Vivaceかがり縫いのヴィヴァーチェ
since.2020.03.30

chapter One

椅子の下のシルク

 クロエのミシンの精霊・は怒っていた。……いや、怒っていた、というよりもヘソを曲げていた。どうして、と晶が問いかける前に彼女は「聞いて、賢者さま!」と声を上げる。
「あのね、賢者さま! わたし、聞いてしまったの! クロエったらこの前の討伐の帰りにミシンの専門店に寄っていたのよ!」
 頬を膨らますを見て晶は苦笑する。クロエが他の魔法使いや晶と仲良くしていたとしてもただ嬉しそうにするだけの彼女を見て、精霊というものは独占欲とは無縁の生き物なのかと思っていたが、同じミシンが相手の場合はそうでもないらしい。
「きっと新しいミシンを連れてくるつもりだわ。わたしは用済みで……、これからシャツもドレスも新しい子と一緒に作るのね……、」
「……だからってどうしてオーエンの椅子の下に……」
「ここなら絶対クロエに見つからないと思わない?」
「ねえ、すっごく迷惑なんだけど、踏みつけていい?」
 そう、不機嫌そうにしているのはだけではない。食堂でクリームパイを堪能していた北の魔法使い・オーエンも足元で勝手に繰り広げられているかくれんぼに少しイライラしているようだった。
「ごめんなさい、オーエン! クロエのパイも食べていいから、少しだけ匿ってくれる?」
「ふうん、これを食べたらあの西の彼はどんな顔するだろう、怒るかな、悲しむかな、」
「泣いちゃうかもしれないわね」
「へえ、じゃあ食べる」
 クロエ本人は不在で行われる裏取引を目の当たりにし、晶は思わず頭を抱えた。あとでネロに頼んでもう一切れパイを用意してもらおう。

 そうこうしていると、廊下からパタパタと足音が近づいてきて勢いよく食堂のドアが開いた。
「賢者様! を知らない!?」
 西の仕立て屋・クロエは少し焦った様子でこちらへ近づいてくる。その後ろをのんびりと歩いてきたフィガロはクロエよりも早くミシンの精霊の居場所に気がついたようで、晶と目を合わせて苦笑する。昨日の討伐に続き、今日は南と西で合同訓練をしていたはずだから、終わった後も姿が見えないを二人で探しにきたのだろう。オーエンからパイに乗ったベリーを貰おうとしていたミシンの精霊はそれに気づいた途端大慌てで椅子の下に戻り「クロエにわたしはいないって言って!」と口パクで伝えてくる。
「……おかしいな、ここに居るような気がしたんだけど」
「どうする、クロエ? 食器棚や調味料の隙間に隠れているかもしれないからもう少しこの部屋を探してみるかい?」
「……ねえ、ここに居るってバレてるみたいだよ、どうするのネズミさん」
「ネズミじゃないわ! あっ……」
 オーエンの揶揄に思わず声を上げてしまったは更に慌てた様子で椅子の足の陰に隠れる。が、クロエはお構いなしだ。床に膝をついて、小さな精霊と視線を合わせる。
、お願いだから話を聞いてよ!」
 クロエが何を言っても聞く耳を持たない精霊の様子に、やれやれ、と眉を下げて南の町医者も小さく屈んだ。
「あの店にクロエが行っていたのはね、君のメンテナンスのお願いをするためなんだよ、
「フィガロ、」
「だからほら、そこから出てきて、許してあげなさい。君の持ち主はミシン屋の店主に君のことばかり話していたんだから」
 フィガロの言葉に恐る恐る椅子の下から出てきたミシンの精霊を見て、クロエはほっとした様子で微笑んだ。晶とフィガロも視線を合わせて目を細める。……が、相変わらず不機嫌そうな顔をしている魔法使いがまだ一人。
「あのさ、さっきから足元でうるさいんだけど、蹴飛ばされたいの?」