜巻のように。
 ビリビリと空気が震えた。次第に人が周りに集まってくる。目の前の紳士が驚いたように目を見開いているのがなぜか心地よかった。運指がめちゃくちゃになっても弾き続けた。こんな弾き方してたら、先生に怒られるかもしれない。それでも、やめられなかった。

 曲が終わる。顔を上げる。目の前の紳士が嬉しそうに拍手する。続けてた、わあっ! と歓声が辺りを包んだ。

「まるで嵐のように力強く、心が震えたよ」

 こんな風に褒められることは初めてだから、どこか照れ臭い。思わずしどろもどろになりながらお礼を言うと、紳士の口からとんでもない言葉が飛び出した。

「こんな素晴らしい演奏をする君は僕の花嫁に違いない」

 そうして、気づいたら私は、鳥籠の中に居た。

 鳥になった私は、あの人魔法使いだったんだ、とどこか他人事のように籠の外の喧騒を眺めていた。

 このままこの魔法使いに連れて行かれてしまうんだろうか、と少し不安に思っていたが、想像していたよりも早く鳥籠から出してもらえた。太陽は少しずつ西に傾き始めている。
 人違いだったと私を鳥籠から出した紳士……いや、魔法使いは申し訳なさそうに眉を下げた。

「僕はラスティカ、花嫁を探す旅をしているんだ」

 ラスティカと名乗った魔法使いは自己紹介をしながら、地面に転がってしまっていた私の楽器を拾い上げる。傷がついていないか確かめてから、穏やかな表情でそれを手渡してくる。

「今回は人違いだったようだけれど、君の演奏が素晴らしいと思ったのは本当だよ」

 その瞬間、ラスティカの言葉は魔法のように私の身体を駆け巡った。心も、手に持つ弓も、軽くなった気がする。彼は今、呪文を唱えてはいないはずなのに。

「……次はもっと良いものを聴かせてあげますから、観にきてくださいね」

「それは是非、またこの街に来る時を楽しみにしているよ」

 楽譜通りに並べられた音なんかじゃ足りない、『私』を聴いて欲しい。春の暖かな夕陽に照らされて、キャラメル色の楽器が柔らかく光った。

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