名前は書物の中で同じ年頃の少女が話す恋というものがわからない。男だとか女だとかを意識し始めるよりも前に審神者として本丸で生活していたからか、恋愛小説を読んでも面白いとは思うがどうも腑に落ちなかった。確かに、刀剣らのことは好きだし、その中でも特別に想っている者もいる。だが、それが恋と呼べるものだと断言することは名前にはできなかった。
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読み終わった書物を横に置きぼんやりとしていると「ぬしさま」と小狐丸が声をかけてきた。
「ぬしさま、何か悩み事ですかな?」
「いえ、悩みというほどではないのですが……少し、考え事をしていました。」
「ほう、」
小狐丸は名前に寄り添うようにすぐそばに座るが、どのようなことを考えていたのか、聞いてはこない。少しほっとしたような、残念なような不思議な気持ちになる。
「小狐丸ちゃんは、」
「はい」
「人を好きになったことはありますか?」
「……はい?」
小狐丸は一瞬驚いたような顔をする。が、徐々に楽しそうな表情になり、にこにこと名前の顔を覗き込んできた。
「小狐丸は元は刀でありますゆえ、人の感情には不慣れでございます、が、」
そういいつつ小狐丸はこちらに手を伸ばし、名前の頭を優しくなでる。
「ぬしさまにはいつも触れていたいと思いますし、いとしいと思っていますよ。」
溶けるような声でそのようなことを言われると心臓の鼓動が早くなってしまう。触れたいと思う、それが名前が求める感情の答えなのだろうか。
自分は小狐丸に触れたいと思っているのだろうか。…いや、触れたいというよりもむしろ…。
名前はふと思い立って、立ち上がり、場所を移す。小狐丸のちょうど死角になるような位置だ。これからすることは、顔を見られるととても恥ずかしくて、できないような気がするから。
「ぬしさま?」
「動かないでください、小狐丸ちゃん、あと、こちらを見ないで。」
小狐丸から触れてくることはこれまでに数えきれないほどあったし、触れてくだされと頼まれれば断らなかったが、自ら彼に手を伸ばしたのは子供のころを除けば片手で数えられるほどだった。
そのさらりとした髪の毛にそっと手を伸ばす。少し震えているのが自分でもわかる。本当は触れたいけど触れられなかった、触れたらすべて壊れてしまうような気がして恐ろしかったのだ。
白いふわふわした髪の毛にそっと唇を寄せる。一度触れたらもう止まらなくて、そのまま頬にも口づけてしまいたくなる。そして正面へ回り、額へ、瞼へ、鼻先へ。唇がふれるたびに、小狐丸がうれしそうに微笑むものだから、何かがあふれ出てしまいそうになる。
唇に触れる直前、はっと冷静になり、名前は動きを止めた。顔に熱が集まるのを感じる。そのまま動けずにいる名前の唇に、小狐丸のほうから軽く唇を寄せて彼はふわりと笑った。
「ぬしさまからは、してくださらないのですか?」
そう問われ、おそるおそる彼の唇へ触れる。そのまま後頭部を固定され、口付けは深く長いものになった。
このまま、気持ちも、身体も、全部、彼に捧げてしまいたい。
ああ、もしかするとこれが、この感情こそが恋なのかもしれない。