談話室にはフィガロと晶しかいなかった。この酒はミチルに見つからなかったんだ、とワイングラスを掲げる南の魔法使いに、晶は雑談のつもりで「そうだ、」と声をかける。
「そういえば、ムルとシャイロックの知り合いのさんという方に会ったんです。フィガロも彼女のこと知ってるんですか?」
晶の問いにフィガロは「一応ね、」と笑い頷く。やはり長く生きている魔法使いは皆どこかで出会いどこかで関わりを持っているのだろう。賢者は「じゃあ、」と続ける。
「フィガロなら、できるんじゃないですか? ムルのさんに関する記憶を呼び戻すこと」
「……へえ、面白いことを言うね」
南の町医者はすう、と目を細める。なんだか嫌な予感がするが「どういうことですか?」と聞くと「そうだなあ」と彼は足を組み直す。
「誰かが記憶を操作したから、彼らがああなってる、って言ったらどうする?」
「誰か、が?ムルの記憶を?」
暖炉の火は消えていないはずなのに、すう、と空気が冷える。
「さあ、ムルかもしれないし、かもしれないし、とシャイロック二人の可能性もあるし、もしかしたら三人全員なのかもしれないな」
ややこしく曖昧な言い回しに、賢者の頭は混乱する。要するに、つまり、ムルの記憶はどうなってるんだろう?
「……ムルは、彼女のことを思い出せるでしょうか?」
「どうだろう、俺は医者だけど記憶の治療に関しては素人だからよくわからないな」
パチパチと暖炉の火が爆ぜる。頭を抱え小さくため息をつくと「そんなに心配しなくても大丈夫だよ賢者様、これまでもこの状態で彼らは何とかなってきたんだろう?」と南の町医者はクスクス笑った。
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「賢者様、眠れないの?」
「ムル、」
ベッドに腰掛けてぐるぐると考え事をしていると、いつの間にか逆さまに浮かび上がったムルが窓の外からこちらを見ていた。手招きをすると西の哲学者はすう、とこちらに近づいてきて晶の横に腰掛ける。
「ムルはさんのこと本当に覚えていないんですか?」
夫婦(夫婦と言って良いのかはわからないが)同士の問題に首を突っ込むのはお節介のような気がした。彼に直接こう問いかけるのは反則のような気もした。だけど、なんだか、昼間のシャイロックとのやりとりを見た後だからか聞かずにはいられなかった。問いかけられた哲学者は「う〜ん」と腕を組みそのままふわりと宙に浮く。
「『』、懐かしい響きのような気がするし、今日初めて聞いた音のような気もする。それを聞くと俺は焦燥感に駆られるし、どこか安心したような気持ちにもなる。……賢者様、これって何なのかな」
ムルは天井の側でくるりと回る。その姿は昼間が魔法をかけたちょうちょ少し似ている気がする。
「これが何なのか、俺もよく分からないから、賢者様の質問には上手く答えられないんだ、ごめんね」
少し眉を下げるムルに「いえ、大丈夫です」と返す。彼が、彼の友人が、そして彼の妻だと名乗る彼女が、どうか心穏やかであって欲しいと願いながら。