娘は懇願した。
「ねえ、ジュード、どうかお願い、あなたの一生をかけてとは言わないわ。せめて私の命が尽きるまで、愛して欲しいの」
魔法使いは躊躇なく頷く。
「アマリア、『約束』しよう、君の命が尽きるまで」
こうして愛し合う二人は結ばれる。
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縛り付けてしまってるのよ、彼を。私と交わした『約束』のせいで。私を愛し続けなければならないという義務感で、自分を偽り続けているんだわ。可哀想な魔法使い。いっそ、お婆さんになった私のことなんか殺してしまって『約束』を捨てても良いのにね。
確かに、彼女を愛しているんだ僕は。だけど『約束』があるから、義務感で愛の言葉を囁いているのではと彼女は思っている。年老いた女のことなど愛するわけがないと信じきっている。義務感による愛ならば、とっくの昔に僕の魔力は消えている! どうすれば、彼女にこの愛が真実のものだと信じてもらえるのだろう?
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「……それで、シャイロックはジュードになんと答えたの?」
近ごろミシンの精霊・はやたらと恋の話を聞きたがる。幸いなことに、シャイロックの話のネタが尽きることはなかったから、寝物語のように話して聞かせた。彼の店を訪れた魔女や魔法使いの愛を、憎しみを、途方もなく、無意味で、突飛な、気の狂った、恋の話を。
今日の話は人間の女に恋をしてしまい『約束』を結んでしまったとある一人の魔法使いの話だ。
「さあ、どのように答えるのが正解だと思いますか、クロエ」
「えっ、俺!? えーっと、」
「ふふ、無理に答えは出さなくても良いんですよ、恋人同士の悩み事の正しい答えだなんて、それこそ本人たちにもわからないんですから」
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シャイロックが何か答える前に、その魔法使い・ジュードの横に座っていた哲学者は楽しそうに笑って口を開いた。
「それなら簡単だ。お互いに『違う』から不安になるんだよ。君も彼女と『同じ』時を歩めば良い」
「同じ、時を?」
「このイカれた天才の話をまともに聞かなくても大丈夫ですよ、ジュード」
「だって本当のことじゃないか、君の歩みが緩やかで、彼女の歩みが駆け足だから、不安になってしまうんだ。きっと、君が彼女と『同じ』ように年老いて、彼女と『同じ』ように死ねば、彼女だって君の愛を本物だと疑わないはずさ」
ムルはそう言いながら手をひらひらと振る。その度に掌から花がこぼれ落ちて、床につく前に自然界では考えられない早さで枯れていった。まるで、魔法使いと比べると随分駆け足に歳を取っていく彼の恋人のようだ。
「まったく、掃除するのは誰だと思っているんです」
「さあ誰だろう? 誰かが綺麗にしてくれるといいね」
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シャイロックの話を聞き終わったはクロエとシャイロックの表情を交互に見ながら「ほう、」と小さく息を吐く。
「『同じ』になれば、不安じゃなくなるのかしら」
「さあどうでしょうね、」
「俺は『同じ』嫌だな! みんな一緒はつまんない!」
「でも、『同じ』になるようにって言ったのはムルなんでしょう?」
「そうだよ、つまらないけど、安心するんだ、『同じ』って」
俺にはよくわかんないけど、と言いながらムルは宙に浮いてくるりと回る。
「俺はわかるな、安心する気持ち。服がお揃いだと嬉しくなるし」
「クロエの服は好き! そうだ、次の衣装は俺のだけベルトにフープをつけて! 金色のやつ! 腰に月が住んでるみたいで最高!」
これくらいの大きさのやつ! とムルが手で示すとは嬉しそうに「素敵ね! きっとムルに似合うわ!」と笑った
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老婆は魔法使いの手を取って囁いた。その姿も、その手も、その声も、彼女と初めて出会った時から随分と変わってしまった。それでも魔法使いは彼女のことが愛おしくてたまらない。
「ジュード、どうか、どうか、私のことは忘れてね」
「そんなことできるわけがないだろうアマリア、」
「いいえ、あなたは私よりもずっと長く生きるわ。素敵な人を見つけて、私に縛られては駄目よ、魔法は心で使うものなんでしょう? こんなお婆さんに囚われていたら、きっと魔法が使えなくなってしまうわ」
「君がいないのに魔法が使えても、意味はないよ」
「馬鹿なこと言わないで、」
「……ねえアマリア、きっと僕も怖かったんだ、見た目が変わってしまって君に愛してもらえなくなるのが、だから、」
魔法使いは口籠る。なんと言えば良いのだろう、同じ時を歩めなくてごめん? 共に歳を重ねられなくてごめん? それとも……、
何も言えなくなった彼の顔を覗き込んで、娘は穏やかに微笑んだ。
「ふふ、おかしな人。……ねえジュード、」
ふ、と彼女の表情が力を失う。名前を呼ばれた魔法使いは譫言のように彼女の名前を繰り返す。はらはらと落ちた熱い滴は老婆の手を濡らした。
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カランとベルが鳴りドアが開いた。西の魔法使いたちの注目を集めながらベネットの店にやってきたのは細身の老人だった。
「お久しぶりですシャイロック」
ぺこりと頭を下げる彼にムルが「ジュード!」と呼びかける。つい先程まで話題に上がっていた人物の登場に、仕立て屋とミシンの精霊は目を見開いた。
「随分変わったね! 彼女と『同じ』にすることにしたの?」
「そうすることにした、というよりも、彼女がいなくなってから自然とそうなった、という方が正しいな。ムルも、お久しぶりです。あなたも随分変わりましたね、」
「色々あったのですよ。さあジュード、こちらへ。今日は何にしましょう、」
「ありがとうシャイロック。お酒は後でいただくよ。……その前に、あなたにお願いが」
「私に?」
「ええ、あなたは長く生きる魔力の強い魔法使いの一人だ……だから私に、忘れさせて欲しいのです、彼女のことを、」
えっ、と声をあげたのはクロエであった。若い魔法使いは自分が声を出したことに驚いたのか、戸惑うように視線を彷徨わせる。
「あ、ごめんなさい、私とクロエ、あなたの話をシャイロックに聞いたから、」
「うん、約束したんだよね、人間の女の人と。『命が尽きるまで愛し続ける』って、」
「そして、貴方は最後まで彼女を愛し続けた、違いますか? ジュード」
「ええ、その通り。……だからだろうか、魔力がどんどん弱くなって、見た目もどんどん衰えていって、忘れる魔法を使うこともできやしない」
「どうして……、『約束』は守ったのに」
「僕と彼女の『約束』は、『彼女の命が尽きるまで』彼女を愛すること。……彼女の命が尽きたその後は、彼女を愛してはならなかったのです」
愛する人と『約束』をした魔法使いは、ギュッと手を握る。
「タイムリミットを超えても、僕は彼女を愛し続けてしまっている、」
しばらく誰も何も言わなかった。が、クロエのグラスに入った氷がカランと音を立てて溶ける頃、ピアノのそばに座っていた音楽家が立ち上がりゆっくりと口を開く。
「本当に忘れても良いのですか?」
「ラスティカ……」
「愛する人を忘れてしまうのは悲しいことです、今もはっきりとその人のことを思い描けるのであれば、尚更」
きっと彼は自分の花嫁のことを思い出している。言わずとも、クロエとには手に取るようにわかった。ラスティカは優しく微笑んで握られた拳に己のそれを重ねる。
「どうか自ら忘れようとしないで、」
「……忘れたくないんだ、本当は、」
「ええ、」
シャイロックが指を鳴らすと涙を流す魔法使いの目の前に背の高いグラスが現れる。注がれた飲み物は二層の色に分かれ、バーの淡い灯に照らされて、優しく光っていた。
「今夜は私が奢りましょう、ジュード。貴方と、貴方の愛する人へ」
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「魔力が尽きた魔法使いはどうなるの?」
ジュードが店を去った後、がシャイロックに問いかける。ラスティカの演奏するピアノが響いて、店内は穏やかな雰囲気だった。洗い終わったグラスを拭きながら、店主はゆっくりと目を細める。
「彼は元々強い魔力の持ち主でしたからね、完全に魔力が尽きる前に襲われて、殺されて、上質な石になるでしょう」
「……じゃあやっぱり、忘れてしまった方が良かったのかな、そうすれば、もっと長く生きることだってできただろうし、」
目を伏せるクロエの手を取り、ムルが立ち上がる。
「踊るよクロエ!」
クロエが頷く前に稀代の天才はステップを踏み始めていた。
「愛する気持ちを忘れてまで手に入れる生なんて、味気ないと思わない?」
「貴方のその意見に頷くのは少々釈に触りますが……、ふふ、確かに、愛に身を滅ぼすくらいが丁度良い」
「そう、だって俺たち、西の魔法使いだからね!」