いくら小柄とはいえ、他人を抱えて店の中に入れてやるほどシャイロックは優しい魔法使いではない。かといって、このまま店の外に放置しておくのは彼女の身体に触る……というよりも、己の美意識に反する。そう悶々と考えていると隣の哲学者がすう、と指を掲げて歌を指揮するように軽やかに振り上げた。
小声で呟かれたムルの呪文と共に、少女の身体は浮かび上がる。すやすやと寝息を立てたままのストレンジャーはそのままゆっくりとムル自身と共に店の中に入っていき、長椅子にそっと下ろされた。
「何のつもりですか、ムル」
「シャイロックが困っているから『人助け』だよ。ダメだったかな?」
訝しげに眉を潜めるシャイロックの顔を見て、ムルは楽しげに笑う。
「貴方を頼ってしまったのは少々癪に触りますが……、ありがとうございます」
渋々ながらムルに頭を下げ、さてこれからどうするべきか、と思案するシャイロックを他所に、見慣れない人物に興味津々な哲学者はぺちぺちと少女の頬を叩き始めた。
「この子、魔女かな、微かな魔力を感じる」
やめなさいムル、というシャイロックの制止はお構いなしだ。当然そのまま夢の中というわけにはいかなかったのだろう、魔女は再びゆっくりと目蓋を開き、のそのそと起き上がる。きょろきょろと辺りを見渡して、シャイロックとムルの存在に気づき、ハッと息を飲む。
「おはようございます、貴方、自分の名前はわかりますか?」
「……」
「そう、。貴方はどうしてここに?」
「迷子になって……って、ごめんなさい! 殺さないで!」
シャイロックが何か言う前に、ガタガタと机と椅子が浮かび上がり彼女の周りにバリケードを作る。まるで要塞のように組み上げられたそれらの隙間から彼女は今にも泣き出しそうな声で叫ぶ。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 店の前で勝手に眠っちゃったことは謝ります! だからどうか命だけは!」
大袈裟なまでの命乞いに隣の哲学者はケラケラと声を上げて笑う。反面、店をめちゃくちゃにされたシャイロックは逆に冷静だ。深いため息をついて、「およしなさい、ムル」と昔馴染みを嗜める。
「ふふふ、随分荒削りな魔法だね、誰にも何も教わらずにここまできたのかな」
「普通は誰に教わらずとも呪文くらい唱えることができるようになるものなのですが……そもそも呪文の概念を知らないのでしょうか」
「なかなかのレアケースだ、面白い」
心底楽しそうなムルを横目で見て(もう彼はこれ以上役に立ちそうにない)、シャイロックはゆっくりと身をかがめる。椅子の足越しに彼女と目を合わせ、柔らかく微笑んでみせた。
「怖がらないでください、貴方を殺したりはしませんよ」
出来る限り優しい声色で話しかけて、そっと手を差し伸べる。穏やかな性格の魔法使いなどいない。だが、目の前にいる困っている誰かに手を差し伸べることなできない心ない魔法使いもまた、存在しないのだ。